第九話 ハーティルドール家の姉弟

 私のせいだ。

 私が不用意に声をかけたから時計屋が怪我をしてしまった、私が邪魔をしたから時計屋が殺されてしまう……全部、私の──。


「……時計屋クロッカーぁ!」


 堪らず駆け出すと耳に届いたのは一発の乾いた銃声、そして目の前に土と小石が低く飛び上がり思わず足が止まる。

 何が起こったのか理解できず時計屋の方を見ると、その片手に持った銃の先端が私の少し先の地面を向いていた。


「本当に優しい子だねお前は……大丈夫だから、そこから動くんじゃないよ……いいね?」


「時計屋……でも……」


 今すぐにでも駆け寄りたい、しかし再び地面に視線を落とすと鉛玉があけた小さな穴が私の足をピタリと止める、飛び越えるまでもない小さなものだが奥に広がる巨大な穴よりもその小さな穴と時計屋の言葉だけで恐ろしい程に足が動かなくなってしまう。


「それにしても……武器を投げるのはいいが、それで仕留められなかった場合の事は考えてるのかい坊や?」


 腹部に刺さった剣を引き抜きながら時計屋がいつの間にか立ち上がっていた蛇に向けて問い掛ける、まさか平気なのか?……いいや違う、彼女の足元には明らかに大きく命を削る黒い血溜まりが今もなおその大きさを広げているではないか。


「……普通、腹部を貫かれた人間はその場に崩れ落ちて消えゆく命が吹き消える束の間を経験するもんだ、その様子だとヴィオレッタ……お前もか」


 あれだけ強烈な蹴りをまともに受けた筈の蛇もフラついてはいるが平気そうだ、時計屋が手加減を?……いや、そんな事をしているようには見えなかった。


「ああ、もう随分と前から痛みを感じなくてねぇ……他にも色々、視覚が真っ先にやられなかったのはお互いツイてたって事かねぇ……ヒッヒ!」


「痛みを感じないならむしろ良いかと思ったが、こりゃ案外不便だな……ん? おいおい見ろよヴィオレッタ、腕が折れちまった! ひでぇことしやがるぜ、ホント」


 不自然に曲がった左腕をわざと更に揺らしながら蛇が初めてのものを見た子供のように愉快そうに大声で笑い声を上げ、時計屋もそれを見て小さく喉を鳴らす……私は一体何を見ているのだろうか? 私のようにホムンクルスであったり魔導義肢であれば痛覚を遮断して同じようには出来るが普通の人間が骨折の痛みに耐え笑い声を上げるなんて事が出来る筈が……異様な光景だが、しかしあの腕ではもう戦う事は出来ないだろう。

 そんな私の考えに反し蛇は手元に残った仕込み杖の鞘の先端を地面に叩きつけると鞘から鎌のような刃が生え、時計屋に向けてそれを構えた……あんな状態でまだ戦う気だとでも言うのか。


「ああそりゃあ大変だ……もう一本も折ればちょうどいいかねぇ?」


 そんな蛇を見て無粋だとでも思ったのだろうか? 時計屋は先程自らを貫いた剣を同じく右手で構え、銃は左手に持ってはいるが引き金から指が完全に外れてしまっている。


「抜かせ! その前にお前の腕もへし折ってやるわ!」


 再び蛇が飛びかかり鎌を振り下ろす、その攻撃を剣で防ぐが鎌の長い刃が時計屋の頬を掠め顔を覆うレースごと裂かれた肉から更に血が吹き出す。

 そんな怪我を気にも留めず左に持った銃の底で蛇の腹を殴打し、その攻撃に少し怯んだ蛇が数歩後退する……だがそんな激しい戦闘の最中でも双方の傷口からはおびただしい量の命が吹き出し、辺りを黒ずんだ赤色が彩っている。

 少し離れた位置で見守っている蛇のホムンクルス達も私と同じようにオロオロとしている、お互いにとって彼女らが大切な存在であるのは同じなようだ。


「く、時計屋……お願いよ、もう止めて……」


 そんな無意識に私の口から漏れた懇願の言葉が聞き届けられたかのように洞穴全体を今までにない強い揺れが襲った。


「オスカー……まさか」


「……ああ、もうとっくに菌の層はその一部を完全に失っている……この地底都市全体が崩壊するのは時間の問題だ」


「ちっ……ティス! お前は今すぐ……っ!」


 時計屋が焦って私の方へ振り向くと次の瞬間私と時計屋の間の地面に深い亀裂が入り、亀裂は揺れと共にその幅をどんどんと広げている……ほんの少し呆けていただけなのに既に私達の間に空いた亀裂は全力で飛ばなければ届かない程の距離だ。


「時計屋!……っ!」


 今すぐ助け出さなければ手遅れになってしまう、亀裂を飛び越えようと踏ん張った私の足元に再び一発の銃弾が撃ち込まれる。


「来るんじゃないよティス、ここはすぐに崩れてしまう……だからお前はリリアやエルマと共に逃げるんだ、ズーラから出れば一部は崩壊を免れるかもしれない」


「っ……聞いて時計屋! ここに来る途中に流れ込んできた雨水を調べたの、そうしたら……雨水に含まれていた猛毒なんてとっくに無くなっているのよ!」


「……!」


 私の言葉に時計屋が言葉を詰まらせる、そう……最初に私達が汚染窟に流れ込んだ雨水から逃げた際にエルマが気付いた事だ。

 汚染窟を通り抜けた雨水は周囲の植物をも濡らしていったが、その植物にも毒による影響は出ていなかったしガスマスクが計測した汚染値が上昇する事も無かった……人類を脅かし降り続けた猛毒の雨は既に終わっていたのだ。


「そうかい、それならティス……お前は地上に向かうんだよ! この穴倉に残るよりも安全だし、もしかしたら生き残っている人間達がどこかにいるかもしれない」


「っ……何言ってるのよ! 貴方も一緒に……!」


 一歩前に進み声を張り上げるが、銃口をこちらに向ける時計屋は悲しそうにゆっくりと首を振るだけだった。


「あたし達の話を聞いていたろう?……あたし達はお前と違って終わった人間なんだ、見ての通り寿命なんてとっくの昔に超えているし……もしかしたら罪深いあたし達が地上に出れば世界は再び毒の雨を降らせるかもしれない、だから一緒に行く訳にはいかないんだよ」


「罪深いって……な、何を言って……!」


「……ヴィオレッタ・ハーティルドール、オスカー・ハーティルドール」


「え、エルマ……?」


 訳が分からず混乱する私の横にエルマがゆっくりとやって来た、ヴィオレッタにオスカー……時計屋達が呼び合っていた名だ。


「ああ……懐かしい名前だねぇ、そうか……お前の中にはまだ情報が残ってたのか」


「……ハーティルドール家は魔導石産業の先駆者……そして先の時代を発展させた第一人者達の家系です、特にヴィオレッタ・オスカー両名が所属する会社間で起きた産業戦争は熾烈なものでした……常にヴィオレッタさんの会社が勝っていたようでしたが……」


「ヒヒッ……どうだい、懐かしくならないかいオスカー?」


「……ハッ、懐かしくなるのは姉さんだけだろ……俺は結局、姉さんには勝てなかったんだからさ。俺にとっちゃ忘れたい記憶でしか……いや、今にして思えばそれほど悪くもなかったか……」


 クスクスと笑う時計屋が再びこちらに顔を向ける、その表情は分からないが向けられた視線を受けて胸が張り裂けそうな程に痛く苦しい。


「もう分かったろうティス、魔導石技術による人類の発展が猛毒の雨を世界中に降らせたとするなら、この現状は私達のせいみたいなものなんだよ……だから、私達の死が近づいた事で毒の雨が終わったのであれば……猶更私達が生き延びる訳にはいかないんだよ」


「なによ、それ……そんなのって……」


 亀裂がどんどんと大きくなる、時計屋達の足場が崩れ落ちるのも時間の問題だろう。

 それなのに何故飛べない、何故私の足は動かない、俯いたまま何度も何度も自らの足を乱暴に叩くが地面に貼り付いてしまったかのようだ。


「……なぁ姉さん、俺達は終わりなのか?」


「ヒッヒ……ああそうさ、これからは彼女達の時代だ……なぁに、寂しがらなくても姉さんが一緒に死んでやるから安心しなよ」


「クックック……あーあ! これから地上に出てしたい事が沢山あったんだけどなぁ!」


 そこにいたのは子供時代のハーティルドール姉弟だった、拗ねて横になる弟とそれを見つめる姉……そんな家族の輪の中に私の居場所は無い、溢れ出る寂しさを感じていると不意に時計屋の顔がこちらに向いた。


「ティス……お前の頬は温かかったねぇ、役立たずになっちまった指でも最後にそれを感じられて本当に良かったよ」


 片手の指を擦り合わせながら呟いた時計屋の声は今まで聞いた事が無いくらいに優しいものだった……そんな二人が轟音と共に大穴に飲まれ、地底に消えゆくまで私はただ立ち尽くし見つめる事しか出来ない。


「……時計屋?」


 全てが終わり、ようやくこぼれた私のか細い問いかけは虚空に飲まれ返事が返ってくる事は無かった。


「あ……あ、時計屋ぁぁぁ!」

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