第二十二話 不完全なホムンクルス

 ヴィオレッタ・ハーティルドール。

 もちろん私はその名前を知っているしその人物については他の誰よりも知っている……つもりだ、だが目の前で全身を錆に侵されながらも歓喜の叫びを上げる女性を見ていると自分の中の自信が脆くも崩れていくような感覚を感じる。


「ちが……私は、ヴィオレッタじゃ……」


「そうですよメリエダさん、彼女はティス様……ティス・ハーティルドール様です」


「……え?」


 メリエダと呼ばれた錆に飲まれた女性は聞こえていないのか返事をする様子もこちらを見ようともしない、いや……恐らく視力や聴力などは既に失っているのだろう、それより今ナターシャは何と言った? 確かに私は時計屋クロッカーの手によって作られたが、一度としてハーティルドールの姓を名乗った事は無い……当然だ、私が作られた時には時計屋はとっくにその名を捨てていたのだから。

 ナターシャが私をティスと呼ぶのは最初に彼女を襲撃した際にエルマが私の名を叫んだせいだと思っていた、突然耳に飛び込んで来た名前と故障し朧げな記憶が合わさっただけだと。


「……ティス・ハーティルドー……ル?」


『はーい!』


 ポツリと口からこぼれた自分のものの筈なのに聞き慣れないその名前に、誰かが返事をした。

 ハッとして振り返るとそこに立っていたのはあの夜、窓に映り私の前に現れた髪の長い少女だった……相変わらず黒い大きなリボンの目立つその髪を揺らしながら今度はその瞳でしっかりと私を捉えてニコリと笑っている。


『今日はちゃんと私の声が聞こえているみたいね、ここに来たからかな?』


「何を言って……エルマ!……エルマ?」


 いくら叫んでも返事が無い事を不思議に思い視線を彼の方に向けるがエルマはメリエダの方を向いたまま動かない……ナターシャもだ、いくら声をかけても肩を揺らしてもまるで時間が止まったかのように微動だにしないではないか。


『今は貴方と私だけよ、その方が色々と話しやすいでしょう?』


「話って……別に私は、話したい事なんて……」


『あるでしょう? だって今の貴方の心の中……今まで見た事が無いくらいにグチャグチャよ?』


「っ……やめて!」


 俯きかけた顔を上げ、私の胸元を指差す目の前の少女を睨みつける……誰だか知らないが私の心を見透かしたかのような言葉には我慢がならなかった。


「一体誰よ貴方! どうして私の前に表れるの、どうして私の心を乱すの……! なんなのよ貴方!」


 外見は華奢な少女だが、もう知るものか……足に力を込めて駆け出し、一瞬で距離を詰めると体をねじり少女に向けて回し蹴りを繰り出す。

 瞬脚ブリンクはしないし手加減もしている……だが最後まで足を振りぬいても足に何の感触も伝わってこず、しかし少女は相変わらずそこにいる……足が、体をすり抜けた?


『相変わらず綺麗な蹴りね……私も格闘技の練習はしてたけど、とうとう習得出来ないままだったから……羨ましいわ』


「貴方……誰よ?」


 胸に刺さったままの足をそのままに視線を落として少女に問い掛ける、一瞬ポカンとした表情を浮かべた彼女だったがすぐに口元に手を当ててクスクスと笑い始めた。


『やだ、答えが分かってるくせに聞くの? まさか本当に分からない訳じゃ……』


 少女が最後まで言う前に今度は全力で足を振り下ろし床を強く叩いた。

 砕けた床片がキラキラと光を反射しながら宙に舞い上がり……落下する事無く空中に停止する、少女に怯んだ様子は無くただまっすぐにこちらを見据えていたがすぐに少し俯き、目を伏せると軽く頭を下げた。


『……ごめんなさい、誰かと話したのは久しぶりだったから少し調子に乗ってしまったわ。怒らせるつもりは無かったの、ホントよ?』


 謝罪の言葉を口にした少女は数歩離れ、私に背を向けた。


『第二世代の人類……ホムンクルス……当然、貴方もよく知っている言葉よね?』


「……ええ」


『魔導石産業の第一人者であるハーティルドール家の姉弟、ヴィオレッタとオスカーが地下へと逃げ込んだ先で人類を絶やすまいと作られた次の人類……でも、言うのは簡単だけど一人の人間を作るっていうのはとても難しい事なの……貴方もそれは分かるでしょう?』


 黙って頷く、もちろん分かる……その証拠に私は未だにリリアの体一つ満足に作れていないのだ、機械であれば試行錯誤を重ねる事も可能だが魂の入る肉体ともなれば失敗は許されない……故に私は死体であろうとなんだろうと参考になるものは利用してここまできたのだから。


『二人の技術力は凄まじいものだったわ、でも知識でも技術でもなく二人の意地や考え方のせいでそれぞれに作られたホムンクルスは完璧ではなかった……オスカーは経験や学習を軽んじたせいで知能の低いホムンクルスしか作る事は出来ず、ヴィオレッタは……』


 少女はそこで言葉を切った、体を揺らし迷っているようにも見える。

 ……確かにオスカーのホムンクルスは筋力などはあったが知能は低く言語能力も怪しかった、長姉のヤコがようやく会話を習得した事からも人間の基本的な水準まで達するにはまだ時間がかかるだろう。

 一方ヴィオレッタ……時計屋のホムンクルスである私達は肉体の欠損が生まれた時からあった、私は右腕と両足を……そしてリリアは肉体そのものが……この事に何か明確な要因があったとでも言うのだろうか?


『ごめんなさい、続けるわね……ヴィオレッタはホムンクルスを作る際に自分の遺伝子に加えてある人物の肉体をそのまま素材にしたの、猛毒の雨の影響で死に瀕した自らの娘の肉体をね』


「っ……! じ、じゃあ貴方は……やっぱり……」


 ゆっくりと振り向いた少女の瞳は涙で潤んでいた、それを袖で拭い気持ちを固めるように息を吐き出すと静かに頷く。


『ええ……私はティス・ハーティルドール、ヴィオレッタ……貴方が時計屋と呼んでいた女性の娘よ』

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