第19話 二人目の犠牲者③

 宇佐美は、美土里と共に再び二階に上がった。

 左翼の一番奥、201号室の自分の部屋の鍵を開ける。


「美土里さんは廊下で待っていて下さい。誰かが部屋から出てきたら教えて下さい」


 はいと、美土里はうなずいた。

 宇佐美の緊張が伝わったのか、顔が強張っている。


 部屋に入った宇佐美は、荷物台の上のボストンバックを見た。その横には黒のワンピース。

 両方とも出ていった時のままだった。


 クローゼットやベッド下、人が隠れられそうな場所を確認してから、浴室に入った。

 浴室の反対側のドアを開けて、続き部屋になっている隣の202号室に入る。


 隣室も最後に見た時のままだった。

 とおるのカバンが床に置かれている。

 再び人が隠れられそうな場所を全て点検した。

 ドアの鍵がかかっているのも確認して、その部屋を出た。


 宇佐美は自分の部屋のドアから廊下に出た。

 言われた通り廊下を見張っていたのか、部屋に背を向けていた美土里が振り返る。


「203号室も見せてもらいます」と宇佐美は部屋の鍵をかけた。




 202号室の透の部屋の前を過ぎて、宇佐美は203号室——これからやって来る藍子の夫の部屋に合鍵を使って入った。

 美土里はまた背を向けて、部屋の前に立つ。


 チェックイン前の全てが厳密に整った部屋だった。

 クローゼットとベッド下を見る。

 洗面所も確認した。

 ここはペンションというより、プチホテルのように各部屋にバスタブとトイレがついているようだ。


 窓辺に置かれた肘掛け椅子の横の丸テーブルに、青磁色の小皿が置かれていた。

 灰皿に使うのだろうか。

 宇佐美の部屋にはなかったものだ。

 気になり、冷蔵庫を開けてみた。

 白ワインやビールが冷やされている。


 宇佐美は203号室を出た。

 背中を向けていた美土里が振り返る。


「藍子さんのご主人は、タバコをお吸いになるんですか?」

蒼真そうまからそのように聞いています」


 やはり予約した客に合わせて備品を変えるようだ。


「冷蔵庫のお酒も、本人が希望した物ですか?」

「いえ。宝生様は何も仰らなかったので蒼真そうまから聞いて、お好みの物を入れさせて頂きました……他の方のお部屋にもそれぞれリクエストされたお飲み物をサービスで入れさせて頂いております」



 次に宇佐美は204号室の藍子の部屋をノックした。

 藍子はすぐに出て来る。

 ゆったりしたTシャツにジョガーパンツ姿の藍子は素足だった。 


「梅子さんいた?」


「見つかりません」宇佐美は困った顔で笑った。「念のため、お部屋を確認してもよろしいでしょうか?」


「心配だね」と藍子はドアを大きく開けて、宇佐美を中に入れる。


 美土里は藍子に会釈をするとまた背を向けて廊下を見張った。




 藍子は登山用の大きなリュックから荷物をほとんど出していた。

 クローゼットには服がかけられて、小さくなったリュックが転がっている。


「浴室も確認させて下さい」


「どうぞ、刑事さん」と藍子は笑って、自ら浴室のドアを開けた。


 浴室の洗面台には乱雑に電動歯ブラシや化粧品の類が置かれていた。

 ただその化粧品は、宇佐美でも名前を知っている高級ブランドのものばかりだ。

 便座の上に丸い小皿が乗っている。中にはタバコの吸い殻が数本。

 換気扇の真下でタバコを吸ったのかと、宇佐美は天井を見ながら思った。

 その小皿を手に取ってみる。

 形は違うが、203号室にあったものと同じ——灰皿にされるには気の毒なくらい美しい青磁色だった。

 実は貴重な古美術だと言われても納得しただろう。

 ずっと眺めていたいような、透明感のある小皿だった。


 浴室から出てきた宇佐美を、肘掛け椅子に足を組んで座る藍子が、笑顔で迎えた。


「失礼します」と宇佐美は床に這いつくばってベッド下を見る。


「梅子さん、見つかった?」と藍子が可笑しそうに言う。


 宇佐美は立ち上がった。「お休みのところ、すみませんでした」


「あの子達から聞いたんだけど、梅子さんのこと、仲間はずれにしちゃったらしいんだよ、それで梅子さん、拗ねちゃったんじゃないかな? お年寄りって、子供返りしちゃうもんね」


 宇佐美はベッド脇に置かれた、いくつものペットボトルを見つめた。

 二リットル入りが全部で六本ある。


「水ですか?」

「欲しい? 好きなだけ持っていっていいよ」

「これ全部、リュックに入れて持ってきたんですか?」

「トレーニング。来月北アルプス、縦走するからね」


 藍子は立ち上がり、冷蔵庫からビールを取り出した。


「まだ飲まない方がいいですよ」

「体調、戻ったよ」

「はっきりとは分かりませんが、お茶に入っていたのは恐らく、ジスルフィラムではないかと思うんです」

「ジス……何、それ?」

「普通はアルコール依存症の方がお酒を断つために使うものです。少量でも服用すると、肝臓がアルコールを分解できなくなるので、飲酒するとすぐに急性アルコール中毒と同じような症状に苦しみます。脳にお酒を飲むと酷い目に合うんだと覚えさせて、飲酒欲求を失くすための薬ですが、レイプドラッグとして使われたり、既往症のある方が自己判断で使用して、亡くなったケースもあります」


 藍子は組んだ足を戻して、驚いた顔をした。


「……そんな薬……なんで、入ってたの?……マミちゃんが、毒の臭いがするって言ってたよね? その薬、臭いがするの? 私、お茶を淹れている間、全然気づかなかったよ」


「薬自体は無味無臭です。マミさんは、お酒を飲まない方なのだと思います。ご家族も飲まないし、飲み会の席にもあまり行かないのか、お酒臭さを初めて嗅いだのではないでしょうか。あの時、今井さんからも藍子さんからも、お酒の臭いがひどく臭いました」


「うわっ、ごめん」と藍子は口に手を当てた。


「本来なら分解されるアセトアルデヒドが、薬のせいで体内に蓄積されたままになったんです」


「でも、なんで? 昼から飲んでる奴に鉄槌を下したい人がいたの? 心臓が悪い今井さんは、たまたま運悪く死んじゃって、丈夫な私は助かったってこと?」


「分かりません。とにかくしばらく、お酒は止めて下さい。嫌酒薬は一度服用すると、十日は効果が続くと聞いたことがあります」


「わーっ! 十日も飲めないのぉ!」


 藍子は笑いながら頭をかいた。


「水をたくさん用意していてよかったですね」


 宇佐美は部屋を出て行きかけて、藍子の夫の事を思い出した。


「蒼真さんが、ご主人に事件のことを知らせているようですよ」


「なんだ、独身じゃないってバレたか」と藍子はまた足を組み、腕を組んだ。「宇佐美さんのこと、狙ってたんだけどな」


「お名前は、なんとおっしゃるんですか?」


宝生兼貞ほうじょうかねさだ。戦国武将みたいでしょ。仕事でほとんど中国に行ってるから、あんまり会ってないよ。だから離婚しないで済んでるのかも」


「こちらに向かっているんですよね?」


「さあ、どうかな」と、藍子はそっぽを向いた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る