第21話 闇夜の逃亡者①

 女の悲鳴を聞き、宇佐美は慌てて205号室——梅子の死体が横たわる部屋——を出た。


 ドア前には美土里が立っていた。

「……奥のお部屋からです……マミ様達の……」と、眉間に皺を寄せて宇佐美を見上げる。


 階段を挟んだ204号室から、ドアを開けて藍子も出て来た。「何があったの?」と、不安そうな顔つきをする。


 206号室の朱美も部屋から出ていた。

 怯えたような顔で、宇佐美を見てくる。


 宇佐美は廊下の一番端の部屋に足早に向かった。

 すれ違いざま、朱美が宇佐美の腕を掴んでくる。


「怖い……」


 朱美は小刻みに震えていた。

 本気で何かを恐れているように、宇佐美には見えた。


 ——これが演技ならたいしたものだ。


「お部屋に戻って、中から鍵をかけて下さい」


 宇佐美は朱美の手をそっと外すと、208号室に向かった。




 208号室をノックしたが返事がないので、宇佐美はドアを開けた。


「どうしました——」


 部屋はひどい有様だった。

 嵐が去った後のように荷物が散乱している。

 部屋の真ん中ではユカが座り込んでいた。宇佐美を見るとユカは正座をして頭を下げた。まるで土下座をしているようだ。


「ああ、宇佐美さん、いらっしゃい」とドアの横のクローゼットからマミが出てきた。


 ベッドの下からシホも這い出てくる。


「皆さん無事ですか」と三人を見ながら宇佐美は安堵した。「悲鳴が聞こえたので、様子を見に来ました」


「ユカのスマホが……」


 マミが言いかけると、ユカが大声で止めた。


「やめて! 言わないで!」とユカは頭を抱える。


 ユカのスマホがないんですと、マミが宇佐美に囁いた。


「そうですか——」


 スマホが見当たらない程度の騒ぎならよかったと、宇佐美は部屋を出ようとした。

 だが、ベッド下から出てきたシホが宇佐美のサンダルを履くのを見て、妙なことを思い出した。


 藍子の部屋を出る前、宇佐美は廊下からシホのサンダルの音を聞いた。

 音がしたのは、サンダルの音だけだった——大勢の女が廊下にいたのにも関わらず。

 

 シホがサイズの合わないサンダルを、引きずりながら歩くのを宇佐美は見つめた。


「靴擦れ、大丈夫ですか?」


 シホはコクリとうなずく。


 宇佐美は、考えていた。

 自分の荷物から黒いワンピースを見つけた時、廊下で聞いた足音を。

 あれは、誰だ?


 梅子の死体が履いていた靴は、ゴム底のスリッポンタイプだった。


 ユカとマミは、部屋に備え付けのスリッパを履いている。

 朱美も藍子も廊下では同じく宿のスリッパを履いていた。


 美土里は布製のモカシンを履いていたが、宇佐美が部屋にいる時、美土里が廊下を歩く足音が聞こえたことはない。


「——スリッパに履き替えた方が、楽じゃないですか?」


 考え込みながら宇佐美が言うと、シホは首を振った。

 サンダルを脱いで、自分の足を見せる。


「血が、ついちゃう」


 シホの小さな足は絆創膏が貼られた踵だけでなく、小指も血が滲んでいた。


『翠眼亭』のスリッパは、ビジネスホテルなどでみかける使い捨てのものではなく、いかにも肌触りのよさそうな、ふわふわのタオル地のものだった。

 シホは、それを汚すのを気にしたのか。


「——ねえ、やっぱ言った方がいいよ」

「絶対ヤダ!」


 部屋の中央では、マミとユカが何やら小声で言い合っていた。


「絆創膏持ってきます」と宇佐美はシホに向かって言い、部屋を出ようとした。


「宇佐美さん! ユカは藍子さんがお茶を淹れているところを動画に撮っていたんです!」


 マミが言うと、ユカはマミの口を塞いだ。「宇佐美様には観せられないんだってばよ!」


 シホがペタペタと音を立てながら宇佐美に近づく、宇佐美をじっと見上げながら静かに言った。


「梅子さん、持って行ったかも」


「やめて‼」ユカが頭を抱えて突っ伏した。「男がモブレされてメス堕ちする同人漫画、いっぱいダウンロードしてんのに! そんなん、人に見られたら、社会から抹消されちゃうよ! ショタも入ってるし、マジヤバイって!」


 シホがユカの隣にペタリと座った。「許す」と、ユカの肩に手をかける。

 マミもユカの肩に手を乗せた。「私も好きだよ」

 ユカは顔を上げた。「同志よ!」と、二人の肩を抱く。


 目の前の女の子たちの間で、何が起こっているのかよくわからない。

 だが、とにかく——。


「みなさん、最後に梅子さんとお会いした時の事を話して下さい」


 肩を抱き合う三人に、宇佐美は言った。




 

 


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