第十八話 屑齧り

「誰だって聞いてるのよ、答えなさい……!」


 再度問い掛けるが窓ガラスに映った少女は何も答えずこちらを見つめ続けている……長く綺麗な髪を大きな黒いリボンで一本に束ねた少女だ、顔立ちは幼くこんな状況でもなければ可愛らしいとすら思えるのだが……この浴室に取り付けられたサポート機構かセキュリティの誤作動によるものか?……いいや、大雑把にしか確認していないがこの部屋にそんなものは無かった筈だ。

 この状況に混乱しているのか思考がまとまらずにいると、それまで微動だにしなかった少女がこちらに向かって近づき始めたではないか。


「……っ!」


 咄嗟に身構えるがすぐに危険は無い事に気が付いた、何故ならば少女は段々と近づいてはいるが窓を画面と見立てた際に画面に向けて近付いているイメージと言えば分かりやすいだろうか?……距離は変わらず、少女の姿だけが段々と拡大されていく……本当に何かの映像を見せられている気分だ。

 やがて少女が限界まで近づき口元のみが大きく映し出されるとこちらに向けて軽く開き息を吐きかけた……すると窓ガラスの一部が白く曇り、少女の小さな指先で『112』という文字が描かれた。


「……何、なんの数字な……の?」


 意味が分からずぱちくりと瞬きをすると少女の姿は消えており、窓ガラスはただ夜と降り続ける雨を映すのみとなっていた。


「なんなのよ一体、幻覚……? いえ、それにしては妙に……」


 壁に寄り掛かりため息を漏らす、水噴機すいふんきで温まった体もすっかり冷え切り妙に重い疲労感が全身を包み込んでいる。


「……もう一度浴びよう」


 肌がしっとりとしているせいかやや脱ぎにくい服をどうにか脱ぎ去り、水噴機から降り注ぐお湯を全身に浴びると冷えた空気が再び温められ白い湯気が部屋を満たすが、チラリと視線を向けた窓ガラスに文字が映る事は二度と無かった。

 勿論お湯の温かさに集中する事など出来る筈も無く頭に浮かぶのは先程の少女の事ばかりだ、少女の正体について思い当たるのは……以前時計屋が寝物語として話してくれた非科学的な存在の事だ、お化け・幽霊……人間が死して肉体が腐り落ちた後も魂のみの存在となって彷徨っているというもの……だっただろうか? その目的も様々で生きている者を殺めようとする者もいれば悪戯をするだけのもの、ただ宛てもなく彷徨っている者など様々らしいが……謎の数字を伝えるだけのものもいるのだろうか? 時計屋も信じている訳ではなく私の反応を楽しんでいるだけのようだったのでバカバカしいと一蹴してしまっていたが、まさか本当に見る日が来るとは……。


「それにしてもあの子の雰囲気、なんとなくだけど覚えがあるような……?」




「中層……ですか?」


「ええこの本によるとここが中層らしいわ、そしてこの道をこう進むと……ここから上が上層、そして更に上に最上層があるらしいけど当時は建設途中のようね、作業自体も殆ど進んでいなかったみたいだし下手をすると今も未完成のままの可能性もあるわ」


「それじゃあ……このまま私達は上層に向かうの? お姉ちゃん」


「途中に何かめぼしい施設でもあれば寄ってもいいけど……最終的にはそうなるでしょうね」


 開かれた本に描かれた地図を指でなぞりながら……ついため息が漏れる、気になる名前の施設はいくつかあるがなにぶん数が多すぎる……ただ彷徨うよりはどこかしら場所を絞りたいところだが……適当にページを捲っていると先程の少女との出来事が脳裏に浮かんだ、彼女の示した数字は確か……。


「……!」


「ティスさん? どうかしましたか?」


「お姉ちゃん?」


 少女の指し示した数字のページを探し、書かれた文字を指でなぞっている内にある施設の名前が目に留まった、あの少女がこれを意図的に私に示したのだと言うのか? であればあの子には私達の状況が分かっているという事になるが……仮に偶然だろうが意図的だろうが、何にしても私達に必要なものがあるかもしれない場所なのだから行ってみるほか無いだろう、そう心に決めると顔を上げた。


「……次の目的地が決まったわ」


 二人にも見えるように本を開いてテーブルの上に置き、その中の一文を素早くなぞる。


『魔導薬研究所』




「……うん、やっぱり残留した雨水からは少量の毒素も検出されませんよ!」


 開かれた玄関に佇む私に向けて先に道路へと出て水溜りを検査していたエルマがこちらを向いて頷いてみせるとそれを見た私とリリアが同時にほっと息を吐き出す……そんなお互いの様子に気付いた私達が視線を合わせ、思わず笑ってしまう。

 大丈夫だと分かっていてもやはり長年畏怖の対象と教え込まれていた印象はそうそう簡単には変わらないらしい、目の前の小さな水溜りに視線を移す……ブーツの履いた足を水溜りの脇に伸ばして……ふと思い直し水溜りを思い切り踏みつける、小さな水音が響きブーツの履き口まで跳ねた水滴が小さなシミをつくるが……それだけ、体調にもブーツにも一向に何か変化が起きた様子は無い。


「良かった……こんな事ばかり任せて悪いわねエルマ」


「何を言ってるんですか、これが僕の仕事なんですから!」


 そう言って自慢げにくるくると回ってみせるエルマに笑いかけるとヘイズを起動させ、民家から飛び出した……向かうは上層、その入口だ。


「……そういえば野暮かと思って言わなかったんですけど、このヘイズで階段は上れませんよね? 上層に上る際に邪魔になったりしませんか?」


「あんまり高い所は無理だけれど、ある程度なら飛び上がれるわよ?……それに、今回はそんな問題は無さそうだしね」


「……あ! エルマ君あそこ!」


「はい? どうしたんです……えぇぇ!?」


 大通りを走り抜けて目的の角を曲がり……どうやら先に気付いたのはリリアだったようだ、続いて悲鳴を上げるエルマについ笑い声が漏れてしまう。

 先の雨のせいか薄く辺りを隠していた霧の奥から質量という圧倒的な存在感をもって私達の目の前に現れたのはどのくらいの太さなのかなんて考えるのもバカバカしくなるような大きさの柱とこちらに向けて大口を開け、柱に巻き付きながら天まで伸びる巨大な筒だった。


「な、なんですかアレは! 巨大な……魔導チューブ!?」


「ええ、建築材料やら巨大なドールやらを上まで運ばないといけないからね!……って本に書いてあったわ! 私もあそこまで大きいとは思わなかったけど!」


 魔導チューブ……簡単に言えば入口から出口までを中に入るものなら自動で運搬してくれるドールの一種だ、地下でも土砂の運搬や魔導石の採掘などに使われているものでそれ自体が柔軟性をもっており多少口より大きいものでも形状を変化させて運搬してくれる優れものだが……まさかその中に自分が入る日が来ようとは!


「お、お姉ちゃん……私ちょっと怖いかも」


「確かに……その、あそこまで大きいと威圧感というか、少し不気味さを感じますね……」


 二人の怯えた声を聞いていると何だか私まで不安になってくる……言われてみればチューブの表面を黄色い光が波を打っているその姿は巨大な無足動物に見えなくもない……。


「っ……ええい、行くわよ!」


 臆病風に吹かれかけた心を振り払うようにヘイズを猛加速させ魔導チューブへと突っ込んだ、気合を入れて飛び込んだはいいが魔導チューブは何の抵抗も無くあっさりと私達を飲み込んでしまう。


「うわわわわ……わ?」


「あれ、なんだか……綺麗?」


 真っ暗かと思われたチューブの内部は表面にも表れていた魔導石の魔力による光が幾筋も伸びて内部を照らしていた、チューブそのものが柔らかい物質で出来ているので全体が少し波打ってはいるが……外と比べて障害物が無い分走りやすいかもしれない。

 そうと分かれば私の独壇場だ、ニヤリと笑い一気に速度を上げてチューブの壁や天井を縦横無尽に駆け巡ると先程まで怯えていた筈のリリアが楽しそうに声を上げた。


「いっけーお姉ちゃん! あはははは!」


「わわわわわ、落ちちゃいます! 落ちちゃいますってぇ!」


「ほらほら、頑張んなさいエルマ! そんなんじゃこの先ついて来られないわよ!」


「んぎぎぎ……!」


 アームを伸ばし、必死に落ちないように耐えているエルマを見て楽しんでいるとやがて遠くにチューブの切れ目が見えてきた、柱を見た時は相当な高さだと感じたがチューブ自体が私達を上に運んでいるお陰か相当な速度が出ていたらしい。


「ティスさん!」


「分かってる!」


 魔導チューブの出口には大抵受け皿となる底の深い移動式の荷台などが設置してあるのが普通だ、ただしこのサイズの魔導チューブの受け皿ともなるとその巨大さは想像に難くない……そんなところに落ちたら這い上がるのは極めて困難だろう、ならばどうにかして避けるか飛び越えるしかない。

 再びヘイズを加速させ魔導チューブの壁を駆け上がって天井を駆け抜け、勢いを殺さぬまま外へと飛び出した! しかし天地が逆になった私の視界に映ったのは想定を外れ、受け皿も無くただ道が様々な方向に伸びているだけだった、ホッと胸を撫で下ろし落下しながら着地に適した場所を探すが下と比べて周囲が随分暗い……まだ陽動器ようどうきの稼働時間の筈だが……。


「お姉ちゃん上! 何か降って来てる!」


「え? 何かって……げっ!」


 外へと飛び出した私達を迎えたのは上から降ってきた巨大な口だった、丸みを帯びた体に関節が歪に曲がった二本の足、そしてこの食欲を形にしたような巨大な口……間違いない。


屑齧くずかじりです!……でも、あんな大きいのは見た事がありません!」


「私もよ!」


 建造物など解体が難しい物を処理する為に作られた廃棄物処理用ドール……それが屑齧りなのだが、周りの建造物も大きければそれを廃棄処理するドールも必然的に巨大になるという事か。

 だが通常屑齧りは高度な思考プログラムで制御されているので流れてきたものに対して何でも襲い掛かるという訳では無い筈……恐らく雨の影響で故障しているのだろう、だがその体積故に破壊し切られなかったといったところか……だが体は残っていても両脚の破損はかなり酷い、あれでは俊敏な反応は出来ないだろう。


「エルマ、操縦よろしく!」


「え? わわわっ!」


 操縦権をエルマに譲渡すると私は空中を飛ぶヘイズの座席からふわりと離れて飛び上がった、すると屑齧りの小さな目が私を捉えるのを感じた……やはりこいつは自らの修復のために私の体の魔導石を欲しているようだ、しかし探そうにも両足が破損して満足に動けないのでここで獲物を待ち続けていたのだろう。


「……ごめんなさいね」


 一体どれだけの時をそうして待ち続けていたのか……それを思うと哀れに思えてならない、やがて襲い来る大口が私を包み込み……その口は固く閉じられた。


雷鋼線ディミット・ワイヤー


 ヘイズの位置は把握している、間違っても当たらないように気を着けながら全身から伸ばしたワイヤーで屑齧りの体を内部から次々に切り裂いてゆく。

 私が地上に降り立つ頃には肉塊と化した屑齧りはその機能を完全に停止し、残った肉片の一部からは赤錆色の動力液が吹き出していた。


「……せっかく汚れを落としたのに、また汚れてしまいましたね」


 無事に着地を済ませ、上手にヘイズを操り私の近くで停車させるとエルマが静かに話しかけてきた、確かに……髪や服が屑齧りの動力液でベトベトだ。


「ま……仕方ないわ、生きていく上で汚れる事は不可避だもの」


 とはいえ少々不快である事に変わりは無い、収納箱からタオルを数枚取り出して拭いていくと思ったより簡単に落ちてくれたので助かった。


「……貴方の魂も、次は良い環境で生まれるといいわね」


「魂……ですか? なんだか珍しい事を言いますね、何かあったんですか?」


 屑齧りの残骸に話しかけるとエルマが不思議そうにリリアと顔を見合わせ、体を傾けた。


「つい最近、人の魂の在り方について考える機会があったのよ」


「そう……なんですか?」


 私の答えにしっくりきていないのだろう、だが私も明確な答えを持っている訳でもないので曖昧に笑うとヘイズに跨り、再び駆け出した。

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