第44話 黒い海⑤
目隠しをされ、手足の自由を奪われているが、宇佐美の気がかりは別なところにあった。
ここがどこだかわからないが、下から風が吹いてくる。波の音も近い。
藍子は見晴台だと言ったが、崖の上かもしれない。
ぎこちない手で、宇佐美の縄を解こうとしている者は、藍子に隠れながら足場の悪い場所にいるのではないか——。
足首の縄を解いてもらった後も、何も見えない宇佐美は、気が気でなかった。
「藍子さんは、梅子さんの遺体をどこで見たんですか?」
とにかく時間稼ぎをしようと宇佐美は、藍子に語らせることにした。
「どうして梅子さんの遺体を205号室に運んだんですか?」
「——それより、朱美さんを殺したのは、あんたなの?」
突然、宇佐美は左膝の内側にチクリと痛みを感じた。
「あっ!」と短い声を上げたのは、宇佐美の膝に巻かれた縄を切っていた人物だった。
手元が狂い、切っ先を宇佐美に当ててしまったようだ。
「誰かいるの?」と藍子の鋭い声。「シホちゃん? 何やってんの、そんなとこにいたら危ないよ!」
宇佐美を助けようとしていたのは、シホだったのか。
やはり危険な場所にいるようだ。
「シホちゃん、私の手につかまって!」
背後にいた藍子が移動したのか、その声は今、宇佐美の足元近くで聞こえる。
「早く!」
「イヤっ!」
シホの声が聞こえた。それと共に岩が崩れる音。
宇佐美も慌てた。
「シホさん! 藍子さんに助けてもらって下さい!」
「そうだよ! ホラ、宇佐美さんの言う事きいて、私につかまって!」
「絶対、イヤ! あなたには触りたくない!」
シホが珍しく大声をあげる。
「でしたら僕の足につかまって下さい」と宇佐美は自由になった足を伸ばした。
「駄目だよ!」と藍子。「そんなことしたら二人共、海に落ちちゃう!」
「(……やれやれ……どこに連れてきてるんだよ……)でしたら、藍子さんが僕を支えて下さい! シホさんは僕につかまって!」
小さな手が足首をつかんでくる。
「シホさん、僕につかまりながら、そこから安全な場所まで、移動できますか?」
シホは答えなかった。
「シホさん? どうしました?」
足首を掴んだ手はそのままだが、静かな波の音しか聞こえない。
何が起きているのかと、恐ろしくさえなってくる。
「——それ、本物?」と背後で藍子の声がした。
「シホさん。ゆっくり上がって来て、宇佐美様の縄を解いて差し上げて下さい」
美土里の声だった。
「美土里さんですか? 僕の目隠し、取って頂けますか?」
「私は、
「だとしても、それは蒼真の問題です」と美土里の声が近づく。「あなたには、関係ありません」
目隠しが取られ、宇佐美はやっと周囲の状況が飲み込めた。
自分が括り付けられているのは、梅子の車椅子だった。
眼下は真っ暗な海。
シホは、宇佐美の足につかまりながら崖をよじ登ろうとしている。
藍子は宇佐美が座る車椅子をつかんでいた。
そして美土里は、藍子の頭に拳銃を突きつけている……。
宇佐美は凍りついた。
銃だと⁉
モデルガンか⁉
「……美土里さん、その銃はどうしたんです?」
「父のものです」
よかった。
遺品拳銃なら罪に問われない。
だが人に銃口を向けるのは、まずい。
「僕にその銃を預からせて下さい!」
「美土里さん」車椅子を押さえながら、藍子が言った。「こいつはニセ警官かもしれないよ。銃なんか、渡しちゃだめだ」
「私は宇佐美様を信じます」
「そう、残念だな」藍子が不愉快そうな声を出した。「私、美土里さんのこと大好きだったのに」
「私もです。でもそれはあくまで、お客様としてです」
突然、藍子は車椅子を持つ手を放した。
海に向かい車椅子が動く。
「おっと、手がすべった」と藍子はすぐにまた椅子を両手で支えた。
ふざけている場合かと、宇佐美はヒヤリとしたが、女たちは静かに睨み合いを続けている。
足を滑らせたシホがきつく宇佐美の足首を掴んでも、お構いなしだ。
「マミさん達をどうしたんですか?」と銃を構える美土里。
「マミさん? 遊戯室でしょ?」と銃口を向けられている藍子。
「シホさんと助けに向かいましたが、遊戯室には誰もいませんでした」
「知らないよ」
シホがやっと崖から這い上がった。
急いで、宇佐美の縄をナイフで切る。
「こいつは人殺しかも、しれないんだよ」と藍子は宇佐美を指差す。「自由にすると、何をしでかすかわかんないよ」
宇佐美はシホに礼を言って立ち上がった。
「マミさん達が、いなくなったんですか?」
宇佐美は訊きながら、美土里から銃を受け取った。
なぜか左足だけが痺れている。
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