第十話 地底文明の終わり

 それはあまりにも呆気ない別れだった、時計屋クロッカーの言葉など無視して助けたら良かったのだろうか?……そんな事をしたら嫌われてしまうのだろうか? いや、彼女が今この瞬間も生きていてくれるのであればそれでも私は助けただろう。

 ……止めよう、バカバカしい考えだ。出来なかった事をいつまでも理想で塗り固めて何になると言うのか? 私は何もしなかった、何も出来なかった……それだけが事実であり真実なのだ。

 私のせいだ、私のせいで時計屋が……あのひんやりとした指が私に触れる事はもう二度と無い。


「……さん、ティスさん!」


「……なによ」


 周囲をうるさく叫びながら飛び回るエルマにうんざりしながら顔を向ける、お願いだから今は静かにしていて欲しい。


「ここはもうもちません! 気持ちは分かりますが、揺れが弱まっている今の内に脱出を!」


 揺れ?……そういえば確かに揺れがかなり収まっている、今ならここを脱出出来るかもしれないが……だからなんだと言うのか。

 ふと頭上から聞こえた金属の軋むような音が気になり上を見上げると、天井に設置されていた巨大な魔石灯の固定具が殆ど外れており、揺れに合わせて左右に大きく揺られながら辛うじて残った固定具もぼうっと見つめている内に壊れ……周囲の空気を切り裂きながら私目掛けて降ってきた。

 あれに潰されては私もただでは済まないだろう、だがそれもいいかもしれない……時計屋と同じ場所に行けるなら私は──。


「お姉ちゃん!」


「っ!」


 リリアの声にハッとする、そうだ……何を呆けているんだ私は、私は時計屋の他にも生きなければならない理由があるじゃないか。


「──瞬脚ブリンク


 彼女の声が耳に届いた瞬間私の全身に力が戻るのを感じる、素早く身を翻して落下してきた魔石灯を滑るように躱すと即座に立ち上がる。


「ごめん二人共……私、どうかしてた」


「ううん、時計屋は私達にとって大切な人だもん……でも私達はここで死ぬ訳にはいかない、それが時計屋の願いだから……そうだよね、お姉ちゃん?」


「ええ……ええ! エルマ、ここに来るのに使った通路は?」


 自らの頬を叩き気合を入れ直す……目を開けろ、脳を動かせ、生きろ!


「まだ生きています! ただし床材が脆くなっている可能性がありますので、気を付けて走ってください!」


「了解!」


 扉の方へ素早く向き直り……ふと立ち止まると再びゆっくりと振り向く、そこには未だ倒れている姉弟を落下する石などから守っていた蛇のホムンクルス達が立ち尽くしていた。


「……貴方達も来なさい、あの蛇だって貴方達にここで死ぬ事を求めてはいないでしょうし……ここを出るまでは手を貸してあげる」


 いくらホムンクルスとはいえ動ける者が三名では全員は運びきれないだろう、仕方ないと溜め息をつき手伝おうかと数歩近づくと、一番私の近くにいた一名のホムンクルスが手のひらをこちらに向けて突き出した。


「……どういうつもりよ、今更敵も味方も無いでしょう?」


 構わず近付こうとすると手のひらを突き出したホムンクルスが仮面を外して何度か確かめるように深呼吸をした、仮面が外されると共に広がった癖の目立つ黒髪とこちらを見つめる黄色く光る瞳には鋭さが宿っている。


「……お前の好意は受け取るが手伝いは必要無い、私達は私達だけで脱出する」


「貴方……喋れたのね、私はてっきり……」


「ああ、まだ会話が成立するのは私だけだがな……そんな事より早く行くがいい、私達は家族が揃ってから行く……お前も、家族の為に生きるのだろう?」


 そう言って指差したのは私の腰に装着している小型収納箱……リリアのいる箇所だった、チラリと腰に向けた視線を前に戻して頷き返すと彼女もまた頷いて私に背を向けた。


「今の私達ではお前には勝てない、その上お前に助けられたとなれば私達は立ち直れなくなってしまう……だから行け、次は勝つ」


「分かった……貴方、名前は?」


「……父は私をヤコ、と呼んでいた……だから、ヤコだ」


「覚えておくわ……死ぬんじゃないわよ、ヤコ」


「当然だ、私達は偉大な父であるくくり蛇に作られた第二世代のホムンクルスなのだからな」


「そう……そうよね」


 会話はここまでだ、彼女らと再会する為にもまずは私達が無事にここを脱出しなければならない。

 走り出した勢いのまま扉を蹴破って廊下を駆け、飛び降りた螺旋階段の真下まで辿り着き上を見上げるが階段が破壊された形跡は無い。


「……一気に登るわよ、付いてきなさいエルマ!」


「了解です!」


 呑気に階段を上っている場合ではない、両足に力を込め飛び上がり内側に飛び出た僅かな階段のに足をかけて次々に飛び上がっていく。

 再びズーラに出ると阿鼻叫喚の地獄は更に悪化していた、崩壊した建物に潰される者、隅で震える者や地面に座り込み赤子のようにただただ泣き叫ぶ者……その光景だけで分かる、地底で築かれた一つの文明が終わりを迎えた事を。


「ティ、ティスさん……僕達の家が……」


「……っ」


 正直嫌な予感はしていた、そして考えないようにしていたが……僅かな希望はあっさりと潰されてしまった、エルマの示す先……汚染窟に面した私達の家は崩れた洞穴に飲み込まれ、跡形もなく消え去っていた。

 せめてリリアの魔導義肢だけでも回収したかったが……あの様子では諦めるしかないだろう。


「リリア……ごめんなさい、貴方の体が……」


「仕方ないよお姉ちゃん、それに……っ!」


 リリアの言葉を遮るように再び辺りが揺れ出した、仮に家が無事だったとしても殆ど猶予は無かったかもしれない。


「それに地上にも魔導石はある筈だもん……行こう、お姉ちゃん!」


「……ええ、地上へ!」


 時計屋もいなくなり、そして家も無くなったとなれば私達がここに残る理由など無い。

 最早声すら上げられなくなった杯人達の脇を抜けて汚染窟の入り口に繋がる例の作業階段を足早に駆けあがり……飛び込む前に最後に手すりに手をかけて地底都市全体を見渡す。

 私が生まれた場所……地底都市ズーラ、私の知っている光景とはすっかり変わってしまったが……この景色を私は決して忘れないだろう。


「エルマ、この景色を記録しておいてくれる?」


「ティスさん……はい、分かりました」


 エルマは辺りをぐるりと見渡し、こちらに向かって頷いてみせる。

 収納箱から取り出したガスマスクを装着すると短く息を吐き一気に駆け出す、さぁ向かうは時計屋が生まれ過ごした世界……地上だ!




「お姉ちゃんは時計屋から地上について何か聞いた事あるの?」


「……そうねぇ、私が聞いたのは明るい昼の時間と暗い夜の時間というのがある事ぐらいかしら、だから時計が必要だったらしいけど……おっと」


 天井から垂れ下がった太い蔓にぶつかりそうになってしまった、首を軽く反らして避けるが速度は落とさない。

 駆け抜けるというよりは菌糸に脚をとられないように飛ぶように汚染窟の中を進む、平坦ではない道も時折現れる高い段差もこの体ならば障害にすらならない。


「エルマはどうなの? 地上について何か知ってる?」


「うーん、僕の知識もティスさんが僕を作ってくれた際に時計屋さんから追加された情報が全てですから知っていると言ってよいものか……ですが、いくつかある映像記録では非常に高い建物が目立ちますね」


「高い建物……? 雨から逃げる為に作ったのかな、エルマ君?」


「いえ、相当な数が立ち並んでいますし雨が降り出した時期とは大きく異なるかと……あ、でもリリアさんの言う通り地面から離れようとしている痕跡も見られるような……うーん?」


 質問に答えながらも混乱してしまったのかくるくると回り始めてしまった、地上について時計屋と話した記憶はあまり無いしエルマにも情報は殆ど登録されていないようだ。


「ま……どの疑問にももうすぐ答えが出る筈よ、この目で見て一つ一つ確かめてみましょう?」


「……! ティスさん!」


 私の言葉にエルマもようやく気が付いたようだ、ガスマスクのバイザー内に表示されている汚染度が減少し始めたのだ……つまり汚染窟を抜け、もうすぐそこに地上が……そう思った矢先に地面が硬質化した石のようなものに変わり、明らかに人工的な段差が現れ始めた。


「……ここは? 急に広いところに出たけど……」


 速度を落とし段差を上がりきった先は石材で出来た広い空間だった、地面には丸く抉り取られたかのような溝がいくつも伸びており、溝は金属製の柵で仕切られた先へと繋がっている。


「恐らくは廃棄された排水路か浄水路の一部だと思われます、ズーラに流れ込んだ雨水はあそこから流れ込んだみたいですね」


 エルマが指し示した先にあるのは高い天井に嵌め込まれた細長い鉄格子だった、そこからいくつも光が差し込んでいるのが見える。


「あの先が地上……」


「お、お姉ちゃん! 私も見たい!」


「あ、そうよね……ごめんなさい」


 腰につけた小型収納箱からリリアを取り出し、光が差し込む方へと向けると魔導板から感嘆の声がもれた。


「わぁ……綺麗……お姉ちゃん、今からあそこに行くんだよね?」


「ええそうよ、ここからは一緒に見る?」


「うん!」


 元気に返事を返す妹に笑顔で頷くと予備の固定具を取り出すとリリアを胸元に固定する、何度か引っ張って確認するが大丈夫そうだ。


「それじゃ……いくわよ!」


 鉄格子の真下に立ち上を見上げる、差し込む光に目が眩みながら確認するがそこまで丈夫な物でも無さそうだ……これならいけるだろう。

 足に力を込め思いきり高く飛び上がると、素早く体をねじる。


「──瞬脚!」

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