第十二話 廃棄された階層

 ホムンクルスたる私は人間的な欲求を極限まで抑える事が出来、二日か三日程度であれば睡眠や食事を摂らずともポテンシャルを落とさず活動する事は出来る……とはいえ、だ。


「……動けるけど、お腹はしっかり空くのよね……はぁ」


「だ、大丈夫? お姉ちゃん……?」


 結局あの博物館の中では食べ物を一つも見つける事は出来なかった、あれだけ沢山の物があるんだから食べ物くらいあるかと思ったのだが……完全にカンが外れた、ようやく見つけたかと思った果実が作り物だった時には思わず壁に投げつけてしまった。


「今なら菌糸蝙蝠を見つけたら、そのまま齧りつける気がするわ……」


「それはさすがに火を通しましょうティスさん……」


「冗談に決まってるでしょ……それに、冗談であって欲しいのはむしろこっちよ」


 天から差し込む光を手で遮りながら空を見上げる……空といっても背の高い建物に遮られているせいで見えるのはほんの僅かな隙間だけ、この辺りは空気も悪いのか灰色に澱んでおり差し込む光も弱い。


時計屋クロッカー……貴方の言っていた広大な空って、建物に引き裂かれた哀れなアレの事なの?」


 片手をかざし、目を細めながら呟く……この明るさにも大分慣れたが、それでも直接見るには少々眩しすぎる。

 博物館を出てからおよそ十数時間、周囲の様子も一変した……ズーラも衛生的とは言い難いがここと比べればまだ綺麗だった気もする、道端に転がる恐らく雨か経年劣化で崩れたのであろう建材の破片はともかく元々は食べ物が入っていたらしき金属の筒状の入れ物や布切れがとにかく道を開けろと言わんばかりに壁際に寄せられ山のようになっており、加えて道幅も狭く左右を建物に挟まれているので道を歩いているだけで妙な息苦しさを感じてくる、全ての建物の入り口には薄い金属の板が降りており無機質……かと思えば少し上を見上げれば向かい合った建物の窓から伸びるワイヤーのようなものには汚れた洗濯物がぶら下がっているなど妙な生々しさがあり、こんな通路をもう何時間も歩いているのですっかり気が滅入ってしまった。


「うっ……ここも、か」


 ぼんやりと歩きながら建物を眺めているとそれぞれの違いにも何となく気付いた、大きなプレートを掲げているのが何かの販売店、何も無いのが民家……という具合だ。

 お店となれば中を確認しない訳にもいかず金属の壁を蹴破っては軽く中を探索しているのだが……見つかるのは店の持ち主もしくはその家族と見られる風化しかけた人の骨と山積みのゴミ、そして鼻の奥をザリザリと擦れるような耐え難い臭いぐらいで何も得る物など無くいつしか中を調べるのも嫌になり、しばらく店を見つけても無視していたのだが気まぐれに見かけた店の壁を蹴破ってみたが……やはりここも同じらしい。

 エルマによるとこういう道の事を路地と呼ぶらしい、大通り……人通りの集中する大きな道がどこかにあり、ここはその脇道らしいのだが……いつまで経ってもそんな道が見つかる気配など微塵も感じない。

 段々と口数も減った私達を待ち受けていたのは複数に分かれた通路だった、左右に分かれた道と下へ続く階段に加えて上へと続く階段……博物館を出てからというもの、こんな分かれ道だらけで汚染窟以上に迷路のようだ。

 ……いや、迷路は目的地までのルートを複雑化させる事で目的地へ到達した際の達成感や喜びを高める目的があって複雑化した娯楽だ、対してこの地上世界の街は目的地だらけの迷路の上に更に別の目的地のある迷路をどんどんと重ねていった結果、より複雑化したかのような構造をしている……つまり、ただの迷路と比較すると性質が悪い事この上ないと言えるだろう。


「悩んで悩んで……その末に最初に何について悩んでいたのか忘れてしまったかのようね。もしかしたら悩んでいた事すら、もう気付いていないのかも」


「……ええと、どういう意味ですかティスさん?」


 どうやら口に出してしまっていたようだ、エルマが不思議そうに体を傾けリリアも不思議そうな顔をしている……気がする。


「なんでもないわ、それより……さっき決めた通り、上に上り続けるって事でいいのよね?」


「うん、エルマ君もその方がいいって言ってたしね」


「はい、上の階層の方が新しく作られたものであるのは間違いなさそうですしね、僕達の今いる階層は見ての通りですし……雨の降る以前、開発段階で既に放棄された階層の可能性もありますから」


「……そう、じゃあ上るわね」


 金属で出来た錆だらけの階段の段差に足をかけるとブーツがぶつかる衝撃で小さな音が断続的に響いた、この音は嫌いではない。

 路地の陰鬱な雰囲気にうんざりしていたところにこの小さな金属音は清涼剤のように胸に響く……階段の幅は広く、また長い。

 上を見上げるがまだ序盤といったところのようだ、せめて景色が良ければ別なのだが……辺りをぐるりと見渡すがどこもかしこも崩れた灰色だらけ、何となく石を積み上げた壁に手をついてみると指先が砂粒で汚れただけだった、気が滅入るのですぐに見るのを止めようとしてふと気が付いた……そういえば先程から周囲が少し暗くなってきたかもしれない。


「マズいわね……エルマ、陽動器ようどうきが沈むまであとどのくらい?」


「わ……本当ですね、あの位置だと……恐らくあと二時間程で夜動器やどうきに切り替わると思います」


 地上世界には地底都市と違って世界全体が明るい時間と暗い時間がほぼ一定の周期で切り替わる、明るい時間には陽動器が暗い時間には夜動器が地上世界を遥か遠くから照らしているらしいのだが詳しい事はよく知らない、エルマに残された時計屋の情報によると雨が降るより更に以前からの名残の一つらしい。


「これは……食料よりも、適当に夜を過ごせる場所を探したほうがいいかもしれないわね……」


 別にこの硬い石の床でもただ過ごすだけであれば特に問題は無いのだが……土や金属に囲まれた生活をしていたからだろうか、この地上を流れる冷たく汚い風に吹かれながら夜を過ごすのは何だか凄く嫌だ。

 そんな事を考えながら階段を踏みしめる足に力を込めながら上っていると中腹辺りで階段が更に三方向に分かれている、どんどん増えていく選択肢に思わず苛立ってくる……が、ここで怒ったところで何になる訳でもないと無理やり自分を落ち着かせると一々考えるのも面倒なのでただまっすぐに突き進み続ける事にする。


「……でもお姉ちゃん、ここ……」


「恐らく中型魔導機械ドール用の駆動道路……でしょうか、下以上に何もありませんね……」


「ぐぬっ……」


 ようやく階段を抜けた先はただぐねぐねとした道の続く階層だった、道の端を背の低い壁が囲っているだけで店も無ければそもそも建物が見当たらない……上から落下してきたのか様々な形の瓦礫があちこちに落ちて道を塞いでいるが、その点を除けば地面が綺麗に舗装されているだけ下よりもマシというだけだ。


「ど、どうしましょうティスさん? 夜を過ごすだけであれば、戻って適当な建物を探すのもアリだと思いますが……」


 エルマの言う事はひどく正しい、空から差し込む光も徐々に弱くなり夜動器に切り替わるまでの時間にもさほど猶予は無いし体中から今すぐ休みたいと悲鳴が上がっている……が。


「──あっち!」


「あ、ちょっとティスさん!」


 何故か意地を張ってしまった、すごすごと引き下がるぐらいなら思いっきり前進してやろうと残った力を振り絞って駆け出すと慌ててエルマもついて来た。


「お、お姉ちゃん! 戻らなくていいの?」


「ええ! これだけ何も無い道なら多分通るだけが目的のものでしょう? ならこの道の先は建物よ、そうに間違いないわ!」


「そ、それはそうかもしれませんが……どのくらいの距離があるのかも分からないんですよ?」


 地面を踏みしめ、道を塞ぐ私の背丈よりも大きな瓦礫に飛び乗ると更に大きくジャンプする……空中で軽く体を捻り見上げた空は相変わらず陰鬱な雰囲気を纏っているが、こうして飛び上がって見るだけでも受ける印象は随分と違って見える、やはり体を派手に動かしている方が性に合っているのかもしれない。


「周囲のサーチ、生体反応の検知に念の為に汚染が無いかだけ調べておいてねエルマ!」


「ってそれ、全部じゃないですかぁ!」


「頑張ってエルマ君!」


 別の瓦礫に飛び移り、エルマの体を軽くポンポンと叩くと呆れた様な声を出しながらも彼の体から発せられる魔力の光が強くなり周囲の索敵に移行した、なんだかんだ頼りになる相棒だ。

 しかし本当に何も無い道だ、これだけ駆けているにも関わらず一向に終わりが見えてこない……これを作った人間は一体どこに行きたくてこんな道を作ったのだろう?


「っ……止まってくださいティスさん!」


「っ!」


 唐突に声を上げたエルマに合わせて地面に足を滑らせ、体を回転させながら速度を殺す……周囲の小さな瓦礫を次々に吹き飛ばしながらようやく止まった体を起こし、エルマの方に向き直る。


「どうしたの、何か見つけた!?」


「はい、少し前方に微弱ですが魔力反応……恐らく魔石灯の類だと思われます!」


「って事は何かの施設……少なくともまだ完全には死んでない建物って事ね、偉いわエルマ!」


「え、エヘヘ……」


 優しく撫でつけてやると嬉しそうに体を揺らしてみせるエルマに微笑みかけながら次に自分がどうするべきか思考する……。

 とりあえず視界をもっと確保する為に道の脇から伸びている背の高い壊れた街灯の上に飛び乗り、ガスマスクを装着すると望遠機能でエルマの見つけた位置を眺めてみる。


「……見つけた」


 障害物の無い道のお陰で目的の建物を見つける事は難しくなかった、確かにエルマの言う通り明かりの点いた魔石灯が数本立っているのが見える。

 中には壊れているものもあるが……それでも建物自体も比較的綺麗で破損状況もさほどではないようだ……博物館と同じく、放置された施設だろうか?


「どうしますティスさん?……とは言っても選択肢はあって無いようなものですが」


「さっすが私の相棒、よく分かっているじゃない」


 ニヤリと笑い街灯から飛び降りた私を見てエルマも答えを察したようだ、気が付けばうんざりしていた気持ちもどこへやら……すっかりワクワクとした気持ちが私の胸に広がっていた。

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