第十一話 地上世界

 蹴り飛ばした鉄格子は想像以上に脆かった。お陰で計算が完全に狂い、蹴り壊したがいいが勢いが殺せないまま私の体は外に飛び出してしまった。


「うっ……!」


 下から見た時とは比べ物にならないぐらいの目に刺さるような強い光に包まれ反射的に両腕で顔を覆う、空間全てが光に包まれているとでも言うのか……? 顔を覆うガスマスクのバイザー越しでも目の奥が刺すように痛い、激痛に耐えながらも薄く目を開き最初に見つけた物陰へとさっと飛び込む。

 ガサガサと耳元で鳴り響く音には聞き覚えがある……時計屋クロッカーの家の前に立ち並んでいた植物からも聞こえていた葉の擦れる音だ、どうやら壁のような形に切り揃えられた植物の影に飛び込んだらしい。


「っ……エルマ、眩しくて私はよく見えないの! 回りの状況は!?」


「お、落ち着いてください!……周囲に生体反応は無し、詳細は分かりませんが何かの施設の中庭かと……」


「……施設?」


「はい、今のティスさんの位置からちょうど後方にに扉があります。僕が扉を開きますので合図したら中に入ってください」


「分かったわ……」


「いきますよ、さん、にー……今です!」


 エルマの合図に合わせて体を回転させ後方へと転がり込む、すると背の低い植物の生い茂った地面から何から固い材質の感触が背中に伝わってくる。


「外と同じく生体反応は無し、空気中にも毒性は検出されません……どうですか? ここの方が光は弱い筈ですが……」


 確かに瞼越しに感じる光量が減った気がする、溢れ出した涙のせいで視界は滲んでいるが何度か瞬きをしてゆっくりと目を開くと段々と視界がハッキリしてきた。


「……ええ、ようやく目が慣れてきたみたい」


 痛みは消えたが視界をまたあの光に奪われては堪ったものでは無い、座り込んだまま警戒の為に少し目を細めながら辺りを見回すが視界に捉える物全てが何か分からず混乱してしまった。

 妙に滑らかだが頑丈そうな床に天まで届きそうな背の高い植物、室内であるにも関わらず水が流れている箇所もある……上を見上げればドーム状に広がった天井には鮮やかな色硝子が細やかな装飾と共に嵌め込まれており降り注ぐ光を受けて輝いている姿には神々しさすら感じる。

 そして何より目を引くのが部屋の中央の少し盛り上がった床の上で浮遊している赤い球体か、どれもこれも地下では見られない光景ばかりで調べようにも何から手をつければいいのか分からない。


「これは……なに?」


 これらの装飾、設置物が何かの罠である可能性も捨てきれない……周囲への警戒は解かずに慎重に立ち上がると謎の球体に近付き、あらゆる角度から眺めてみる……よく見てみるとただの真っ赤な球体ではなくところどころ色にムラがあり、様々な模様が描かれている事がよく分かった。


「……わっ……!」


 恐る恐る球体に触れるとガスマスクのバイザー内に表示されるモニターと同じようなものがいくつも球体の周囲に浮かび上がり、それぞれに何やら文字が表示されている。


「な、なんて書いてあるのお姉ちゃん……?」


「いいえ、さっぱり分からないわ……エルマ、貴方ならこれ読める?」


「少し待っていてください……今翻訳を……」


 エルマが文字を解析する間、改めて室内を見回す……恐らくだが個人の家では無いだろう、広すぎるし……根拠は無いが、なんというかここからは『見せる為の部屋』という印象を受けたからだ。


「翻訳完了しました、モニターは複数展開されていますがどれも同じ意味の言葉ですね……恐らく言語の違う者を対象とした表示かと」


「そう……それで、なんて書いてあるの?」


「はい、多少意味のブレはありますが……『繁栄と衰退』という意味が最も適切かと」


「繁栄と……衰退?」


 こうして話している間にも赤かった球体の色は段々と濁っていき、最終的に灰色の球体となってしまった……故障かとも思ったがそういう訳ではないようだ。


「はい、多分ですけどこの施設は貴重な物を展示する博物館か資料館のような施設だったのではないかと、この球体も展示物の一つだと思います」


「展示物……エルマ、その翻訳した言語のデータを私と同期してくれる?」


「分かりました!」


 エルマから伸びたアームが私の右腕に接続されデータが同期される、これで文字に触れるだけでその意味が理解できるようになった筈だ。


「博物館や資料館であれば歴史的な変化なども記録してあるでしょうし、それを見ればこの地上世界の事も何か分かるかもしれませんよ!」


「地上の歴史かぁ……お姉ちゃん、もしかしたらここにある……ううん、いるんじゃない?」


「? いるって誰……が」


 リリアの言葉に最初は困惑したがその訴えの理由はすぐに思い当たった、辺りをぐるりと見回し文字が何列も書き込んである金属の板の前に立ち次々に文字に触れる。


「戦争と歴史……違う、建造物の……違う!」


「ふ、二人ともどうしたんですか……?」


 私達の雰囲気の理由が分からずおろおろとした様子のエルマに説明してあげたいが今は一刻も早く『それ』を見つけたかった、次々に文字をなぞり……やがてある一文で指が止まった。


「……『時計の針を大きく進めた一族』」


 ぼそりと呟き、金属板に描かれた地図からそれがどこにあるかを調べる……現在地がここで、目的地はどうやら上の方にあるようだ。


「エルマ、行くわよ!」


「わわ、待ってくださいぃー!」


 急に駆け出した私にエルマが慌てた様子でついて来る、施設内はどこも厳かで静寂がお好きな様子だがどうせ今は私達しかいないし止める者などいる筈も無い。

 足音も荒く階段を駆け上がり、目的の階に辿り着いた私達を真っ先に迎えたのは『ある人物』の巨大な肖像画だった。普段の装いとは違う高価そうな装飾品と白を基調とした服を見事に着こなし、ウェーブがかった金色の長髪を揺らしながら自信に満ちたその表情はまさに彼女が今もなお生きていると錯覚させるには充分なものだった。

 肖像画の横に張り付けてある金属製のプレートの文字に指を伸ばすが手が、指先が震える……もう片方の手で震えないように押さえながら指先にプレートが触れると、拍子抜けするほどにあっさりと求めていた名前が見つかった。


『ヴィオレッタ・ハーティルドール、世界の針を進めた女』


「これが……時計屋……なの?」


「そうみたいねリリア……初めて見たけど随分と美人だったのね、貴方?」


 声が震えないようにわざとらしくニヤけながら彼女の肖像画を軽く指先で叩く、コツンという音が辺りに響くが絵の中の彼女の表情は変わらない。

 煮溶けた帽子屋メルト・クロッカー。毒に侵され、弱々しく黒を纏った彼女しか私達は知らないが……地上での貴方はこんなにも自信に満ちた表情を浮かべていたのか。


「貴方の世界に来たわよ時計屋……まだ少ししか見ていないけど、ここは本当に私の知らない物だらけよ……もう少し貴方に地上について聞いておくべきだったようね、そもそもこの時の貴方は私がここに来る事も……生まれる事すら想定していなかったでしょうけどね?」


「お姉ちゃん……」


「なんとか言いなさいよ時計屋、貴方の娘がわざわざ会いに来てあげたのよ?……いつもみたいに笑いなさいよ、聞きたい事……話して欲しい事、たくさんあるんだから」


 絵に頬を押し付ける……冷たい、彼女の手も驚く程に冷たかったがこの無機質な絵に比べれば遥かに温かかった。

 溢れる涙が次々に床を叩き水音を響かせる、リリアにこんな弱い姿を見せたくなかった……だが涙を止めようとすればするほど次々に堰を切ったように溢れ出る。


「もっと傍にいて欲しかったよ……お母さん」




「……ん」


 ゆっくりと目を開くと辺りはすっかり闇に沈んでいた、どうやらあれから展示品のソファに倒れ込み……そのまま眠ってしまったようだ、それにしてもガスマスクを着けたまま眠ってしまうとは……バイザー内に表示されている汚染度は汚染が皆無である事を示している、一瞬迷ったが心を決めてガスマスクを脱いで息を吸うと新鮮な空気が肺を満たした。


「おはようお姉ちゃん、大丈夫?」


 胸元からリリアの心配そうな声がする、のそりと起き上がり澱んだ気持ちを絞り出すように息を吐き……頷く。


「ええ……心配かけてごめんなさい、もう大丈夫よ」


 ふと左手に違和感を感じ視線を落とすと時計屋から預かった懐中時計が巻き付いていた、抱えて寝たはいいが締め付けすぎてしまったようだ……すっかり腕にチェーンの跡がついてしまっている。


「ただ……」


「ただ?」


 うっすらと笑みを浮かべてソファの床に置いてあるプレートの文字を指でなぞると、『永久の眠り』という文字が浮かび上がった。


「このソファで永眠なんてしたら、背中が痛くなるどころの話じゃないわね」


「ふふっ……そっか」


 わざとらしく腕や首を回してみせるとリリアがくすくすと笑った、時計屋が死んでしまった事は彼女にとっても悲劇の筈だ……それなのに泣き声も上げないとは、そういう意味ではリリアの方が私なんかよりも心が強いのかもしれない。


「エルマ、そんなところにいないで貴方もこっちに来なさいな」


 少し離れた場所にいたエルマを近くに呼び寄せる……彼なりに気を使ったのだろうか?


「はい……ティスさん、これからどうしましょう?」


 近付いて来たエルマがゆっくりと回転しながら疑問をこぼす……生き延びるために地下を飛び出したはいいが、地上に出た先の事をあまり考えていなかった……だが、何も考えていなかった訳でも無い。


「そうね……まずはやっぱり拠点を見つけないとね? そして魔導石の回収よ、この地上にもある筈だもの」


「そうですね、魔導石技術はこの地上から始まりましたから探せばきっと見つかるはずです」


「ええ、そしてある程度集まったら……リリアの体の製造を再開するわ! 私はまだ諦めてないもの!」


「お姉ちゃん……それに食料も探さないとね? 私やエルマ君は必要ないけど、お姉ちゃんは食事を摂る必要があるもの」


「そうねぇ……私の舌を満足させる事が出来るものがあると良いのだけれど!」


 これ見よがしに舌なめずりをしてみせるとエルマとリリアの笑い声が辺りに響いた。

 言葉は少ないが心配性の時計屋の事だ、今もどこかで私達を見ているに違いない……であればそのまま見ていて欲しい、貴方の自慢の娘達が初めての地上でも必ず生き延びるその様を!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る