第二十八話 想い合う対峙
突然の雨……それが普通の空模様、よくある天気の変化であったならば人々の心を少々陰鬱な気持ちにさせるだけだったかもしれないが、降り注ぐ雨粒の一粒一粒に今まで築き上げた基盤が崩れ去る程の未知の猛毒が含まれていたとなれば話は大きく変わってくる。
「ティス様はとても活発な方でした……いつも雨が降ると外に飛び出しては楽しそうに駆けまわり、帰って来る頃にはすっかり冷えて汚れてしまった体を一緒に温かいお風呂に入りながら洗ってさしあげる……私の大好きな時間の一つでした、その日も同じように元気に飛び出したティス様が風邪をひかれないか心配しつつ湯浴みの準備をしなければなどと呑気に考えていたせいで異常に即座に気が付く事が出来ず、窓の向こうの猛毒の雨の中で手を振るティス様に手を振って答え……そのまま地面に力無く倒れ込むその瞬間まで私は、私は何も気が付く事が出来ませんでした……!」
俯き、固く握られた彼女の拳が僅かに震えていた……きっと昔の私は雨も好きだったのだろうが、それはきっとその後に待っているナターシャとの入浴が大好きだったからに違いない。
「すぐに飛び出し、降り注ぐ雨粒が我が身を溶かす事も気に留めずティス様を抱えて施設内に飛び込みました……ですが既にティス様の呼吸は止まっており、雨が内部機構にまで侵入した私はやがてその機能を停止しました……。僅かに記憶に残っているのはヴィオレッタ様が息絶えたティス様とリリア様を抱えて雨の中に消えていくところでした、お止めしようと何度も叫ぼうとしましたが体は動かず、気持ちに音が乗る事も無く……ようやくこの体の自動修復が完了し、動けるようになったのはほんの数年前の事です」
「……そうだったの、ここでそんな事が……」
ナターシャの握る拳がギリギリと音を立てている、その小さな握り拳の中にどれほどの自責の念が込められているのか……私には想像する事しか出来ず、思わず目を伏せてしまう。
「私は自分の無力を嘆きました、ティス様を守れなかった自分をどうしても許す事が出来ず……自壊しようと考えた事も何度もあります、ですがこの施設に残るティス様やヴィオレッタ様との思い出を捨てるわけにもいかず、未練がましく生き続け……結局私に出来るのはいつか皆様が戻って来るという幻想を抱きつつこの施設を維持する事だけでした……心に穴が空いたかのような虚しさを誤魔化すように施設中を歩いては清掃し、こんな野菜まで育てて……残念ながら、これは失敗作ですけどね」
痛々しく笑いながら赤々と色付いた果実を指先でつつくとあっさりと千切れ、ぼとりと土の上にずっしりとした実が落ちた。そのまましばらく黙り込んだかと思うと不意に振り返ったナターシャは目の前で跪き、私の足にその両手をそっと乗せた。
「ですが奇跡が起きました……再びティス様とリリア様が私の元へと帰って来て下さった! これ以上の喜びがありましょうか……!」
ゆっくりと頭を下げたナターシャはその額を私の膝の上に乗せた、僅かではあるが彼女の体の震えが伝わってくる。
「どうか、どうかお願いですティス様……最上層にはまだ稼働している戦闘用ドールが残っているかもしれませんし毒溜まりがあるかもしれません、私から全てを奪ったあの雨が何をきっかけで再び降り出すのかも分かりません……私にはもう、何も分からないのです」
「……ナターシャ」
「どうか、どうか私の願いを聞き届けてくださいティス様……もしも、もう一度貴方様を失うような事があれば私はきっと壊れてしまうでしょう……」
膝の上で震えながら懇願するナターシャの頭の上にそっと手を乗せる、彼女の気持ちは痛い程よく分かる……無力を嘆きたくないと戦い方を学び、力を振るってきたが私は結局
「ナターシャ、貴方は最上層に行った事があるの?」
「……いいえ、私はあくまでもティス様やリリア様を警護する為に作られたドールですから……上層におられる時はヴィオレッタ様を含むお三方の警護を私が担当した事もありましたが、最上層に行かれる際は別のドールが担当しておりましたが……恐らく雨が降った際に……」
「そう……」
「……お姉ちゃん?」
やはり行きつく先はそこだろう。雨は何故降ったのか、そして再び降り出す事はあり得るのか……生き証人とも言うべき時計屋が最後まで何も語らなかったのは彼女もまた何も知らなかったのか、ナターシャのように明日も何も起きませんようにと祈り続ける気持ちも分かるが……やはり私の中に流れる時計屋の血は濃いらしい。
「二人とも聞いて欲しいの……私達はあの雨によって家族を失ったわ、こんな事がもう絶対に起きて欲しくないと思うのは私も同じよ、でもナターシャの言う通り雨が降った理由については何も分からないままだし……もう地上にその理由が分かる人間は存在しないの、これほど怖い事が他にある?」
「ティス様……?」
「私達の寿命は人間のそれよりも遥かに長いわ……ここは安全かもしれないけど、長い時間の中で私達はいつ再び降るか分からない雨に怯え続ける事になる。そんなの私は嫌なのよ……いつか来るかもしれない家族を失う日に怯え続けるなんてのはね、もう誰かを失うなんてまっぴらごめんなのよ!」
無駄かもしれないし、むしろ最悪な引き金を引く事になってしまうかもしれない……その危険性は分かっているつもりだ、でも雨を止める方法か二度と毒の雨を降らせない方法が少しでもあるかもしれないなら……例え僅かな可能性でも、私はそれに賭けてみたいと強く思う。
「雨がただの神様ってやつの気まぐれなら私達に出来る事は無いわ……でも仮に原因が人間の兵器やドールによるものなら私達でも何とか出来る筈よ、時計屋だっていつも言っていたじゃない? 時計の針を進めるのはいつも人間の思い込みだって!」
時を定めたのは人間だ、それが正しいものか間違ったものなのかはさておき集団からの認識を得た時はやがて時間という概念となった。
であればその時を進めるのもまた人間達の思い込み……いつか時計屋が話してくれた彼女の考えの一つだ。人間は闇雲に手を伸ばし、やがて掴んだそれが光り輝くのを感じてようやく時の進みを実感する……だったか?……ああそうだ思い出した、その後私がどうせそれじゃ満足出来ないからまた手を伸ばすんでしょう? と聞いたら喉を鳴らして嬉しそうに、だから時間は止まらないんだって笑ってたっけ。
「……懐かしいお言葉です。当時は未熟故あまり理解出来ませんでしたが、今ならばほんの少しだけ分かる気がします……」
人間は滅び、ただただ形だけが残ったこの終わりの世界は時間は進んでいても時は止まっている……もし再びこの世界の時を進める事が出来る者がいるとすれば、それは私達だろう。
「ナターシャ、今を守りたい貴方の気持ちは痛い程に伝わったわ……でも私はある時突然また家族を奪われるかもしれないなんていう恐怖にただ耐える事は出来ないの……最上層に行ったところで何も出来ないかもしれない、それでもこの目で見て知れる事を知っておきたいのよ……やれる事は全部やって、諦めるのはそれからでもいい筈よ」
自分がどれだけ酷い事を言っているのかは分かっているつもりだ、だがナターシャが私達を守ろうとするように……私だってナターシャを、家族を守りたい。
「……では、最上層に向かわれる意思に変わりは無いという事ですか?」
「ええ……ごめんなさい」
「そう……ですか、残念です……」
顔を上げ、ゆっくりと立ち上がったナターシャは服に着いた小石を払うとヴェール越しに私をしばらく見つめ……くるりとこちらに背を向けた。
「ティス様……もう少しだけ、私にお付き合い頂けますか?」
「……分かったわ」
背を向けたまま歩き出したナターシャの数歩後ろをついて行く、結局彼女は移動中一言も言葉を発する事無く私達の間には重苦しい空気が漂っていた。
「こちらです、ティス様」
ようやく振り向いたのは重厚そうな扉の前だった、窓などは無く中の様子は分からない。
首を傾げて扉を眺める私をよそに扉の横にあるボタンを押すと重い金属を引き摺るような音と共に扉がゆっくりと左右に開いた、するりとナターシャが中へと入るのを見て私も扉の奥へと歩を進める……扉の奥は天井が高く、四方を頑丈そうな金属の壁に囲まれただだっ広い空間が広がっていた。
ナターシャと食事を共にした温かな空間とは違い無機質で、漂っている空気もひんやりと冷たい気がする。
「……ここは?」
「以前は大型魔導車用の車庫として使用されていた場所ですが……恐らく私が機能停止中に侵入した者が車を盗んで行ったのでしょう、今では御覧の通り何も無い……ただの金属の箱です」
「そう、それで……どうして私をこんなところに? 音楽は響きそうだけど、ダンス会場に向いているとも思えないわよ?」
部屋の隅に転がっていた金属製のコンテナをつま先で蹴り、首を振りながら冗談交じりに聞いてみるが彼女の考えにはとっくに気が付いていた、私の予測を裏付けするかのように真正面に向かい合って立っているナターシャには全くと言っていい程に隙が無かった。
「……先程もお話しましたように最上層には損傷はあるでしょうが起動中の戦闘用ドールがいるかもしれません、更に思考プログラムに異常が起こっている場合いわゆる暴走状態となり襲いかかって来る事も充分に考えられます……一体程度であればティス様でも対処可能かもしれませんが……失礼ですが、戦闘用ドールとの戦闘経験はおありですか?」
「無いわ、地上に出る直前に
「失礼ですが、その程度の戦闘経験では到底最上層に送り出す訳には参りません……私は二度とティス様を失いたくありません、例えティス様に嫌われようとも……今度こそその身をお守りさせて頂きます」
「何があっても嫌わないわよ、貴方は私の大切な家族だもの……それで? 貴方に勝てば行く事を許してくれるのね?……
「っ……! 気付いておられたのですか?」
「当然でしょ、見た感じ貴方は
規格がある程度決まっている正規型よりも量産に向かない装備等が組み込まれるのが試作型だ、それにあの変わり者の時計屋のお手製ともなればどんな魔改造が施されているのか想像もつかない。
「それより、リリアを安全な場所に置いておきたいんだけど……どこがいいかしら?」
「リリア様はこちらの硬質ポッドの中に……中の液体は魔力で操作可能なので自由に視点が動かせるかと」
「随分準備が良いのね……もしかして私が最上層に行くのを止めないって分かってた?」
「……そうならなければ良いと、思っておりました」
ナターシャが差し出したのは内部が青く光る液体で満たされたカプセル型の容器だった、リリアをカプセルの中へとそっと投入し倒れないように部屋の隅のコンテナの上に固定する。
「お、お姉ちゃん……」
「大丈夫よ、何も問題無いから安心して貴方は安心して見ていなさい」
コンテナから飛び降り、再びナターシャと相対するとその身から立ち上る威圧感に気圧されそうになる……これでただの奉仕型ドールなんて絶対嘘だ。
「では……最後に確認しますが、本当に最上層に行かれる気持ちに変わりはありませんか?」
「ええ……無いわ、私は最上層に行って何があるのかをこの目で確かめてくる……おいで、エルマ!」
腕を横に振り抜きながら叫ぶと青い光を放ちながらエルマが空中に現れた、魔力を消費して行える一方的な強制テレポートのようなものだ。
「ん……ん!? ど、どういう状況ですかこれ! 何でティスさんとナターシャさんが……?」
「説明は後よ、これからナターシャと戦うから力を貸して頂戴」
「えぇ!? ほ、本気ですか!?」
まだ状況が飲み込めていないのかエルマが私とナターシャを順番に見比べながらオロオロとしている、まぁ寝ていたところを叩き起こしたのだから無理もない。
「悪いけどこっちは二人で行くわよ、エルマと私は一心同体なんでね」
「もちろん構いません、ティス様には全力を出して頂かなくては意味がありませんから」
そう言葉を放ったナターシャの正面に既に私はいなかった、一瞬で彼女の頭上まで飛び上がった私は体を大きくひねる。
「──
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