第15話 遺産④

 今井は共犯者によって、口を封じられたのか——。


 黒いワンピースを見ながら宇佐美があれこれ思案していると、廊下を歩く足音が微かに聞こえた。

 誰が部屋を出たのかと、宇佐美は急いでドアを開ける。

 だが、長い廊下には誰もいなかった。


 後手にドアを閉めながら怪しんでいると、階段を上がってくる美土里の姿があった。

 宇佐美の姿を見つけて、美土里は小走りにやって来る。


「宇佐美様、こちらお使いになりますか?」


 美土里が持ってきたのは薄手のゴム手袋だった。

 宇佐美がペン先やハンカチを使って今井の部屋を調べているのを見て、気を回したのだろう。


「使わせてもらいます」と宇佐美は礼を言ってゴム手袋を受け取った。「一階には、どなたもいらっしゃいませんでしたか?」


「はい。電話も故障したままです。蒼真そうまもまだ戻りません」


「階段を上がってくる時、二階で足音を聞きませんでしたか?」


「いいえ、まったく——」美土里は不思議そうな顔をした。「皆さん、宇佐美様に言われた通り、部屋にいらっしゃいます」


 そうだろうか。

 怪しいものだ。


「防犯カメラは、設置していないんですね」と宇佐美は天井を見ながら言った。


 美土里はショックを受けたような顔で首を振る。

 

「そんな……お客様を疑うような真似は、出来ません」


 宇佐美はにっこり笑った。

「僕はみなさんの様子を見て回りますから、食料を渡すのでしたら、どうぞ。手伝いますよ」


「では、下から持って参ります」


 頭を下げて行こうとする美土里を、宇佐美は引き止めた。


「後で、ゼロ号室も見せて下さい」


 立ち止まり、振り返った美土里の顔は厳しかった。


「藍子さんから、聞いたんですね! いけません。あの部屋は、誰も入れません」


 初めて会った時——受付前で朱美と話している時も、美土里はこんな顔をしていたなと、宇佐美は思い出した。


「僕が見て何もないと分かれば、他の警官を部屋に入れないようにします。選んでください。僕だけを入れるか、大勢の人間に踏み荒らされるか」


 美土里は眉を寄せて、懇願した。


「……宇佐美様、あの部屋は本当にプライベートな部屋なんです」

「これは殺人事件です。この屋敷の全てが家宅捜査の対象です」


 ガックリと肩を落として、美土里は下を向いた。


「事件に関係がなければ、秘密は守ります」


 美土里は小さく頷くと、階段を降りて行った。




 美土里が下に行くと、宇佐美は205号室——今井の部屋のドアノブに手をかけた。

 鍵がかかっていることを確認する。


 今井自身が受け取った部屋の鍵は、椅子にかけてあった今井の上着のポケットに入っていた。

 その鍵は今井の遺体と共に食堂にある。

 これでこの部屋に入れる者は、誰もいない。


 今井の財布からは身分証の類がみつからなかった。

 犯人が持ち去ったのか?

 ただ手帳に貼られた健康診断の結果から、今井の身元は容易に割り出せるだろう。


 宇佐美は隣の206号室。朱美の部屋をノックした。

 

 朱美はすぐに出た。

 宇佐美の顔を見て、ホッとしたような顔をする。


「少し、お話をお聞かせ下さい」


「私も宇佐美さんと話がしたかったんです。姉がいなくなったことと、この事件は関係あるんでしょうか?」


 宇佐美はスリッパを借りてドアに挟んでから、部屋の中に入った。


「女性と二人っきりで部屋にいて、誤解されるといけませんから」と言い訳をしたが、廊下に出る者がいないか注意を払うためだった。


「お姉さんは、この『翠眼亭』を購入しようとしていたようですが——」


 宇佐美が切り出すと、朱美は大きく目を見開いた。


「和恵さんは、相当な資産をお持ちなんですか?」


「……私達の親が去年亡くなり、姉は遺産として株を受け継ぎました……質素に暮せば、配当金で食べていけるらしく、姉は仕事を辞めました……」


 朱美は訳がわからないという顔で、宇佐美を見上げた。


「……姉は、株を全て現金化したんでしょうか?」

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