第45話 黒い海⑥

「宇佐美様、すみません」と美土里が頭を下げた。「もっと早くお助けしようと思っていたのですが、藍子さんから何か証言を得ようとしてらっしゃるようでしたので、邪魔をしないようにしておりました」


「いえ、助けに来て下さり、ありがとうござ——」


 宇佐美も頭を下げたが、言葉の途中で藍子が口を挟んできた。


「私は何もしてないよ! 蒼真そうまが、私の知り合いに連絡しに行ってるから、今にこの男の正体がバレるよ」


「どうして、こんなこと——」と藍子に訊こうとしたら、今度は美土里に遮られた。


「蒼真は私の部屋にいます」と美土里は藍子を睨みつける。「身動きできないようにしました。警察が来たら、あいつを刑務所に入れてもらいます! あなたもですよ!」


「私は、この島を守ってるんです!」


「人をこんな目に合わせていい理由なんか、どこにもありませんよ!」


 ここは島のどの辺だろうと、周囲を見回しながら、宇佐美はいがみ合う女たちに割り込むタイミングを待った。

 ふいにシホが、シャツを引っ張ってきた。


「足、平気? さっき、ナイフで切っちゃった」


 シホは金と緑の凝った模様のナイフを握りしめている。


 何ともありませんと宇佐美は答えたが、左足の痺れは徐々に増していた。だがまさか、あんなかすり傷が痺れの原因とは思えない。

 そのうちに治まるだろうと、宇佐美は放っておいた。


「危ないですから、そのナイフは鞘に収めたままにして下さいね」


「遊戯室には、誰もいなかったんですか?」


 宇佐美が訊くと、シホは、こくりとうなずいた。


「屋敷に戻って、探しましょう」


 宇佐美が言うと、藍子と言い争っていた美土里はピタリと黙った。


「案内します」と懐中電灯を手に急な坂道を登り始める。「足場が悪いのでお気をつけ下さい」


「私は港に行くよ! 知り合いに連絡してくる!」と藍子は身軽に坂を下りていく。「その人の息子が警察庁に勤めてるから、あんたの身元照会してもらうよ!」


 警察庁とは、ありがたい。

 自分の職場だ。


「港が近いんですか?」

「この下は入江になってるんだ。モーターボートもあるし、港まですぐだよ」

「藍子さん、ぜひお願いします!」宇佐美は深く頭を下げた。「シホさんも美土里さんも港で警察が来るのを待っていて下さい」


 その時——。

 聞き覚えのある声が坂の上から聞こえた。


「シホ? いるの?」


 ユカの声だった。


「いるよ」とシホは青いライトを振った。


 黄色のライトが点き、坂道を転がるような足音と、泣き声が近づいてくる。


「シホちゃま! 無事でおじゃったか!」


「元気そうじゃん」と下から藍子の声。

「ユカさあん」と美土里は大きく懐中電灯を振った。「足元にお気をつけ下さい!」


「美土里さんですか! 無事なんですね!」

「宇佐美様もご無事です」

「やったー! やったー!」

「私も無事だよ!」と藍子が坂の下から大声を出す。

「……そうですか」


 美土里の懐中電灯に照らされたユカは、手に包丁を持っていた。


「よかった‼ みんな敵に捕まっちゃったのかと思いました!」

「……ユカさん、危ないですから、僕に包丁を渡して下さい」


「上で、マミと透くんが戦いの準備をしてます!」

「はあ?」

「船がたくさんこっちに向かって来てるんです!」

「それは、警察が殺人事件の捜査に——」


 宇佐美の言葉は、ユカの大声にかき消された。


「蒼真さんは、宝生一味が攻めてきたって言ってます……美土里さんの部屋の美術品を渡さないと、皆殺しに合うって……」


「うちの旦那は、関係ないよ」藍子が坂から駆け上がってきた。「蒼真がヤバい連中と取引しようとしたのが、悪いんだ」


 藍子は腕組しながら、宇佐美を見る。


「あんた、その仲間じゃないの?」

「やばい連中とは、なんです?」

「大陸から、ホンモノのマフィアがやって来るんだよ」

「(はあ?)……」


 美土里が坂道を上り始めた。

 藍子もそれに続く。


「お二人共、どこに行くんですか?」


「祖父や父から受け継いだ遺産を守ります」と美土里。「全てを安全な場所に移します」


「手伝わせて」と藍子。


 ユカとシホは宇佐美を見上げた。


「……行きましょう」と宇佐美が坂を上ると、二人は宇佐美に従った。


 左足の麻痺は、ますますひどくなっている。

 なぜか頭もぼんやりしてきた。




 

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