終わりを歩く人形細工師
夢月
第一話 杯人達の歌
かつて地上には無数の人間達が住んでいたらしい、それだけの数がいる中で果たしてどれだけの人が地上を奪われる事を想像したのだろう?……なんて、そもそも地上を知らない私には想像する事すら難しいのだけれど。
「……しまった、完全に道に迷ったわね」
「もぉー! だから言ったじゃないですか、それなのにティスさんったら一人で勝手にどんどん進んじゃうから……」
「あーもう、うるさいよエルマ!
汚染窟に入った時よりも随分重くなった採集用の鞄を担ぎ直しながら耳元で騒ぎ続ける相棒を睨みつける、彼の言う事も最もだがこれだけ大量に食料の調達が出来たのは大きい筈だ……まぁそのせいで今度は帰り道が分からなくなったのだが。
「ホンット食い意地が張ってるんですから……それより、
「私だって嫌よ、さっき見た時はまだ余裕があったと思うけど……」
腕に装着した遠隔操作用のギアを操作すると私の顔を覆うガスマスク内に様々なグラフが表示された、今いる汚染窟の有毒性のレベルやフィルターの状態を示すものなどなど……さて目的の表示はどこだったかと視線を巡らせ……ようやく見つけた。
隅の方で横に並んだ細長い緑色のゲージ、暗い汚染窟を照らす魔石灯に装着された魔力の残量だ、二本装着された魔石灯の残量は両方ともどう甘く見積もっても半分を切っている。
「両方とも残り四割ってところね……まぁ、帰るだけなら大丈夫でしょ」
「本来なら、ですけどね? 今僕達が道に迷っている事を忘れた訳じゃないですよね?」
「あーもう! 何度も言わなくても分かってるわよ……全く」
後頭部を乱暴に掻き、今も私の周りを飛び回りながら小言を漏らす小さな相棒にうんざりした表情を向ける。
小言をこぼしがちな彼……エルマは球体タイプの小型の追従式魔導機械だ、魔導石を動力とする機械は全て『ドール』と呼ばれているがそれだと何か味気ないので、私はこの子に『エルマ』という名前をつけた。
──魔導石、もう六十年程前になるのか唐突に人間界に現れたその石はこれまで人類が築き上げた文明全てを過去にする程の力……『魔力』を秘めていた、そんなとんでもない物を発見した世界は一丸となって魔導石の研究を進めた結果……生活のあらゆる動力が魔力によるものに変わっていき、当時の偉い人はその醜く膨れた腹を叩いて愉快そうにこう宣言したそうだ、『人類は新たな境地へと辿り着いた』……と。
しかしそんな人間達の急激な発展を神が許さなかったのか世界が許さなかったのか……やがて世界中に雨が降り始めた、もちろんただの雨じゃない、発展した世界でも解析出来なかった未知の猛毒を含んだ雨だ……それが世界中に止むことなく延々と降り続けた、少量でも体に触れれば体の臓器に著しいダメージを与えた上であらゆる機能を奪い、雨を避けて建物に引きこもろうとも降り続けた雨はやがて建物を崩し中にいる人間をも次々と殺していった。
「……ティスさん、あっちから何か聞こえませんか?」
「え?……確かに聞こえるわね、声……かしら?」
猛毒の雨は人類から文明と尊厳と、そして慣れ親しんだ地上の全て奪い去った。
僅かに生き残った人類が地下に移り住んで数十年、世界に嫌われた私達は今も尚しぶとく生き残っている……ここまでが人間達の記憶に深く刻まれた地上の歴史であり、そして『私が教えられた』歴史でもある。
「見てくださいティスさん! あんなところに扉がありますよ!」
「大声出さなくても分かってるわよ……随分錆だらけね、開拓時代の時のものかしら?」
エルマの案内と微かに聞こえる声を頼りに洞穴を抜けた私達の前に立ち塞がったのは赤錆だらけの扉だった、鍵穴は錆や土で埋まっており試しにとノブを握るが完全に固まってしまっているのか回せる気がしない。
ガスマスクのバイザーに表示されている周囲の汚染度を表す数値も殆ど最低値を示している、という事はこの先は恐らく……。
「……エルマ、下がってなさい」
「はい?」
体を回転させ疑問をこぼしながらもエルマが私の後ろに回り込んだのを見届けると二度三度軽くジャンプして体をほぐす、頑丈そうな扉だが……この程度なら恐らく平気だろう。
「──
素早く体をねじり、回転する勢いのまま扉に猛烈な蹴りを繰り出す。
全力の回し蹴りを受けた扉はその身を盛大に歪ませながら数メートル先まで吹き飛び……盛大な不協和音を奏でながらどこかに落下していった。
一方私の足はと言うと蹴りの衝撃が足先から太ももに抜け、その衝撃の強さを物語るかのように太ももに開いた排気口から僅かに白い煙を吹き上げている……想定よりも厚い扉だった、ほんの少し無茶をしたかもしれない。
「ティ、ティスさん! 鉄の扉を蹴破るなんて……足は大丈夫ですか!?」
「平気よ、人工皮膚はその内再生するし……排熱さえ済めば元通りになるわ」
おろおろと周りと飛び回るエルマに大丈夫だと言い聞かせるとどうにか落ち着いてくれたようだ、いつからこの子はそんなに心配性になったのだろうか? そんな事を考えていると扉が無くなり大きく開いた口から風が流れ込んでくるのを肌で感じる、それは爽やかなものでは決して無いが広い空間に出たと安心感を得るには十分なものだった。
「随分と端の方みたいだけど……ズーラに戻って来られたみたいね、良かった」
「ふふん、僕が最初に音に気が付いたんですからね! 感謝してくださいよ?」
「はいはい、偉い偉い……とと、随分ボロいわね」
扉の先は老朽化した作業用に組まれた階段の最上階だった、先程の扉と同じく手すりも床もあちこち錆びてボロボロだがすぐに崩れたりという心配は無さそうだ。
手すりに寄り掛かり辺りを見渡すと私達の住む巨大な穴倉が一望出来た、地底都市ズーラ……私の生まれる前に地下に降りた人間達が生きる為に掘り進め拓いた人類最後の生存区域だ、街の入り口に並ぶ明かりがここからでもよく見える……どうやら私達の家からそう離れた場所でもないようだ。
「……ティスさん、僕初めて見たんですけどアレって……いえ、あの人達って……」
ぼんやりと景色を眺める私の隣でエルマが触れるかどうしようかという迷いを隠し切れない様子で言葉を切り出した、恐る恐るエルマが見つめるその視線の先にあるのは……私達をここまで導いた音の正体だ、いや……音と言うより今も尚下から聞こえるこれは歌とも呻き声ともとれる沢山の人々の声だった。
「ええ……
杯人……ここまで逃げ延びたはいいが猛毒の雨の影響で皮膚は干からび灰色に変色し、頭部が半分に割れた卵のようになってしまった人間達の事だ。
半分以上が空洞になってしまった頭部からは絶えず薄く黄色がかった髄液が溢れ出し、その重さから常に頭を下げた姿勢のまま動かず、全員が手に持った大きな杯でそれを受け取る……杯には細工が施してあり底からはチューブのようなものが伸びており、幾重にも連なった円状に並ぶ彼らの中央に佇む巨大な燭台で燃え盛る炎を絶やさない為の燃料となっている……先程から聞こえていた音はそんな彼らの絞り出すような声が重なり合ったものだったのだ。
「あの……その、凄い迫力……ですよね」
「……そうね」
エルマが必死に言葉を選びながら感想を述べる、私もここまで近くで見たのは初めてだが……確かに酷く粘ついた人の執念のようなものを感じる。
杯人たちの割れた顔では個人の判別はつかず性別も体に僅かに巻かれたボロ布の巻き方でしか判断がつかない、最早自我があるのかも怪しく五感も殆ど無かった筈だ。
「彼らは……生きているんでしょうか?」
「哲学的な話ならパスよ……まぁ彼らはああやって自らを捧げ続ければ神様ってやつがいつか再び尊厳を取り戻した人間として自分達を蘇生させてくれるって信じてるみたいだけどね、そういう欲がある事を考えれば……ある意味で、生きていると言っても良いのかもしれないわね」
「神様……地上時代の人間が思い描いた偶像、ですか……そんな存在が、本当に実在するんでしょうか?」
「さぁね、エルマ……もし貴方が神様だったら、彼らを助けてあげたいって思う?」
「当然ですよ! 僕にそんな力があればティスさんやリリアさんを今すぐにだって……!」
「どうどう……落ち着きなさいって……ありがとね、エルマ」
興奮しながら周りを飛び回るエルマを軽く撫でて落ち着かせると、再び杯人達の方を一瞥する。
捧げ続けるだけの存在となった人間の一つの末路……これ以上見ているのも辛くなり無理矢理顔を背けて作業用階段から飛び降りるとこちらの存在に気付きもしない彼らに背を向け、私達の住む街の方へとゆっくりと歩き出した。
「でもねエルマ?……私は思うのよ、あそこまで自分達を救ってくれると信じている存在が今の私達の状況を許してるのだとしたら……神様なんて存在はもういないか、彼らにもうそんな力は残っていないんだと思うの」
「そんな……そんなの、悲しすぎますよ」
「……それにしても地上世界……か、いったいどんな所だったのかしらね?」
歩きながら上を見上げ、遠くに広がる植物の蔦とゴツゴツとした岩肌で構成された天井を見つめながら誰に宛てるでもなくそっと呟く。
――私は地上を知らない、私は地下で生き残った人間の遺伝子から作られた第二世代の人類……ただし猛毒に侵された遺伝子から作られた為に生まれた時から右腕と両脚が無く、代わりに魔導石が埋め込まれた魔導義肢と呼ばれる義手と義足を装着した……生物と呼ぶには極めて機械的な
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