第四十話 不完全で未完成で完璧な

「……ああもう、なんなのよここ!」


 時計塔は見渡した限りでは街の中央に建っているように見えた、だがそこへと繋がっていそうな通路を通っては関係の無いところに出てしまったりここかという階段を上ってはその先に立ち塞がる高い塀に囲まれた行き止まりに突き当たってしまい一向に辿り着けない。

 まるで時計塔に立ち入らせないように……いや、実際そういう目的でこんなにも迷宮のように入り組んでいるのかもしれない、苛立ちをぶつけるかのように行き止まりの塀を蹴り飛ばすが脚に伝わる感触からも随分と分厚い壁のようでここまで厚いとなると破壊は無理だ、加えて迷路を彷徨うのも御免となると……。


「……ん、エルマ? 急にどうしたの?」


 ふと左腕に違和感を感じ視線を落とすと、細いアームを数本伸ばしたエルマがガッチリと巻き付いていた。


「いえ、もう振り落とされかけるのは嫌だなぁと思いまして」


「……あー」


 一瞬何の事だか分からなかったがすぐにその理由に思い当たり複雑な笑みが浮かんだ、そういえばエルマ用の固定具を作ろうとか思っていたのだったか……何だか色々な事がありすぎてすっかり忘れてしまっていた。


「私も心の準備バッチリだよお姉ちゃん!」


「……そう、じゃあ二人共しっかり掴まってなさいよ!」


 右腕から雷鋼線ディミット・ワイヤーを伸ばし塀の上に引っ掛ける、見かけはレンガ造りでも中身は金属製……見た目よりも遥かに頑丈なようで今となってはむしろ都合が良い。


「よい……しょっと!」


 素早く雷鋼線を引き戻す反動で時計塔に向けて空高く舞い上がると頬を撫で体を抜ける風が心地よい、意味の分からない場所に突然放り込まれて燻っていた気持ちが少しだけ晴れていくのを感じる。

 ……今にして思えば何を馬鹿正直に迷路を進む必要があるのか、迷路なんてものは壁の上を走るのが一番早いに決まっている! 塀を飛び越え屋根を飛び越え、あれ程までにどうやって辿り着こうか頭を悩ませた時計塔の根元にある扉の前まであっという間に辿り着いてしまった、扉を背にして辺りを見渡すがこの時計塔へと通じる道が見当たらない……どうやらあの迷路に最初からここへと辿り着く道など無かったようだ、ため息をついて大きな両開きの扉の取っ手に手を伸ばし……少し考えて手を引っ込めた。


「もし……もしこの建物まで偽物だったらさすがに帰りましょうか、ヤコの姉弟を探す方が有意義な気がしてきたわ」


「ここまで来てさすがにそれは無いと思うけど……何だか不気味だもんね、ここ」


「それもあるけど、正直なところウンザリしてるって方が大きいわね……結果的に何かが間違っていたかもしれないって言ってもこの最上層はいわば時計屋クロッカー達の開拓の歴史の名残だった筈でしょう? それなのに誰だか知らないけど悪趣味な人形畑を作りあげて……一体何が目的なのか問いただしたいぐらいよ、まぁ……その本人も既に生きてはいないでしょうけど」


 こんな場所に雨の原因があるとはとても思えない、やはりあの雨は結局私達の行動や意志とは関係ない世界の気紛れだったのか──意を決して扉の取っ手を掴み軽く引っ張ると扉は拍子抜けするぐらいあっさりと開いた、中から漂うカビと油のような臭いはお世辞にも良い匂いとは言えないがまだ先が続いているだけマシだと思ってしまう。


「……中に罠などの気配はありません、大丈夫そうです」


「そう……それじゃあ中に何か有益な情報の一つもあるといいのだけれどね」


 先に中に飛び込み安全を確認したエルマに頷き扉を完全に開け放つと先程の臭いに加えて埃臭さも鼻をついた、だがまぁこの程度であれば地下で散々悪臭を嗅いだ私からすれば慣れたものだ。

 建物の中は薄暗く奥で何かが揺らめいているのが辛うじて見てとれる程度だったが中ほどまで進むと背後で入ってきた扉が勝手に閉まり、あちこちに設置してあった火の点いていない燭台に次々に火が灯ると薄暗かった部屋が徐々にその正体を現した。

 部屋の内装は全体的にシックな作りになっており古ぼけたソファや分厚い本の収まった見上げる程に大きな本棚はどこか書斎を思わせる、奥で揺らめいていたのはどうやら火が入ったままの暖炉のようだ……エルマの様子からみても相変わらず魔力の反応は無いようだ、勝手に点いた燭台といいどういう構造なのか見当もつかない。


「油っぽい臭いの原因はこれね……何の絵かしら?」


 壁に掛けられた絵画の一つに顔を近づけると建物内に充満した臭いの一つの原因が分かった、画材に油が使われているのだろうか?……先程から悪い臭いのように言ってはいるがこの乾燥した燃料系のような臭い、私は別に嫌いではない。

 壁に掛けられず床に転がっている絵画や古いし埃だらけだが汚れなどは無いソファ……それらのように言うなれば完成品とは対照的なのが絵画と同じく壁に掛けられた時計だ、恐らく真鍮製であろうそれには文字盤と時を示す針が一本だけ一定の間隔で正確に回っているのみで何の意味も成していない、思えば街にもあらゆる時計の部品が設置されていたがそのどれもが不完全なものだった。


「何かの芸術ってやつかしら?……時計屋クロッカーの娘である私の前にこうも不完全な時計ばかり見せつけるのは何かの当てつけとしか思えないんだけどね……まぁ、向こうはそんなの知らないでしょうけど」


「芸術……確かに地上時代には時や時計をテーマにしたものはいくつもあったようですが、数が多すぎてどれに該当するかまでは……」


「いいのよ、それに分かったところで何かヒントになるとも思えないし……今はそれより大きな問題があるしね」


 改めて部屋の中央に立ち上を見上げる……上に高く伸びたその建物の壁面には扉もあるし絵画も飾ってある……が、肝心のそこへと至る為の階段が無いのだ。


「……まさか今度はこういうタイプのハリボテじゃないでしょうね」


 脱力しながらソファに体を沈み込ませる、舞い上がる埃を手で払っていると何だかドッと疲れが出てきてしまった。


「んー……はぁ……それでも休める場所があっただけマシね、ヘイズから食料を持って来て今日はここで一泊するとして……明日はもう少しこの階層を探索……とは言っても延々とハリボテと例の機械の住民達が続いてるだけでしょうけど」


 うっとうしいが埃を払うのも面倒になってきた、リリアをつぶさないように気を付けながらソファに横になると思っていたよりも疲れていたらしく段々と瞼が重くなってきた。


「……ねぇお姉ちゃん」


「んっ……なに?」


 遠のきかけた意識がリリアの声によって引き戻された、大きなあくびをこぼしながら言葉の続きを待つ。


「あそこ、あの絵……なんだか変じゃない?」


「んー……変って?」


 あそこと言われたにも関わらず、目は閉じたまま生返事を返す私に業を煮やしたのか建物中にリリアの大声が響いた。


「もう、起きてお姉ちゃん! あそこの時計の絵だよ!」


「──!?」


 リリアの魔導板は左腕を枕にして横になっていた私の下……つまり左胸の辺りに固定してある、つまり何が言いたいのかというと……そんな耳のすぐ傍で張り上げられた彼女の叫び声は私の耳を通って脳内で激しく反響し一瞬で睡魔を吹き飛ばした、効果はてきめんだが鼓膜が痙攣しているかのように痛むので何度もは勘弁してもらいたい。


「……あう、今のは効いたわ……」


「もう、話を聞いてくれないお姉ちゃんが悪いんだからね!」


 のそりと起き上がり額に手を当てて項垂れる私に優しい言葉をかけるどころか更に畳みかけるとは戦いの基本を心得ている……などと茶化せば更に酷い事になるのは目に見えているのでその言葉は埃臭い空気と一緒に飲み込む事にする。


「ええ……ええごめんなさい、それで……なんだっけ?」


「あそこ、お姉ちゃんから見て左側の……丸い額縁に入った絵!」


 片手で髪をかき上げ、未だ耳鳴りが収まらない事に顔をしかめつつ指定された場所に視線を移すと……あった、確かに楕円形の額縁に入った時計の絵が壁に掛けられている。


「確かにあるけど……これのどこが変なの? 時計の絵なんて珍しくもないでしょう?」


 描ける者は少なかったが地下にも絵描きはいた、そんな彼らですら描いていたのだ……時計を絵のモチーフにする事などままある事だろう。


「そうだけど……その時計、逆じゃない?」


「逆?……あ、ホントね」


 遠目ではよく分からなかったので近付いて見てみると、確かに時計の文字盤の字が逆に描かれている。


「……でも、そういう絵なんじゃないですか?……僕も芸術はよく分からないですけど」


「うん……でもなんだかちょっと気持ち悪いなーって思って、お姉ちゃんはどう思う?」


「まぁ確かにね……うん、この絵を描いた人には悪いけど私達流に直させてもらいましょうか」


 リリアに同意し時計の絵を一旦壁から外し半回転させて掛け直す……うん、確かにこの向きの方がしっくりくる。

 そう思い納得したように何度か頷くと突如頭上で鐘のような音が鳴り響き始めた、驚きと圧力をもった騒音に反射的に耳を塞ぎながら思わず悲鳴が漏れる。


「なっ……なに、何の音!?」


 動揺して数歩下がって上を見上げると、辺りに地響きを立てながら上から順番に壁が内側にせり出し階段が次々に出現していくではないか!

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