第24話 闇夜の逃亡者④

「おっ! 全然使ってないんだね」


 201号室の宇佐美の部屋に入った藍子は、部屋を見回しながら言った。


「バルコニー、行ってる」とタバコの箱を宇佐美に振ってみせながら、藍子は窓に向かった。

 藍子が窓を開けた途端、強い風が部屋の中に入ってきた。藍子は急いで外から窓を閉める。


 他の女たちも次々と部屋に入るが、どこに座ろうか躊躇しているように立ち尽くしていた。


「美土里さん、お疲れでしょう。こちらにどうぞ」と宇佐美は窓辺の肘掛け椅子を引いた。


 遠慮する美土里に向かい、「私も座ります」と朱美がニッコリ笑って促した。

 二人は丸テーブルを挟んで、対になっている椅子に腰を下ろす。


「皆さんは、ベッドの上にでもどうぞ」と宇佐美が言うと、マミとユカは、ツインのベッドの一つに、並んで座った。


「私、さっき貰ったクラッカーとかお菓子、持ってきた。みんなで食べようよ」とユカは担いでいたリュックを開けた。「お茶もあるよ」


「私も、お茶を持って来ました」と朱美もペットボトルのお茶を二本、トートバックから取り出す。どうぞと美土里に一本渡した。


 背筋を伸ばして、椅子に浅く腰掛けた美土里は恐縮したが、朱美に優しく勧められて、頭を下げてペットボトルを受け取る。


「宇佐美様、冷蔵庫の中にお飲み物がございますから、よろしければどうぞ」


 美土里に言われて、宇佐美は冷蔵庫を開けた。

 クランベリーやカシスのジュースが入っている。


「ランチをご予約の時、ベリー系のノンアルコール飲料をご希望でしたので、お部屋をご用意する時に入れさせて頂きました」と美土里。


 宇佐美は冷蔵庫に入っている飲み物を抱えて、どうぞと朱美やマミ達に配った。


「僕、予約はネットでしたんですが、ここでは受け取れませんよね?」


 宇佐美が言うと美土里はちょっと誇らしげに顔を赤らめた。


「お客様からのご予約は全て蒼真そうまがやっています。あの子はパソコンが得意なんです」


「この宿のどこかにネットが使える部屋があるんですか?」


「違うよ」とバルコニーから出てきた藍子が宇佐美の疑問に答える。「蒼真君は、港近くに家を持ってるの。そこなら普通に電波が通じるんだよ。『翠眼亭すいがんてい』の予約もホームページの更新もそっからやってんの」


「港まで、車で十分ほどですよね」と宇佐美は、美土里に向かって言った。「蒼真くん達、戻ってくるのが遅すぎませんか?」


「蒼真は、自分のボートで隣の島に行ったんだと思います」と美土里。「島の者は皆、のんびりしていますから、その方が早いと思ったのでしょう」


「風が強いから、なかなか船が出せないのかもね」と藍子は空いてるベッドに座った。正面のユカからクラッカーを貰う。


 いったいどれだけの時間こうしていなければならないのかと、滅入る宇佐美のシャツを誰かが引っ張った。

 シホだった。


「絆創膏、ちょうだい」


 小さな白い顔に大きく澄んだ瞳。整いすぎて大人びた顔をしているが、ツインテールのこの少女は、恐らく中学生だろう。

 宇佐美はシホの小さな手を見ながら、胸が痛くなった。


 ——もしかしたら、梅子を殺したのはこの手なのかもしれない。


 声を掛けられただけで、クラスの男子が舞い上がりそうな美少女だ。これから先、楽しいことがいっぱいあっただろうに……。


「ないなら、いいよ」


 シホの声に宇佐美は我に返った。「持ってきます」と気を取り直して、荷物台に置いたボストンバックに向かう。

 サンダルの音を立てて、シホもついてきた。


 宇佐美がバックから絆創膏を取り出していると、「これ、何?」とシホは、バックと一緒に荷物台に乗せていた黒のチュニックワンピースを広げた。


 それを見たマミが目を丸くした。


「宇佐美さん、部屋着にワンピース着るの⁉」


「おっ! そういう人だったか」と藍子が茶化すように笑う。


 ユカは鼻と口を押さえて顔を伏せた。「ヤバい、想像したら嬉しすぎて、鼻血でそ」


 マミはユカの背中を擦った。「すみません。この子、特異体質なんです」と藍子達に向かってペコペコ頭を下げる。


 大丈夫? という顔でユカを見る朱美。

 思いがけず客の秘密を知ってしまったというように美土里は、目を泳がせながらゴクゴクとペットボトルのお茶を飲む。


 宇佐美は女たちの顔つきをじっと見ていた。

 だが、宇佐美のカバンに入れられたワンピースを見ても、動揺する様子を見せた者はいなかった。


 その時——部屋の電気が突然消えた。


「なに? 停電?」と藍子の声。

「やだ、怖い」と朱美の声。

「ブレーカー、見てきます」と美土里の声。


 僕も行きますと宇佐美は言いかけたが、「みんなで下に行きましょう」と呼びかけた。


「これ、使える」とマミの声と同時に赤いライトが点いた。続いて、黄色と青のライトも点く。


「持って来てよかったね」と三人の推し活女子たちが、ペンライトを振っていた。

 




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