第四十七話 そして少女は世界を呪った

「……私もその子を近くで見たいのだけれど、いいかしら?」


「もちろんだ、君にはその権利がある」


 思想家シンカーが頷くのを見て私も上半身だけの少女の眠るポッドの前に立つ、ヘッドギアのせいで表情は分からないが私が前に立っても何ら反応を示した様子は無い。


「この子……は、生きているの?」


「実に哲学的な質問だ、生命の有無についての論争を繰り広げたいところだが今は止めておこう……広義的な答え方をするならば生きてはいない、今の彼女はただの魔導板と化した君の妹や……ここで君が口にした紅茶やお菓子とそう変わりない存在だよ」


「……そう」


 少々癪に障る言い方だが……要するに自分の時間を持っていないという事を言いたいのだろう、再びベロニカの方に目を向けしばらく見つめるが時折口から漏れた酸素が泡となってポッド内に満たされた液体の中を泳ぐ以外に変化は無い。


「それにしても……こんなものを作り上げるだなんて貴方、本当は凄い科学者か何かなんじゃないの?」


「ああ……彼女が驚異的である事は否定しないし、事実として以前のボクは自分を天才だと思っていたよ……忘れもしない、あの夜の出来事が起きるまではね」


「その時何があったの、一体何が起きて……あんな雨が降り出すなんて事が起きたの?」


「……座ろう、どうにも少し疲れてしまったようだ」


 思想家が指を鳴らすとベロニカの前で向かい合う形で二脚の一人掛け用ソファが現れたが、最早驚く事も無く片方に腰掛けると思想家も腰掛け、膝の上で組んだ両手をしばらく見つめ……ゆっくりと語り始めた。


「あの時……最上層の建設は小刻みに起きる襲撃のせいで遅々として進まなかったけど、ボクのベロニカが操る予定の天候管理システムは既に遥か上空に設置済みでね、後は本格的な彼女とシステムとの情報連結を待つのみという状態だったんだ……彼女も製作者であるボクが壮大な計画の第一人者として表舞台に立つ事を楽しみにしてくれていたよ」


「……この子にも、思考プログラムが?」


「うん……思考プログラムと学習プログラムを合わせた頭脳解析システムブレインを搭載していてね、ポッドから出る事は出来ないけど君のエルマ君と同じように会話も出来たし冗談を言う事もあったんだ」


 当時を思い出したのだろう思想家が小さく笑った、だが彼の頭の中で揺れる二つの火は心なしか小さくなっているように見える。


「小規模の嫌がらせと言ってもハーティルドール家を裏切った連中の襲撃は段々と精度を増していてね、情報連結の決行日の付近では殆ど特攻に近かったが的確にエネルギー関連の施設を襲撃していたんだ……当時の仲間連中からは夜間は特に気を付けるように言われていたけど、ボクは聞く耳を持たなかった……ベロニカシステムの完成はボクの命に等しかったし、何よりその時のボクは仲間の言葉でさえあわよくばシステムの完成を遅らせようという目論見にしか思えなかった……だからその日もボクは真夜中にベロニカの元へと行ってシステムの最終チェックをしていたんだ」


「……貴方にとっても彼女にとっても、そのシステムの完成は悲願だったのね」


「……ベロニカには何度も怒られたよ、ちゃんと食事は摂ってるのか今日は何時間寝たんだって……ボクの母親より口うるさかったよ、一緒に時計の針を進めるのだからボクが倒れちゃ意味無いって何度も何度も……ああそうだ、間違いなくベロニカシステムの完成はボク達の悲願だった」


 そうだったろう? と思想家がベロニカの方を向いて笑いかけるが当然返事は無い、そんな彼を見ていると痛々しさすら感じてしまう。


「あの時は……そう、彼女に情報連結が無事に成功したら嬉しいかと聞かれたんだ。ボクは力強く答えたさ……もちろんだ! そうすればようやく無名だったボクもあのハーティルドール家と肩を並べられる!……ってね?」


 思想家は立ち上がり再現するかのように大きく胸を張ってみせた……だがすぐに項垂れ、力無くソファに座り込む。


「……すぐ近くで爆発音があったのはその時だったよ、近くにあった別の施設が襲撃されたのはすぐに分かったしボクのいた施設内も衝撃で少し揺れたんだ……ベロニカはボクを心配して宿舎に戻るよう言ったんだけど、最後のチェックがまだだったからこれが終わったらって言ったんだ……でもその時のボクは気付いてなかったんだ……あの時のボクの目は酷く節穴だった、休止状態ならともかく最終チェックの為に稼働状態だった彼女が膨大な魔力量を放っている事を……そんなエネルギーの塊とも呼べる彼女を襲撃犯の連中が見逃す筈が無いって事すらボクは……!」


 膝の上で組まれた思想家の両手が見るからに震えていた、話を聞いているだけでも心臓が締め付けられるような錯覚を覚える。


「それで……どうなったの?」


「……分からないんだ」


 私の問いかけに首を振って答える、彼に灯った燭台の火は小さく今にも消えてしまうそうだ。


「分からないって……記憶が無いって事?」


「いいやそうじゃない……僅かに覚えているのは壁を貫通した大型で粗雑な魔導砲の弾がベロニカの左腕を吹き飛ばし、そのままボクの胸を貫いた事だけ……破損して動力液が溢れ出るポッドの中で彼女はこっちを見てひたすら何かを叫んでいたけど、何を言っていたかまでは……」


 何という事だろうか……項垂れる彼に声をかける事も躊躇われるが声をかけ続けなくてはならない、悲劇が起こったのは分かったが今の話では肝心の雨が出てきていない……生唾を飲み込み、乾いた喉を僅かに湿らせ何とか声を絞り出す。


「それでも……貴方は今もこうして生きている、つまりその襲撃の後も……何かが起きたって事よね?」


「……次に目が覚めた時、ボクは即席の牢屋の中にいたんだ……何故生きているのか訳も分からないままだったけど説明も無いまま何時間も……何日も尋問を受けたよ、何度も殴られた……けれどある時気付いたんだ、ボクを暴行する連中の顔や腕によく似た黒い痣のようなものが浮かんでいる事にね」


「……それって、雨の……毒?」


 私の言葉に思想家が頷く、時計屋クロッカーやズーラにいた住民達と同じ特徴だ。


「その痣の事を聞くとようやくボクが何も知らない事を少しは信じてくれたのか、何が起きたのか話してくれたよ……その内容もとても信じられないものだったけどね……すまない、少し待ってくれ」


 言葉に詰まった思想家が顔に手を当てゆっくりと深呼吸をした、無理も無い……彼にとっては話すだけでも辛い事の筈だ。


「いいわ、私達に時間はたっぷりあるもの」


「ありが……ふっ、そうだったね」


 礼を言いかけた思想家が私の皮肉に気付き愉快そうに笑った、どうやら少しは気が紛れたようだ。


「ふぅ……ボクが意識を失ってすぐにポッドから出たベロニカがボクの体を施設内にあった緊急時用の生命維持ポッドに入れたんだ、そして……彼女は暴走した。自ら予備のポッドに入るとボクの端末を操作して強制的に天候管理システムとの連結を開始したんだ」


「それで毒の雨を……? そんな事が可能なの?」


 天候管理システムというぐらいなのだからきっと雨を降らせる事ぐらいは出来るだろう……だが、そこに未知の毒を仕込むなど……無から有を作り出すにも等しい話の筈だ。


「分からない……それに緩衝防壁も介さないひどく強引な連結だ、情報過多を起こして恐らく殆ど一瞬で彼女の脳の一部は焼ききれて情報連結は解除された筈だよ、だが事実として雨は降った……もしかしたらその一瞬で彼女は世界中の人類全てを呪ったのかも……なんてね」


「呪い……」


「ふふ……科学者が呪いだなんてオカルトを考え始めたらおしまいだろうね、考えられる可能性としては陽動器ようどうきなどに使われている溶液を雨に混ぜたのかもしれないってぐらいだが……推論の域は出ない、全ての答えを知っているのは彼女だけだ」


 確かに……普段であれば私も呪いなんて聞いたところで笑い飛ばすのがせいぜいだろう、だが二人で積み上げたものが一瞬で奪い去られ、大切な人の命が目の前で奪われたともなれば話は別だ……ひどく醜い怨嗟の叫びを上げる事もあるかもしれない。


「ハッキリ間違いないのはベロニカが雨を降らせた後……残った力を振り絞って僕の命を救った事だけさ」


「っ……それは……」


 思想家が自らの上着のボタンを外し両手で開くと、思想家の胸元の皮膚の奥で脈打つように光っている何かが見えた……その光は魔導板のものに似ているようにも見える。


「これが何かは聞かないでくれよ? 答えられないからさ……全く、色々な話はしたけどこんな知識をどこで覚えたのやら……これが何かは分からないけれど、失った臓腑の代わりをしてくれる上に高い再生能力と人間の寿命を遥かに超える寿命も手に入れた……もうとっくに老衰で死んでいてもおかしくない歳だよ、ボクは」


 再び上着のボタンを留めながら思想家が笑ってみせる、異常な寿命の増加は毒に冒された人々のものと似ているが随分と健康そうだ……それほどまでにベロニカの彼に生きていて欲しいという想いの強さが痛い程に伝わって来る。

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