第6話 ゼロ号室の客②

 翠眼亭すいがんていのオーナー、美土里みどりは小柄でぽっちゃりとした体型だったが、目尻の上がった鋭い目つきが印象的だった。年齢は七十前後だろうと宇佐美は推測する。


 彼女は黒のチュニックワンピースにグレーのエプロンをつけていた。

 そのシルエットを見た瞬間、宇佐美の脳裏に、遊歩道から見えた黒い影がよぎる。


 美土里は、受付前の応接セットで朱美と向かい合って座っている。一見、落ち着いた表情だが、その視線にはどこか探るような色があった。

 テーブルには、朱美が持っていた姉からの手紙が置かれている。


 宇佐美が近づくと、美土里は口角をわずかに上げ、「何でしょう?」と言いたげな表情を見せた。


 宇佐美は笑顔を作り、朱美の隣に腰を下ろす。朱美はほっとしたように表情を和らげ、すがるような目を向けてきた。


「フェリーで朱美さんと知り合いました。宇佐美俊介うさみしゅんすけといいます」


 自己紹介すると、美土里は満面の笑みを浮かべて応じた。


「東京からいらした方ですね。ようこそ、お越し頂きありがとうございます」


「朱美さんのお姉さんは、こちらで働いていないんですか?」


 美土里は笑顔を崩さぬまま、ゆっくりと首を振った。


「先月、お客様としてお見えになりましたが、三泊ほどしてお帰りになりました。フェリーの乗船名簿をお調べになれば、分かって頂けると思います」


「僕たちが遊歩道を上がって来る時、手を振って出迎えてくださった方がいました。朱美さんは、お姉さんだと思ったようですが、あなただったんですか?」


 美土里は、再び首を振る。


「ご予約の手違いがありまして、それどころではありませんでした。私はずっとペンションの中におりました」


 では、朱美と藍子が見た人物は誰だったのか……?


「和恵さんの手紙に書かれている長期滞在の客は、いるんですか?」


 美土里が「いいえ」と答えるまでに、微妙な間があった。その一瞬、彼女の視線が揺れたように見えた。


 宇佐美は、受付前の廊下の奥に目をやった。


 開け放たれたドアの前では、大型の扇風機がガタガタと不安定な音を立てながら回っている。その横には、とおるが壁にもたれ、タバコを咥えていた。


(あれが、物置を改装した部屋なのか……)


 エアコンのない部屋に冷気を送るために、外に扇風機を置いたのだろう。


 視線を反対側の廊下へ向けると、そこはさらに影が濃く、奥にはぽつんと、一枚のドアが見えた。

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