第四十八話 たった一つの想い
「とにかく……暴走したベロニカは世界中に毒の雨を降らせ、ボクを蘇生した後で魔力を使い切り弱ったところを生き残った兵士やドール達によって破壊された……そして生き残ったボクは晴れて世界の敵扱いさ、最初から計画していたんだろうってね」
「そんな! そんなのってひどすぎるわ……貴方だって被害者な事はその時の貴方の体の状態を見れば誰だって分かる筈でしょう?」
「優しいね君は……でも当時ボクを尋問した彼らにはそんな事はどうでも良かったんだろうさ、急に雨が降り出したかと思えば全身が謎の奇病に蝕まれ始めたんだからね……毒の問題にしてもその後の責任の矛先にしても全てボクのせいにすれば収まりが良かったんだろう」
「……何よそれ、意味が分からないんだけど」
端的に言って不愉快な話だ、だがそれが地上の人間の生き方だったのだと言われたら私には何も言える事は無くなってしまう……その代わりとばかりに足を組み、不機嫌そうに頬杖をついてみせるとそんな私が余程ツボに入ったのか
「くくく……ああ君の思っている通り人間社会は理不尽で、ボクはそれを当たり前と思っていた……当時のボクには気付けなかったが、今こうして思い返すと実にふざけた社会の構造だったよ……ボクだって素直に受け入れた訳じゃあなかったけどね? あの時何が起きたのか知りたいという好奇心もあったし、何よりボクの全てを注ぎ込んだベロニカを他人に好き勝手調査されるのはどうしても許せなかったんだ」
「ああ良かった、ようやく心から同意出来る言葉が出てきたわね」
足を崩しながら頷いて同意を現す、ベロニカ……彼女は思想家が名を馳せる為の第一歩でもあったと同時に彼の一番での理解者でもあった筈だ、そんな彼女を他人に軽々しく渡せる筈が無い。
「それで……残った彼女の体からは何か情報が得られたの?」
「いいや、天候管理システムとの連結の際の情報は接続が焼き切れた際に殆ど全て消失していたよ……残ったメモリープール、つまり記憶領域とは別に保護されていた記憶の殆どは……ああそう、そうだ……ボクとの中身なんて無い日常会話の記録ばかりだったよ、ボクが食堂の水差しをひっくり返した話なんて百回以上も再生されていて……全く、一体何がそんなに面白かったのやら」
「そう……彼女、ベロニカは貴方の事がそんなにも好きだったのね」
両手を広げて揺らしながら冗談めかして言う思想家をまっすぐに見つめて感想を述べると揺らしていたピタリと手が止まり、ゆっくりと下ろされた。
「そんなの、そんなのはボクも同じだった……彼女との時間が大好きで、彼女の事なら何でも知っているつもりだった……だが結局雨についても雨に含まれた毒の解毒方法についてもボクは何も解決する事は出来なかった、あの時程無力感を感じた事は無かったよ……そして追い詰められたボクは彼女と共にこの部屋に封印される事を選んだんだ、せめてこうする事で再度彼女が暴走して雨が降り出す事を防げるだろうと……ね」
「……なら、もう雨は降らないの? 地上が未知の毒に襲われる事はもう無いの?」
「必ず……とは言えないのが辛いところだね、なにせベロニカとの連結の際の魔力が未だに残っているせいで
「え……あれってその時の残りの魔力で動いているの!?……信じられないわ、一体その一瞬にどれだけの魔力が発生したっていうのよ」
上を見上げて驚きの声を上げる、雨が降り始めてから一体何十年が経ったと思っているんだ……それ程までに彼女の気持ちは深く、そして激しく揺れ動いたという事なのか。
「ボクの観測していた限りじゃ起動した当初と昼夜の切り替え時間などに寸分の狂いも無い……破壊でもされない限り、アレはまだまだ動くだろうね」
「は……はは、ホントとんでもないわね……ベロニカもアレも貴方の開発なんでしょう?……だったら貴方は間違いなく母と同じかそれ以上に優秀な科学者だわ、私が保証してあげる」
「っ……そうか、そうか……ありがとう、その言葉を聞けただけでも今日まで生きてきた意味があったというものだ」
顔を上げた思想家が僅かに息を震わせながら感謝の言葉を述べた。
それにしても……これが事の顛末とは、悲劇である事には変わりないが人類が滅びた理由としては随分とあっさりとしていると思わずにはいられない。
「私も貴方と会えて良かったわ……最初に貴方が雨を降らせたなんて言い出した時は殴ってやろうと思ったんだけどね、堪えて良かったわ」
「……なんなら今からそうしてくれても構わないよ? 経緯はどうあれ雨が降るきっかけを作ってしまった事には変わりないんだ、君にはボクを殴るその権利も理由もある」
「はっ……冗談、こんな話を聞いた後で貴方を殴ろうものなら目覚めが悪いどころじゃ済まなそうだもの」
ソファに座りながら両手を広げる思想家を笑い飛ばして背を向けて立ち上がると、ほぐすように腕や体を伸ばす……座り過ぎたせいか体が固まってしまったようだ。
「ティス君、君はこれからどうするんだい?」
「そうね……下に降りて妹の体作りを開始しようかしらね、随分と待たせちゃったし……ここに来る事になったのも私のワガママだしね」
「そうか……それでは、またしばらく会えなくなってしまうのだね」
いつの間にか立ち上がっていた思想家の声色からその気持ちが真剣なものである事は分かった、私にはエルマやリリアがいるが彼は機械人形の庭を作り上げる程に孤独だったのだ……数少ない生き残った友人は大切にしたいとは思う、これ以上無いくらいに変な男だがその点はこの際目をつぶる事にしよう。
「なぁに、寂しいの?……冗談よ、リリアの体が完成したらまた会いに来るわ。その時リリアもこの部屋で動けるし……今度こそみんなでお茶会といきましょうか」
「おお……おお、それは実に楽しみだ! 今から心が躍るようだよ!」
ウキウキと両腕を振り回しながら踊り始めた思想家に苦笑すると、背を向けて入ってきた扉へ向かおうと歩き出し……ふと疑問が浮かんで再び思想家の方へと振り返る。
「……ねぇ、貴方って封印されてるのよね? この部屋から出る事は出来ないの?」
「ん? その通りだよ、随分と昔に試したくなって扉の外に首を出したんだがね……結果は御覧の通り頭が吹き飛んでしまった!……全く、この体の再生能力と手頃な魔石灯が無かったら今頃ボクは首無し男になっていたよ」
「……そ、そう」
両手を腰に当てていかにも怒っていますというポーズをとる思想家にそこは人間として死んでいた方がいい場面ではないのか? と言いたくなったが言葉を飲み込む事にした、ひょっとして彼は不老不死なのだろうか?……私はどちらかと言えば技術者だが、彼についてならば研究してみたい気もする。
「いえ……でも聞きたいのはそこじゃないのよ、この部屋から出られないのであれば下にあったエナやこの時計塔はどうやって建てたの?」
「ああなんだそんな事かい?……この場所は以前レジャー施設の建設予定地だったんだよ、雨のせいで無用の長物になってしまったこの建物だったけど、どうせ彼女と封印されるなら眺めの良い場所がいいとボクが提案したんだ……まさか封印機構の影響で部屋の内部がこんな風になるとは夢にも思わなかったけどね」
「……確かに」
腕を組みながら辺りを見回す……元がどんな部屋だったのかは分からないがこの部屋の奥行きの長さは明らかに本来の質量を無視した規模だ、一体どんな封印機構を組めばこんな事になるのか……いや、ベロニカの影響範囲が分からなかった故に巨大化したのか……だとすればこの広大さは人間達の雨に対する恐怖心そのものの大きさを表しているのかもしれない。
「それと……エナをどうやって作り上げたかだったね、ボク自身は外に出られないけれどこの部屋で作った物は外に出られる事は何度か実験して分かったからね、ボクの胸の魔力のカケラを機械人形に組み込んで作ったこの子を操って作り上げたのさ……こんな風にね?」
そう言って両手の手のひらを上下に重ねて私に向けて突き出した、その意図が分からず首を傾げていると小刻みにその両手を開閉し始めた……すると、どこかで聞いた声がその両手から発せられた。
『こんにちわ、エナへようこそ! エナは日々成長を続ける素晴らしい街よ、貴方もきっと気に入るわ!』
「あ、貴方……それって」
その声はこの最上層に辿り着いた私達に真っ先に向かってきた少女のものだった、僅かに首を傾げたその思想家の顔には……表情は分からないが、間違いなくニヤリと笑っているのがよく分かった。
「それ……本気で悪趣味だから彼女に嫌われたくなかったら即刻やめる事ね」
「おっとそれはご忠告痛み入る……心の、そう……それはそれは奥の奥へと刻んでおくとしよう」
「はぁ……貴方のそのよく動く舌に直接刻み込んでやろうかしら」
すっかり調子を取り戻した思想家に深いため息をぶつけると、今度は足を止める事無く扉の前へと辿り着いた。
「ティス君」
扉のドアノブを握ると背後から思想家が声をかけてきた、今度ふざけた事を言うようならやはり一発ぐらい蹴ってやろうかと意気込んで振り向くが姿勢を正した彼からは今までのようなおふざけの気配は感じなかった。
「……何よ」
「いや……これは君に無駄な希望を抱かせるだけかもしれないから本来は言うべきではないのだと思う、思うんだが……それでも君よりは長く地上を生きた者として一つだけ、君の胸中に留めて欲しい事があるんだ」
顎に手を当て言葉を続けて良いものか思案しているように見える、彼は私に何を伝えたいのだろうか?
「どういう事?……一体何の話をしているの?」
「うん……君も良く知っていると思うが人間ってやつはひどく弱い生き物なんだ、それでも長い時間を生き抜いて命を繋げて生きてきた……それを見てきて、歴史として記憶してきたボクはどうしても思えないんだ……果たして毒の雨程度で人類は根絶されてしまうのだろうか、とね?」
「それじゃあ何……貴方は人類は滅びていないとでも言いたいの? 夢物語なら……っ」
最後まで言い終わらない内に思想家が私を指差した、思わず言葉に詰まり二つの火が揺れる顔を見つめてしまう。
「ボクも半信半疑ではあったよ……でも事実として君が現れた、第二世代の人類……ホムンクルスがね? この時点でそもそも人類は滅びてなんていないじゃないか!」
「それはっ……そうかもしれないけど」
私達に加えて思想家、そしてヤコの姉弟にナターシャも加えれば人間とは言えなくともこの世界には少なくともまだ十三の命が残っている事になる……そう思えば滅びたと言い切るのは尚早なのかもしれないが……。
「いいかい? 夢物語だと、ただの妄想だと言うのは勝手だが遥か昔から見れば今この瞬間だって夢物語だったんだ……たかだか数十年生きただけであり得ないと言い切れる方がむしろボクはあり得ないと思うけどね、案外あと数十年ぐらい生きたらひょっこり生きた人間が出てくるかもしれないだろう?」
「……随分気の長い話ね、今から気が遠くなりそうだわ」
「問題無いだろう、時間ならたっぷりあるのだから」
「ふふっ……せいぜいこの扉が錆び付いて開かない、なんてならないようにメンテナンスしておくことね」
「おおっそれは困る、ぜひそうしておくとしよう!」
口に手を当てて笑いながら頷く思想家に背を向けて扉を開いた、私に気付いたエルマやリリアを宥めながら締まりゆく扉に横目を向けると思想家が軽く手を振っていた。
背後で音を立てて扉が閉まる……リリアを固定具に装着しエルマを抱き締めて部屋を後にしようとするがふと立ち止まり、あの部屋への扉に背を向けたまま人差し指を一本ピン、と立てた。
「思想家、これは賭けよ……もし次に会うまでに人間の生き残りが私の前に現れたら貴方の勝ち、逆なら私の勝ちよ……負けた方が相手に甘いお菓子や紅茶をご馳走するの……どう?」
少し待ったが返事は無い、そういえば魔力切れを起こしていたんだったか……まぁ一方的に勝負を叩きつけるのも面白いかと思い直し一歩歩くと背後からノイズのような音が響いた、ギリギリの魔力で通信するとよく起こる現象だ。
「……では、君がせっかく持って来てくれたお菓子を階段で落として泣いてしまわないように小型のエレベーターを作っておくとしよう!」
「はっ……ホント、口が達者なんだから」
それきりノイズすら鳴らなくなった部屋に背を向けて階段を再び下り始めた……さぁて、次にあの軽口を聞くのは何年後になるのか……楽しみなようなそうでもないような、複雑な気持ちが胸の内を満たした。
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