第12話 遺産①

 宇佐美が警察手帳を見せた時、一番驚いた顔をしたのは蒼真そうまだった。


「……ど、どうして、ここに……な、何を、調べに来たんです!」


 呂律の回らない蒼真は、怯えているようにも見えた。

 休暇で来ましたと宇佐美は静かに言ったが、その言葉は梅子の金切り声にかき消された。


「あなた、殺人犯を追って来たのね!」梅子は目を吊り上げて美土里を指差す。「宇佐美さん! 早く、あの女を捕まえて!」


 美土里は、辛そうに顔を歪める藍子の近くで膝をついていた。梅子には構わず、「蒼真、早く港に行って、警察と病院に連絡して来なさい」と落ち着いた声で息子に言う。


「美土里さん、藍子さんを寝かせられるお布団をお願いします。朱美さんはお部屋にいて下さい。マミさんは、梅子さんをお部屋までお願いします」


 宇佐美に言われて、「わかりました」と美土里はすぐに立ち上がった。朱美も美土里と一緒に部屋を出る。


 マミは「みんな、来て」とシホとユカを呼んで、梅子を立たせようとした。


「私は嫌よ! 一人で部屋にいるなんて、絶対、嫌!」と梅子。


「私達と続きになってるシングルの部屋に連れて行ってもいいですか?」とマミは宇佐美に訊いた。


「そうして下さい。よろしくお願いします」と宇佐美。「中から鍵をかけて、誰も外に出ないようにして下さい」


「私達の隣の部屋だから安心ですよ」とマミは梅子を歩かせた。


 梅子の反対側はユカが支えた。「洗面所のドアを開けっ放しにして、お話できるよ」


 シホが、梅子の杖を抱えたまま困ったような顔つきで、じっと宇佐美を見ていた。


「後で、お話を伺いに行きますよ」


 宇佐美がそう言っても、シホは何かを言いたげに黙って、突っ立っている。


「お一人ずつ、お聞きします」


 シホはやっとペコリと頭を下げた。

 ペタペタとサンダルの音をたてて、梅子をゆっくりと歩かせるマミたちを追っていった。


 シホの踵にはまだ、靴ずれした時に宇佐美が渡した絆創膏が貼ってあり、血が滲んでいた。


 ——誰にも聞かれたくない話があるのか?

 

 シホを見送っていると、とおるが声をかけてきた。

 蒼真と一緒に港に行かなかったのかと、宇佐美は訝った。


「車取ってくるから玄関で待ってろって、蒼真さんに言われた——でもさ、俺、行く必要ある?」


 言いながら透は、青いクロスに覆われた塊から目が離せずにいた。


「君は今から僕の助手です」と宇佐美は小さく言った。「蒼真さんが、どこに連絡をするか、何を話すか僕に報告して下さい」


「あんた、あの男を疑っているのか——」と透は一瞬ポカンとしたが、すぐに顔を引き締めた。「——わかった。あいつを見張るよ」


 宇佐美は「よろしくお願いします」と頭を下げた。顔を上げると照れ臭そうな透と目が合う。


 透はすぐ視線を逸らした。

「信頼してくれて、ありがとう」と駆け足で部屋を出て行った。


 透と入れ違いに美土里が布団を持って入ってきた。

 宇佐美は美土里と一緒に藍子を布団に寝かせる。


「気分はどうですか?」


 宇佐美に訊かれて藍子はうっすらと目を開けた。「大分いいよ」と弱々しく微笑む。


「今井さんのお部屋を調べたいので、ここをお願いします」と宇佐美は立ち上がりながら美土里に言った。「蓋の空いていないペットボトルのお水でしたら、飲んでも大丈夫だと思います」


「承知しました」と美土里も立ち上がった。下を向いた美土里の肩が震えている。


 宇佐美が美土里の肩にそっと手を置くと、美土里は両手で顔を覆った。


「……こんなことになって……皆様に、もうしわけなくって……」


 美土里の清潔だが化粧っ気のないシミだらけの顔や、ゴツゴツした手を宇佐美は見つめた。


 この『翠眼亭すいがんてい』を美しく整えるために、どれほどの労力と歳月を注いできたのか——。


 殺人事件現場となったこのペンションが、今後どうなるのか分からないが、晩年に全てを失うかもしれない美土里を案じて、宇佐美の胸は痛んだ。

 


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