第四十二話 異形頭の似非紳士

 下から見上げた際にも感じた事だが随分と高い塔だ、階段の途中途中に埋め込まれた窓から外を見渡し高さを確認していたが三つ目の窓でこれらは窓ではなく例の窓硝子に描かれただけの絵だという事に気が付き、思わずその中の一枚を肘で叩き割った。


「……大丈夫、お姉ちゃん?」


「ええ……大丈夫よ、この建物……いいえこの街全体が何て言えばいいのかしら、適切に私の癪に障る事をしてくる感じとでも言えばいいのかしらね……些細な嫌がらせなのは分かっているのに、どうにも我慢ならないのよ」


 不完全な時計に人の姿を模しているにも関わらず至極機械らしい機械達……それに加えてよく分からない見栄でも張っているかのような細工の数々、製作者とは絶望的に趣味が合わないのは間違いないだろう。

 もう一度ゆっくりと上を見上げるとあと一息といった距離でこの階段も終わりのようだ、ここを上り切ったら少し休憩するとしよう……肉体的にはどうって事はないが、精神的に少し余裕が無くなってるのが自分でも何となく分かる。




 階段を上り切った先は金属製の壁に囲まれた小部屋だった、やや乱暴に扉を閉めて下と同じく少しカビ臭いが小綺麗な一人掛け用のソファに腰をおろすと腰の収納箱から水の入った金属缶を取り出して蓋を外すと口をつけ、一気に傾けると勢いよく口に飛び込んでくる水達の一部が口の端から漏れる事は気にも留めず、喉を鳴らして飲み続ける。


「……ふぅー」


 冷たい水によって体に溜まった熱が引いたのか、悶々としていた気持ちが少しだけ落ち着いた。

 金属缶に入った水を少量手のひらに広げ、そのまま両手の指を髪に絡めながら頭皮を撫でつけ大きく広げるように髪を梳くと曇った思考も明瞭なものになった。


「よっし……大分落ち着いたわ!」


 首元や胸元にまで垂れた水を指で掬い上げ、濡れた両手で頬を叩いて気合を入れ直すと改めて部屋の中を見回す。

 四方はやや緑がかった錆の目立つ金属の壁、下とは違い壁には何も掛かっていない……座っているソファの向かいには小さな机と椅子があり同じく置かれた小さなランプが机の上に乱雑に広げられた割れた歯車達を照らしていた。

 そして──部屋に入った時から気付いてはいたが気にしないようにしていた一番の異質、私達が入ってきた真向いの壁のほぼ全てを隠すように掛けられた鮮やかな緑色の布の存在だ。


「これ……どうしましょう?」


 エルマが布の端を摘まみながら困ったような視線をこちらに向ける、私も無視して帰っていいのであればそうしたいが……そういう訳にもいかないか。


「……ここまできて無さそうではあるけど、罠の可能性は?」


「いえ……そういう反応は無いんですが、何故かきっと良い事は起きない自信だけはあります」


「……でしょうね」


 さぁ何が待っているやら……ソファに座りながらエルマに布を取るよう指示すると勢いよく引かれたアームと共に布の奥の光景が目に飛び込んできた。


「……わーお」


 現れたのは金属製の扉だった、これまでの扉は木製だったり無装飾のものばかりだったが布の奥に隠されたこの扉は赤や緑で色鮮やかに彩色された上に細部まで金色の装飾が施されている。


「綺麗……」


「ええ、そうね……これだけでも一つの作品よ、でも見た事の無い技法ね……一体どんな……」


 ポツリとこぼされたリリアの言葉に同意する、これまでの悪趣味なものに比べるとこの扉はしっかりと装飾の一つ一つに作者の意志のようなものが伝わってくるような……そんな迫力がこの扉には備わっていた。


『気に入ってくれたかい?』


「っ!?」


 突然部屋に響いたその声に反射的にソファから飛び上がり、部屋の隅まで移動すると壁を背にして戦闘態勢をとる。

 若年の男性を思わせるその声は殺気を放つ私など微塵も気にも留めていないかのように愉快そうに笑い声を上げた。


『おおっ! なんだいなんだいその動きは、驚かせたのは謝るからそんな隅にいないでこっちに来てもっとその可愛いお顔を見せておくれよ!』


「ふざけた事を……なんなの、一体どこにいるのよ……?」


 部屋中にぐるりと視線を回すが男の姿はおろか声の出どころすら掴めない、まるで部屋そのものが喋っているかのような感覚だ……素早くナイフを抜いて構えると男は今度は嘆くような声を張り上げた。


『ああっ可哀そうに! どうやら何も聞かされていない新人のようだ、ああいや勿論ボクは最初から分かっていたよ? ああ分かっていたともさ!』


 声とは別に小さな金属音が部屋に響き即座にそこへと視線を送ると、どうやら先程の豪奢な扉が僅かに開いたようだ。


『さぁボクはその先にいるよ、君を歓迎しよう可憐な少女よ!……時に紅茶はミルクとレモンならどっちがお好きかな?』


「……ミルクがいいわ」


 バカバカしいぐらいに底抜けに明るいその声は心底不愉快だが、敵意は無いように感じる……エルマに視線を向けて頷き合うと構えを解いて扉のノブを握る。

 驚かされたのはともかく新人だのなんだのと私の知らない情報を持っているのは確かなようだ……業腹だが、友好関係を結べたら得かもしれない。


「おっとこれは残念なお知らせだ、どうやらミルクはどこかへ出かけてしまっているようだ! ああこれは実に残念!」


「……じゃあ何で聞いたのよ!」


 やっぱり一度くらい尻を蹴飛ばしてやろう、そう心に決めて扉を勢いよく引き開けると一瞬ではあるが吹き飛ばされそうなぐらい強い風が全身を吹き抜けた、反射的に庇った両腕を慎重に開くと今度は視界に飛び込んできた光景に大きく目を見開く事となった。


「なによ……ここ」


 床一面には白と黒のタイルが敷き詰められ中央には深紅のカーペットが敷かれた奥に向けてだだっ広く伸びた空間……下と比べると随分と空が近く外のようだが、屋内のようにも感じる。

 だが異常なのはそこではなくそんな巨大な空間よりも更に巨大な歯車が無数に空中に浮かびながらゆっくりと回っているではないか、こんなものは下からでは見えなかった筈だが……そもそもこの異常な広さは距離感以前に空間としておかしい。


「やぁ、ようこそボクの部屋へ!……えーと、君はなんとお呼びすればいいかな?」


「……ティス、よ……声じゃ分からなかったけど随分ユニークな顔してるのね貴方?」


「おおっ……女性に褒められたのなんて何年振りだろう、いいや初めての事かもしれない! この溢れ出る歓喜の気持ちを忘れぬうちに日記に書き留めねば!」


 声のする方に顔を向けると空間の中央を陣取るような位置にその男はいた。

 細身の祭儀服を身に纏い、首から下げたループタイに埋め込まれた緑色の宝石がキラリと光る……紳士めいた格好ではあるがその頭部は人のものではなく、火の灯った二本の燭台の入った魔石灯を想起させる街灯の形そのものだった。

 そんな男がおもむろに両腕を広げたかと思うと片手を自らの胸の前に差し出し、深々と頭を下げる。


「いや失敬、ボクとした事が久しぶりの訪問者につい感情が溢れ出し自己紹介を忘れていた……ボクの名前は『浸る店主ソーク・オーナー』!……短い間かもしれないが、どうぞよろしく」

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