第四十三話 思想家の告白
「
「その通り、気軽に
先程からの事ではあるがこの男、発言の度に大きく身振りをするのが癖なのだろうか?……口調も相まって溢れ出る胡散臭さがとどまるところを知らない、
「貴方を上司のように思うのは嫌ね、浸る……ああ、ならこれから貴方の事は『
「思想家……おお、おお……! なんて芳しく夢想的な響きだ、実に結構気に入った! これからは『
「……どう足掻いても浸ってはいたいのね、まぁ好きにしたらいいんじゃない」
子供のように飛び跳ねながら喜びを全身で表す思想家を見ていると気を張っているのが馬鹿らしく思えてきた……それにこの男の反応に付き合っていたらいつまで経っても話が進まない、片手で軽く頭を掻きながらため息をつくと話を切り出す事にした。
「それで思想家さん? 下にあった街は貴方が作ったの?……というか、貴方はあの雨の生き残りで間違いないのよね?」
「ああいや待て待て少し待て……確かにこれからボクと君は沢山の話に花を咲かせるだろうが、そんな大切な出来事をこんな立ちながらで行っていいのだろうか?……いいや駄目だ、ではどうしよう?……ああそうだこうしよう!」
ひとしきり何かを呟いた思想家はおもむろに指を鳴らした、すると私の少し右前方に一瞬で辺りの雰囲気には不釣り合いな程メルヘンチックなクロスのかかったテーブルセットが現れた、テーブルの上には豪奢なティーセットに温かな湯気を上げるポットに加えて様々なお菓子まであるではないか。
「っ……え? 今までそこには何も無かったわよ、ね?」
「それは違う、何も無い空間というものがそもそも存在しないんだ。今回はたまたまそこにお茶会のセットを詰め込んだだけなんだよ、だからここは今はお茶会のセットがある空間という事さ」
「え……え?」
訳が分からず首を傾げる私をよそにテーブルセットのうち私に近い椅子を軽く引くと私の方を向き座るよう手で促してみせた。
正直この思想家に危険性が無いと判断していいものか未だに決めかねている、そんな状態で背を向けたくはないのだが……だが当の本人は私が恥ずかしがっているとでも思っているのかしきりに『大丈夫だよ、怖くないよ』と繰り返しながら椅子の背もたれを独特な手首のスナップで軽く叩いてみせている。
「……エルマ、疲れるかもしれないけど……頼めるかしら?」
「勿論です、任せてください!」
思想家から視線を外さずボソリと呟くと返ってきた自信たっぷりな返事に少しだけ肩から力が抜ける、ナターシャとの戦闘中でも行った危険性の処理演算をエルマに肩代わりしてもらうのだ……常に処理し続けるのでエルマの負担は大きいが、これで私の視界外からの攻撃にも反応出来るようになる。
「さぁ何も恐れる事は無い、クッションは柔らかいし甘いお菓子達はきっと君を喜ばせるだろう! 必要なら肌触りの良いブランケットで君のおみ足を包み込むのも悪くない」
「はいはい……今行くわよ」
チラリと思想家に視線を向けるが二本の蠟燭が揺らめいているだけで表情の類は分からない、考えを読み取るのは諦めた私が椅子に腰かけると思想家はそれを見て嬉しそうに笑いながら椅子の位置を整え、テーブルの上のポットを抱えると空のティーカップにこれ見よがしに随分と上から紅茶を注ぎ始めた。
立ち上る湯気と共に少しだけ鼻にツンと刺さる爽やかな香り……馴染みの薄い匂いだが、嫌いではない。
「さぁどうぞ……熱いから火傷には気を付けておくれよ、ミルクと砂糖は遠慮せずたっぷり入れるといい!」
「ええ、ありが……待って、ミルクは切らしてるんじゃなかったの?」
「出かけてると言ったんだ、ここにあるという事は……いつの間にか帰って来ていたんだろうさ! お出かけとはそういうものだろう、うん」
「……ああそう」
ジロリと思想家を睨みつけるがそんな私の視線をどこ吹く風と受け流す彼は紅茶の匂いを堪能するのに夢中なようだ、それならお言葉通り遠慮などするものかと砂糖を好きなだけ掬い入れミルクを垂らすとそれまで紅かったお茶の色が
カップを持ち上げ顔に近付けると鼻を撫でる匂いが先程よりも甘く丸みを帯びたものになっている、エルマの警告も無いという事は毒などは入っていないのだろう……仮に入っていたところで人間の使うような毒はホムンクルスである私には効かないが。
「……ん、美味し」
ゆっくりと少量を飲み込むと砂糖やミルクの甘さの奥にハッキリとした苦みが舌の上に広がった、だがそれすらも味の輪郭を浮き立たせるのに一役買っておりその存在が紅茶のランクを一つ上げていると言えるだろう。
紅茶もこれだけ美味しいのであれば他のお菓子もきっと……期待に胸を膨らませながら視線を泳がせると皿の上で宝石のように輝くクッキーが目に留まった、中央にくぼみがありそこに溶けたジャムが流し込まれているようだ……持ち上げてみるとクッキー自体にもまだ熱がこもっており焼きたてのそれを彷彿とさせる。
一口でいける大きさだが敢えて半分だけを齧ってみる……どうやらただのジャムではないようだ、溶けた飴と混ぜてあるのか齧った箇所からジャムが糸のように伸び、こぼれないように反射的に上を向くと千切れた端が私の顎に垂れてしまった。
「ふふっ……甘くて美味しいし、面白いわね」
残った破片から尚も垂れるジャムに舌を伸ばしながら掬い上げるように舐め取って口に放り込む、柔らかいジャムとしっかりした歯ごたえのクッキーが口の中で混ざり合いジャクジャクと小気味の良い食感を描き出している。
「あ……そういえば貴方、どうやって紅茶を――」
この男はどうやってこの紅茶を飲むのだろう? ふと浮かんだそんな疑問をぶつけようと顔を上げると今まさに袖から伸ばした細いチューブをカップに突き刺して飲んでいる? ところだった。
「……ん? 済まない、この芳醇で素晴らしい香りの余韻に浸っていて聞いてなかったよ……何かな?」
「いえ……そのチューブはどこから伸びてるのよ?」
「ぶふっ!……お、お嬢さん! 何を言うかと思えば突然なんだい、少し大胆過ぎやしないかい!?」
私の言葉に驚いた思想家のカップからチューブが外れ、そこから漏れ出した紅茶がテーブルクロスを少しだけ汚した……今、私はそんなに驚くような事を言っただろうか?
「ああすまない汚してしまった……だがボクであったから良いものの、年頃のお嬢さんがそんな事を聞くものじゃないよ?」
「そう……なの? ええと、ごめんなさい?」
訳が分からないがとりあえず謝っておこう、どこからか取り出した布で一通り汚れを拭き終わった思想家が椅子に座り直し軽く頷いた。
「構わないとも、それじゃあそろそろ本題に入りたいのだが……あぁボクは話題を振るのがどうにも苦手でね、良ければ君が何か聞いてくれないかな?」
「じゃあ遠慮なく……そうね、貴方はここに一人で住んでいるの?」
聞きたい事は山ほどあるがまずは当たり障りのないところからだろう、案の定思想家は大きく頷いてみせる。
「その通りだよ、ボクは一人でここに住んでいる……ああでもどのくらいだったかな? それはちょっと分からない。ああ分からないというのは知らないという事ではあるんだが、きっとどこかにある日記を見ればきっと……そう、きっと分かる筈だ」
「いいのよ、貴方がここに住んでいるのかどうかだけ知りたかっただけだもの」
……思想家はさっきからよく分からない所で声を張り上げたり、逆に急に静かになったりするが……この症状というか様子は地下でも見た事がある、雨の毒に冒された者の中には彼と同じような言動をする者がたまにいた……それを変だと笑う者もいたが、こういう人物は決まって嘘をつかないのだから私はむしろ好意的に捉えている。
「そうか、良かった……他には何が聞きたい? 誰かと話すのは随分と久しぶりなんだ」
「そうねぇ……それじゃあこの時計塔の下にあった街……エナといったかしら? あれも貴方が作ったの?」
「エナ、その通り! そう、ボクが作ったんだとも! でもまだ不完全でね、完成じゃない」
「……あの街には何が足りないの? 家の内装? 時計の部品みたいなものも沢山あったけど……」
「時計、そう時計だ……チクタクチクタク……君は時計が分かるのかい?」
私の『時計』という言葉に反応した思想家がやや身を乗り出しながら私に詰め寄る、やはり時計や歯車に何かしらの執着があるのは間違いないようだ。
「まぁ……時計を作る事が出来る人の元にいてね、私は作れないけれど……何度も近くで見てきたから部品で何となく分かったのよ」
「素晴らしい……きっとその人はさぞや聡明な人だったのだろうね、ボクはあの街を作り上げて……ある人を迎えたかったんだ。でもきっとボクには難しいだろう……この最上層は、いやこの世界は時間が動いていても時が止まってしまっているからさ」
「時間が……? ねぇ、それってもしかして……」
聞き覚えのある言葉に思わず思想家に問い掛けるが彼は少し上を見上げたまま動かない、やがてゆっくりと顔を下げるとテーブルの上で両手を組み俯いた。
「それにしても、もうそんなに長い時間が流れたのか……ティスさんだったね、ボクの断罪……いや、処刑はすぐに行われるのかい?」
「……え」
話が急すぎてついて行けない、断罪?……処刑? 馴染みの無い言葉の羅列に頭が混乱する。
目を白黒させている私を少しだけ不思議そうに眺めていたが、やがて合点がいったのか納得したように思想家が数度頷いてみせた。
「ああそうかしまった、君は何も知らされていない新人なんだったね……という事はボクの口から罪を再度白状させる事でその重さを再認識させるという事なのかな、なるほどなるほど……ああそれはきっと素晴らしい判断だ」
一方的に話を続ける思想家に口を挟みたいが、彼から発せられる何かが私の肩に重くのしかかり言葉を発する事を封じられる。
言動は軽薄でも彼の中で筋の通った何かがあるような……その何かがイマイチ掴めず、未だに彼を評価しきれない。
「ティスさん……君がこれを聞いた後はきっとボクの事を嫌ってしまうだろう、だがこれはボクの罪だ……だから聞いて欲しい」
彼の頭部である魔石灯の中で二つの蝋燭の火が揺らめいているのが見える、それはまるで感情を持っているかのような動きだった。
「君も知っているであろうあの日……そう、世界に猛毒の雨が降る原因を作ってしまったのは誰でもない……ボクのせいなんだ」
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