第二十話 仰ぐヴェール
研究所と聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは
機械油と鉄錆、様々な薬品の混ざり合った独特な匂いは今でも鮮明に思い出せる……初めて目を覚まし、彼女の手が触れた感触……勿論あの工房が地下の少ない資材で作り上げた間に合わせである事は重々承知しているが、それでも研究所に足を一歩踏み入れた私達の目の前に広がる光景はあまりにも想定からかけ離れすぎていた。
ドーム状に広がる室内の天井は高く金属製の床にブーツの踵が触れる度に高く澄んだ音がよく響く、広々とした空間の随所には木々が植えられており青々とした葉をつけている、長く手入れされていない筈なのに枝があまり伸びていないのを不思議に思い一本の木に近付くと手を伸ばし、一枚の葉をつまんでみる。
「……本物、よね?」
植物に詳しい訳では無いが指先から伝わってくる感触は時計屋の家の前に並んでいた植物と大差無いように感じる、まさか誰かが手入れを──?
「お姉ちゃん、あれって何て書いてあるのかな?」
「ん?……ああ、あれね」
妙な方向に転がりかけた思考をリリアの言葉が遮った、胸元に固定してあるリリアの指し示す先……それはこの空間の中央だった、天井から筒状に垂れ下がった柱を囲むように表示されているモニターには同じ映像が繰り返し流れている。
内容は片足の無い人間の男性が医者と思われる人物と何やら話している場面の後に暗転し、次の場面では同じ男性が自らの両脚で外を走っているというものだった……文字は読めなくとも間違いなくこれは魔導義肢の映像である事は分かる、私の体にも使われているこの技術は元々は地上のものだ……ここで流れていてもなんら不思議ではない。
「エルマ、あの文字も外の文字と同じ?」
「ええと……そうですね、ごめんなさい」
「あっ……ち、違うの! 責めてるわけじゃなくって……!」
落ち込んだように体を俯かせるエルマに慌てた様子でリリアが言葉を探している、こんな無機質で落ち着かない空間でも二人のいつもの様子を見ていると緊張感がほぐれてくる。
「そうよ、気にしないのエルマ。案外よくある商売口上かもしれないでしょ?」
「はい……あ、でも解析が終わったらキチンと読みますからね!」
「うん、楽しみにしてるねエルマ君!」
やや乱暴に撫でながら慰めるとどうにか調子を取り戻してくれたようだ、とにかくここが魔導義肢も扱っている施設という事は医療施設のような側面も持ち合わせているのかもしれない……他にも何か情報は無いかと柱の根元を覆うように円形に広がる受付テーブルを乗り越えて引き出しや棚を調べてみるが相変わらず読めない文字の書かれた書類ばかりで得られる情報は無さそうだ。
「うー……じれったいわね……ん? エルマ、あそこは?」
「はい?……何でしょう、光ってますね」
書類を投げ捨て、ふと顔を上げると奥へと伸びる一本の通路が目に留まった。
通路自体は他にも何本か伸びており、後で行こうとふんわり思っていたがその通路は天井から青い光が降り注いでおり他とは違う妙な雰囲気を醸し出している。
「……どう、エルマ?」
「これは……魔石灯ですね、地下のものと少し感覚が違うので気付きませんでしたがしっかりと魔力も残ってるみたいです、この色は恐らく魔導石の魔力を殺菌効果のあるフィルターなどで覆ってる為だと思われます」
「って事は、通っても平気って事?」
「はい、僕らにはあまり関係の無い話ですが人間にとっては空気中や地中の細菌が疾患の原因となる事もあるようなのでこれは対策の一つかと」
「なるほどねー……色々考えてたのね」
エルマの言葉を信じない訳ではもちろんないが、それでも初めてのものに触れるというのは中々勇気がいる。
恐る恐る伸ばした人差し指を光の下に近付けると指先から段々と青色に染まっていく……ほんのりと温かい気がするが特に問題は無さそうだ、意を決して全身で飛び込んでみる……髪や服など全身が青色に染まったがやはり異常は何も感じない。
「どうエルマ? 私って青い髪も似合うと思わない?」
「うーん……変だとは思いませんけど、僕はいつもの赤紫色の方が好きですね」
「あら、嬉しい事言ってくれるじゃない」
クスクスと笑いながら通路を進んでいくと青い光のエリアはすぐに終わってしまった、髪色を変えようと思った事は無いがやはり元の色の方が落ち着く。
「この辺りは診察室用の小部屋が多いみたいね……色々ドールはあるみたいだけど、魔導石の反応はどう?」
「んー……魔力は感じますが機械本体に魔導石は内蔵されていませんね、恐らくどこかから魔力のみの供給を受けて稼働させていたみたいです」
「まぁこれだけ広大な施設だものね、じゃあどこかにある大元の魔導石を探す必要があるのか……これは、思っていたよりも骨が折れそうね」
通路は等間隔で左右の小部屋に分かれており、それらの部屋は殆どが診察や治療に使われていたのであろう小部屋だった、いくつかめぼしい器具を回収して奥へと進んでいくと上に伸びる階段のある広場に出た、他に道もなさそうだったので二階に上がると辺りの雰囲気……というより空気が少し変わった。
「これは……病床かしら?……こっちも」
二階はどうやら入院患者用の階のようだ、探せば何かあるかもしれないが……さすがに病人の持ち物を漁るような事はしたくない。
軽く部屋の中を覗きながら通路を歩いて行くと突き当りにある大きな扉の前に辿り着いた、扉に嵌め込まれた硝子窓の向こうに渡り廊下が見える。
「ああ良かった、あそこから別の施設に行けそうよ」
先の集合住宅といい人の死を感じる気の滅入る場所はどうも苦手だ。
相変わらず読めないプレートを指先で軽く叩いて渡り廊下へと出た瞬間通ってきた扉が閉まり、天井から白い煙が私達に向けて勢いよく吹きつけた。
「やっ、なにっ……! エルマ!」
「だ、大丈夫です落ち着いてくださいティスさん! 薬剤の反応などは検出されていないので服の汚れや埃などを落とす装置かと!」
「……って事はこれただの空気?……ああもう、地下にこれがあれば皆大喜びだったでしょうね」
地上と比べると地下は空気が薄く、地上から降りて来た人達はそれが原因で体調を崩す者も珍しくなかったと時計屋から聞いた事がある。
治療の為に空気を精製・循環させるドールを使っていたのだが、こんな風に空気が吹き出す装置があればもっとズーラ内の空気の密度を上げられたかもしれない。
「大丈夫? お姉ちゃん」
「ええ、お陰で服が綺麗になったわよ」
皮肉を交えながらお気に入りの服を軽く両手で叩いてみせ奥の扉に手をかけ押し開くと、そこにはまた新たな光景が広がっていた。
「これはまた……研究所にしては随分お洒落な場所に出たわね」
通路の両脇には私の胸元程の高さの台座の中央の溝には通路に沿うように水が流れ、傍には色とりどりの植物が並んでいる。
まっすぐに伸びる通路の先は扉と、その脇には上へと黒い螺旋階段が伸びているが……はてさて、一体どちらから回ったものか……そんな事を考えていると不意に突き当りの扉が開き、一体の人型ドールが姿を現した。
袖の長い白いドレスのようなものを身に纏い、何より特徴的なのは頭部をすっぽりと白いヴェールで覆っておりその顔や表情を見る事は出来ない、ヴェールでも収まりきらない程に伸びた長く白い髪をみるに女性型のようだが……。
「ティスさん!」
「……マズい、警備用のドール……!?」
咄嗟に左右を見渡すがどこにも隠れられる場所は無い、戦闘型かどうかすら分からないがどんな武装を有しているか分からない以上攻撃される前に先手を取って機能停止させるしかない……! 白い厚手のヴェールで顔を隠しているせいか女性型のドールの私への反応は鈍かった。
意を決して駆け出すと壁を蹴り、三角飛びの要領でドールの正面へと飛びかかると体をひねりながら足を思いきり振り上げた。
「
「……ティス様?」
「……え?」
ドールはこちらを見上げながら反撃する素振りも防御する素振りも見せない、いやそれよりも……今彼女は何と言った? 慌てて攻撃を止めてその場に着地し、立ち上がると謎の女性型ドールと向き合う。
「貴方……どうして、私の名前を……?」
「ああ、やはりその御姿はティス様ですね! 私です、奉仕用ドールのナターシャです!……まさか再び生きて会える日が来ようとは……!」
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