第34話 祈りの部屋⑦

「すみません、言葉が過ぎました」と美土里は視線を落としたまま、頭を下げた。


「構いません。何か胸に溜めている事があるなら、聞かせて下さい」


 宇佐美が促しても、美土里は口を開こうとしない。

 美土里の琴線に触れる話題を振ってみた。


蒼真そうまくんと、藍子さんの付き合いは、長いんですか?」


 美土里はきっとなって、顔を上げた。


「宇佐美様! 蒼真は、そんなふしだらな子ではありません! 藍子さんが勝手に——」


 また口を結び、美土里はうつむく。

 宇佐美は話題を変えることにした。


「失礼ですが、蒼真くんの父親は、どちらにいらっしゃるのですか?」


「他界しました——蒼真が五歳の時に、私の父親が亡くなり、一緒に島を出ようと言ってくれたのですが……私は、ここを出る気になりませんでした……主人は蒼真だけを連れて行ってしまいました……でも蒼真は——」


 美土里は嬉しそうに顔を上げた。


「あの子は、戻ってきてくれたんです! 大人になっても、私の事を覚えていてくれたんです!」


 成人した蒼真が島に戻ってから、美土里の生活は一変したようだ。

 荒れた屋敷を改築して『翠眼亭すいがんてい』を開き、孤独だった美土里は多くの客と言葉を交わせるようになった。

 今は寂れたが、港にも土産物店が出来、島の賑わいが美土里には嬉しくてたまらなかったようだ。


「——蒼真は、悪人ではありません……」


 美土里はうつむきながら、またポツリと言った。


「立ち入った事をききますが、屋敷の改築費用などは、どうされたのですか?」

「お金の事は全て、蒼真に任せていますが、父や祖父が遺してくれたもので、賄っているのだと思います——私は、自分で畑を耕したり、立ち寄ってくれる漁師さんからお魚を分けてもらって生活していたので、お金のことは、分かりません……銀行にも行けませんし、書類も読めないんです……蒼真だけが頼りです……」


「わかります」と宇佐美は暖かく微笑んだ。「僕の母も、細かな字が読めなくて辛いとよく言っています」


「いえ……」と美土里は恥じ入るように更に下を向いた。「……文字が、読めないんです……父から女に読み書きはいらないと言われて、学校に行くこともなかったので……」


 まさかと思ったが訊いてみた。


「もしかして、美土里さんは、生まれてから一度も島から出たことがないんですか?」


 美土里は、はいとうなずいた。


「美土里さん」と宇佐美は改めて、壁一面に飾られた置物を見る。


 仄暗い室内に光を放つその中に、指甲套や装身具もあった。

 

「お父上達が、満州から持ち帰った品は、これだけですか? 竜のブロンズ像のような物は他にはありませんか?」


「父も祖父も、翡翠の濃い緑色が好きでしたので、仏壇の近くに飾っていますが、他の物は物置に置いていました。梅子さんのために部屋を作る時に、蒼真がどこかに片付けたと思います」


「——西太后は翡翠を好み、ダイヤモンドには目もくれなかったそうですね」


「せいたいごう?」と美土里は不思議そうな顔をした。「どなたのことですか?」


「清朝末期に権力を振るった女性です」


 美土里の父親たち軍人が盗みに入った家の主は、貴人の身の回りの品を列強の強奪から守っていたのかもしれない。

 ぞんざいに扱われていたダイヤを偽物だと思った軍人は、口止め料として民間人にくれてやったのか……。


 宇佐美は梅子の指輪を思った。

 あまりにも粒が大きかったため、宇佐美はイミテーションだと思っていたが、指輪を盗み取った人物は、あれが本物だと知っていたのかもしれない。

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