第23話 闇夜の逃亡者③
女たちはそれぞれ、亡くなった今井の部屋のドア前にお供物を置いた。
美土里が廊下に正座して般若心経を諳んじ始めると、皆それに
宇佐美も端座して手を合わせながら、離れた位置から女たちを観察した。
神妙な顔つきで頭を垂れるこの六人の女たちの中に、ドアの向こうに梅子の死体があることを知っている者がいる。
そしてその人物は、警察官の宇佐美がその事を承知しているにもかかわらず、平然としているのだ。
よほど腹が据わっているのか、単に自分が侮られているのか——。
犯人が廊下で梅子の首を絞めて、今井の部屋まで引きずったとは、宇佐美には考えられなかった。
廊下を歩く微かな靴音を聞きつけられた自分が、いくら小柄で痩せているとはいえ、梅子が引きずられる音を聞き逃したなど、宇佐美は想像もしたくない。
犯人は今井の部屋に梅子を招き入れて殺害してから、急いで自室に戻ったのだろう。
犯行を終えて自分の部屋に戻った犯人は、何食わぬ顔で換気扇の下でタバコを吸ったのか、鏡の前で化粧を直したのか、あるいは新しく出来た友人達とおしゃべりに興じたか。
それとも、実直な態度で宇佐美に付き添ってくれていたのか……。
——では宇佐美が聞いた足音は、なんだったのだろう?
足音を聞きドアを開けて、廊下を確認するまでかかった時間は一分程度だ。
犯人が部屋に戻るには短すぎる。
それに207号室の部屋を出た足の悪い梅子を、205号室の今井の部屋まで歩かせるだけでも五分はかかりそうだが、宇佐美はそこまで長い時間、廊下への注意を怠ったりはしていない。
あの足音は事件とは関係なく、自分と美土里が一階で梅子を探している間に犯行が行われたとみる方が自然かもしれない。
だとしたら梅子がいないと言ったマミ達が嘘をついていたことになる。
あの時まだ梅子は部屋にいたのだろうか——死体となって?
ユカがずっと自分と目を合わせようとしないのは、後ろめたさからなのか?
宇佐美の気分は、どうしようもなく暗鬱となってきた。
美土里の読経が終わり、女たちは立ち上がった。
宇佐美に言われた通り、全員ぞろぞろと201号室の宇佐美の部屋に向かい歩きだす。
宇佐美はシホの隣を歩いた。
「梅子さんが、部屋を出たのは何時頃かわかりますか?」
シホは首を振った。相変わらず宇佐美のサンダルを履き、歩く度にペタペタと音を立てている。
「梅子さんと何かトラブルがあったんですか?」
すぐ前を歩くユカが振り返った。
足が痺れたとかで、ユカの歩き方はぎこちなく、マミに腕を組んでもらっている。
ユカは困った顔でシホだけを見つめながら言った。
「……トラブルっていうほどのもんじゃ……ない、です」
「どうしてユカさんのスマホを梅子さんが持ち去ったと思うんですか?」
宇佐美が訊くと、シホとユカは何やら目配せし合った。
「梅子さん、ユカのスマホに、毒入れた犯人、写ってるって、思ったみたい。ユカは、食堂の様子、撮っただけなのに」
ユカはシホにちょんと頭を下げて、前を向いた。
ユカと腕を組むマミも振り返った。その通りだと言うように宇佐美に向かってうなずく。
「宇佐美さんに、スマホ見せた方がいいって、言ってた。だから、持って出て行ったかも」とシホは静かに続ける。
「正義マンっぽい人だもんね、あの人」と先頭を歩く藍子が振り返りながら言った。「やっぱ、宇佐美さんを探しに一階に行って、どっかで行き違いになったんじゃないの? 疲れて、自分の部屋で休んでるかもよ」
「みなさんは、録画したものを観ていないんですか?」
宇佐美が訊くとシホはゆっくりと首を横に振った。前を歩くユカとマミは無言だ。
「シホさんは、梅子さんの杖を持っていましたよね? 梅子さんは、杖を置いたまま部屋から出たんですね」
「部屋の外にあった」
「——外のどこですか?」
「207号室のドアノブにかけてあった。梅子さん、いないから、探しに部屋出たら、杖だけあった。杖持って、下、行こうとしたら、宇佐美さん、朱美さんの部屋から出てきた」
宇佐美は後ろを振り返り、207号室を見た。
柱の出っ張りがあり、ちょうどドアは見えない。
もしシホの言っていることが本当だとして、部屋を出た梅子は、なぜ杖をドアノブに掛けたのだろう?
両手を使わなければならないことでもあったのか?
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