第41話 黒い海②

 波の音で気がついた。

 潮の匂いもする。

 外にいるのは分かるが、目隠しをされているのか、何も見えなかった。

 何かに固定されているのか、動くと金属が軋む音がする。


「——宇佐美さん」


 すぐ後ろから藍子の声がした。


「……藍子さん……無事ですか?」

「椅子に縛られてるけど、無事だよ」

「目隠しはされていないんですね。ここがどこだか、分かりますか?」

「——『翠眼亭』の近く——崖の上の見晴台——」


 藍子の声はところどころ、波の音でかき消された。


「僕がいない間に何があったんですか?」

「——私はカップ麺食べ終わったら、急に眠くなった——物音で目が覚めたら……蒼真そうまと宇佐美さんが争ってた——」


「蒼真くんの他に、もう一人いましたよね? 僕はその相手から何か硬い物で殴られました」

「——とおるくん、かな」


 まさか、そんなはずないだろう。


 宇佐美の首を絞めた腕は、女のものだった。

 宇佐美はもがきながら、十キロの水を登山リュックに詰めて、笑いながら歩く藍子を思い浮かべていた。


「——透くんも、蒼真くんも小さな悪事は働いても、大きな事をする人たちとは、思えません」

「見誤ったね」

「蒼真くんとは、どこで知り合ったんですか?」

「そんな事きいて、どうすんの?」

「蒼真くんの人となりを知りたいんです。お願いします」


 しばらく、間があった。

 波の音だけが聞こえる。


「——蒼真は……うちの人がやってる店で、働いてたんだよ——結家ゆいけなんて、珍しい苗字だから、気になって……ちょっと話したら——若い頃に勤めて、すぐ辞めた会社の上司の息子だった——」


「フェリーを下りた時に、仰っていた方のことですか?」


「島育ちだかなんだかしらないけど、ぼけっとした上司でさあ……私、数年でその会社、辞めたんだけど——辞める時の理由が、そいつの下で働きたくないからって言ったんだ——まあ、理由は他にあったんだけどね……その上司、私が辞めた後、希望退職すすめられたらしいよ……」


「蒼真くんは、その人の息子さんだったんですか」


「——そいつ、職場に居づらくなって辞めたけど、次の職が見つからなくって——心病んじゃったらしいんだ……蒼真は大学辞めて、働いて……職を転々として、うちの人の店に来たってわけ……あんまり、いい店じゃないんだけどね……」


「蒼真くんは、そのお店を辞めてこの島に戻ったんですね。美土里さんとは五歳の時に別れたきりだと聞きましたが」


「——うちの人が蒼真に、儲け話はないか聞いたんだよ——そしたら蒼真がこの島にお宝があるって言い出したんだ……でもさ、初めは美術品目当てで、母親に会いに戻ったんだけど……美土里さんに、情が湧いちゃってさ……美土里さんの屋敷を、昔のままに復元したいって言い出したんだよ……」


「藍子さんも、美土里さんとは、お親しいようですね」


 藍子の声は相変わらず背後から聞こえるが、宇佐美の足元に何かが近づく気配がした。


「まあね……あんま、私の周りにはいないような真面目な女だからさ、ちょっと、びっくりした……こんな人が母親だったら、私もひねくれることなかったかな、なんて思ったよ……」


 足首に何かが当たった。

 宇佐美は身体を固くする。


「私と蒼真は、清い仲ってわけじゃないけど、どっちかっていうと、弟みたいに思ってたんだよ……あいつの父親とのこともあったし……美土里さんと知り合って、更に放っとけなくなった——」


 誰かが宇佐美の足首の縄を解こうとしている。


「——美土里さんと蒼真と私、家族みたいに思ってたんだ——ここって、ホント居心地のいい場所でさ……大切にしてたんだよ——」


「蒼真くんは、宝生さんのことを随分恐れているようですね」


「……蒼真は変わっちゃったんだ……どっかの大学教授が、美土里さんの美術品には、とんでもない価値があるって、吹き込んだらしくって——」


 宇佐美の縄を解いている手がビクリとなった。


「もっと金になるはずだって言い出して、別な闇ルートを探し始めちゃってさ……うちの人も面白くないから、蒼真が抱えている借金をすぐに返せって、脅したんだよ……でもさ、蒼真は疑ってるけど、うちの人も、朱美さんを殺したりは、しないと思うんだよね……あんたは、犯人分ってんの? 今井と梅子さんを殺したのは朱美さんなんだよね? でもさ朱美さんをあんな酷い殺し方したのって、誰なの?」


「梅子さんが亡くなってると、どうして知ってるんですか?」


 藍子は黙った。

 宇佐美の足首から縄が解けた。

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