第二十一話 錆に飲まれた者は叫ぶ
「ふんふん、ふーん……ふふっ」
「……ご機嫌ね」
「はい! こうして再び出会えて、嬉しくない訳がありませんから!」
「……そう」
……正直訳が分からない出来事が一気に起きたせいで未だに頭が混乱している、私は地底都市ズーラで
当然地上に出たのだって今回が初めてだ、なのに何故この奉仕用ドール……ナターシャといったか?……どうにもこの子は私の事を知っているらしい、訳が分からず呆けている内にこの子が出てきた扉の奥にある私室へと連れ込まれてもてなしを受けてしまっている……部屋を見渡しても観葉植物や料理に使う香辛料などが詰められた瓶など落ち着いた雰囲気の部屋からも、目が合うと微笑みで返してくれるこの子からも敵意が一切感じられない。
「どうぞ、今でも紅茶はお好きですか?」
「まぁ……紅茶は好きよ」
そう言って綺麗な布が敷かれたテーブルの上に温かな湯気を上げる紅茶の入ったカップと白い陶器の小瓶が置かれた……小瓶の蓋を開けて中身を覗き込んでみるが入っているのは照明を反射してキラキラと輝くただの粉砂糖のようだ。
ナターシャから距離をとり、テーブルの端に佇むエルマの方をチラリと見るが何も言わない……毒の類は入っていないという事か。
どうするか少し迷った後に備え付けのスプーンで砂糖を数杯紅茶の中に注ぎ、何度か息を吹きかけ慎重に口に運ぶ……何だか懐かしい柔らかな甘みと湯気と共に広がる花の香りが鼻をくすぐり、喉や胸を温めつつ体内に流れていくのを感じ思わずほっと息が漏れる。
「……ふふっ」
「……なによ?」
傍に立ったまま口元に手を当て笑うナターシャの意図が分からず軽く睨みつけると、慌てて手を振って誤解だと叫んだ。
「す、すみません……! 幼い頃も苦い物が苦手でよく砂糖を使ってらしたので、ついその事を思い出しておりました……大きくなられた今では失礼ですよね、申し訳ございません」
「い、いや……別に謝る必要なんて無いわよ!」
お辞儀の基本のように綺麗な所作で深々と頭を下げられ逆にこっちが慌ててしまった、何だかこの子に対しては強く出られない自分が凄くじれったい。
……それにしても幼い頃だって? 私は生まれた時からこの姿だ、という事はこのナターシャとかいう奉仕用ドールは私をこの施設の患者か関係者と勘違いしているのだろう……その原因も思い当たるし気は進まないが確かめる術は、ある。
「貴方……昔はそんなヴェールを着けて無かったわよね? どうしたのそれ?」
もちろんハッタリだ、だが確信を持っているので顔色一つ変えずにいう事が出来た。
ヴェールだろうが仮面だろうが雨の後に何かで顔を隠す人達はこの目で沢山見てきたのだ……そして、恐らく彼女も同じ理由だろう。
「あ……はい、実はその……例の雨の影響で顔が少々崩れまして、修復資材の確保もままならぬ状況なので間に合わせをつけております」
やはり、軽くため息をつきながらカップをテーブルに置かれたソーサーの上に戻す。
何の事は無い、彼女もまた猛毒の雨の被害者……先に出会った屑齧りと同じく生き残ったものの重大な不具合が起きているだけの哀れな存在なのだろう、彼女の場合は認識能力か記憶野に影響が起きているようだ……その割にしっかりと会話が成立してるのが不思議だが。
「ひどい雨だったものね……それより、私は貴方の顔が見たいの……いいかしら?」
「ええ、と……今申し上げました通り、とてもお見せできる顔では……その……とても人に、ましてやティス様にお見せできるような顔では……」
先の屑齧りは話の通じるような相手ではなかったがこのナターシャは違う、襲いかかってしまった手前負い目を感じているのかもしれないが……少しぐらい彼女の知り合いを演じるのも悪くないだろう。
「構わないわ」
まっすぐに彼女の方を見つめる……口元に手を当て、しばらく逡巡したナターシャの選んだ結論はそっと傍に歩を寄せて床に両膝をつく事だった……椅子を引いて立ち上がり、彼女の顔を深く覆うヴェールの端を両手で掴みそっと上にあげる。
「……なんだ、思ったより綺麗な顔じゃない」
ところどころは薄くひび割れ、雨で失ったのであろう顔の右側の六割以上には真鍮色の歯車を組み合わせて作った粗雑な眼帯が埋め込まれていた、彼女は見せられたものではないと言っていたが地下で散々爛れた顔を見てきた私には美しいとすら思える顔だった。
「顔だけじゃなく髪も綺麗ね、長くて白くて……羨ましいわ」
「そ、そんな……ティス様こそ素敵になられて……」
私の言葉に照れているのか顔を背け、白い頬がほんのりと赤みがかっている……顔自体の損傷はともかく、会話能力には問題があるようには思えず本当に故障しているのか自信が無くなってくる。
「お姉ちゃんったら……あんな褒め言葉私にも言った事無いのに……」
「僕もです、人型になればあんな風に褒めてもらえるんでしょうか?」
二人が小声で何やら失礼な事を言っているが聞こえないフリをする、私だって丁寧な言い回しや所作ぐらい出来る……はずだ。
「それよりナターシャ、ここについて説明してくれる? 辿り着いたはいいのだけど……ここってまるで迷路みたいで……」
「ふふっ、ティス様は昔からよく迷っておられましたからね……ここは細かい箇所を除くと、全部で四つの施設で成り立っているんです」
「四つ?」
私の言葉にナターシャが笑顔で頷く、久しぶりに話せるのが嬉しいという気持ちが彼女の表情を見ているだけで伝わってくる。
「はい、まずティス様が通って来られた箇所が医療棟……つまりは病院ですね、そことは逆に伸びていた通路の先が研究所棟です、もう一つは何やら会議をしたり何かの開発に使われていたようですが……一部の職員しか入れず、権限も無いので私は中を見た事はありません」
という事は研究所が目的の私達は思いっきり反対方向に来てしまっていたようだ……勘が外れたのは痛いがその他の情報が聞けたのは大きい、何よりも閉鎖された開発施設なら想定していたよりももっと良い物もありそうだ。
「そう……それで、今いるここは何の施設なの?」
「はい、ここは隔離病棟になります。例の雨の影響で心身に異常をきたした人達の治療と……火葬を行っています」
「……火葬」
淡々と綴られる言葉にこの施設の外観を思い出す、空に向けて伸びる高い煙突……あの煙突から噴き出す煙が幸せの象徴ではない事だけはよく分かった。
「なるほどね……それで、貴方がここに一人でいるって事はその……やっぱり地上の人間はもう滅んでしまったのかしらね」
ばつの悪さを誤魔化すように少し冷めてしまった紅茶に再び口をつける……そういえばどこか懐かしい味だ、一体私はどこでこの味を感じたのだろう? 舌の上で転がし少し考えてみるが、どうしても思い出せない。
「いえ……他の区域は分かりませんがここの収容者の中で現在一名だけ、現在も治療待ちの生存者がいます」
「……なんですって?」
半信半疑のままナターシャに案内された部屋は円状に広がる空間だった、周囲の壁にはいくつも緑色に光る引き出しがあるが……まさかこの一つ一つに人間が納められていたとでも言うのだろうか。
「ポッドはこの中央にある制御盤で操作できます……ですが、本当によろしいのですか?」
「ええ……開けてちょうだい、それよりそっちこそ私に患者を預けて良いのかしら? 私、部外者よ?」
「部外者だなんてご謙遜を……主様のご息女であるティス様であれば何も問題は無いですよ」
「……そう」
つくづく信頼されているようだ、私と勘違いされている誰かさんはこの施設にとって重要な人物の娘のようだが……医者だったのだろうか? 勿論私に医療技術なんてものは無い、時計屋に仕込まれた精密技術の応用での治療ならば多少の心得はあるが……それはあくまでもドールやホムンクルスに向けられたものであり、人間の治療に役立つものかは分からない……だが時計屋のような存在を放ってはおけない、情報が得られるかもしれないというのももちろんあるし何か私に出来る事ならしてあげたい、そしてもし苦しみから解放して欲しいと言われたら……願いを叶える事は出来る。
「それでは、第七〇一一番のポッドを解放します」
ナターシャが手早く制御盤を操作すると私のすぐ脇にある引き出しから白い煙が吹き出し、ゆっくりと開いた。
中央に向けて伸びた引き出しには一人の女性が横たわっていた、年の頃は三十前後に見えるが雨による臓器不全の影響で老化が止まっただけだろう……実年齢はかなりのものの筈だ。
彼女の全身を蝕んでいたのは錆だった……顔は勿論腕や胸元、足にまで浸食しこれでは満足に体も動かせないだろう。
「……ああ、ようやく呼ばれましたか」
「っ……!」
それは紛れもない彼女の口から発せられた声だった、人の口から漏れ出たにも関わらず喉の奥でキィキィという金属の擦れる音が響いている……間違いない、錆は体内にも広がっているのだ。
こんな症状は地下でも見た事が無い、機械文明を皮肉ったような症例だが彼女の存在自体が私にとって有益な情報になる事は間違いない……しかし同時に彼女を救う手立てが無い事の裏付けでもある。
胸に手を当て、覚悟していた筈なのに高鳴る鼓動を押さえつつ乾いた唇に舌を這わせる……何か、何か声をかけなければ。
「あの……私の声、聞こえるかしら?」
「……その声は、ヴィオ……レッ……タ様?」
「え……な、に?」
思いがけない名に思わず動揺し体が固まる、一方で錆塗れの女性は興奮しているのか不自然に体をバタつかせながらあらん限りの声で叫んだ。
「ああヴィオレッタ様だ、そのお声を間違えるものか! ヴィオレッタ・ハーティルドール様が私を助けに戻って来てくれた!」
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