第十三話 闇に響く欲望の音

「……エルマ、どう?」


 道の真ん中に転がっていたサイズの大きな瓦礫に隠れながら声を潜め問い掛ける、目的の建物はもう目と鼻の先だ……だがここまで来るのに少し慎重になってしまったせいで辺りはすっかり真っ暗闇だ、何があるか分からないのでこちらは光源を使う訳にもいかず建物の周囲に設置してある魔石灯の明るさを頼りにするしかない。

 もちろん生存者がいるなどと思っている訳では無い……では何を警戒しているのかと問われれば警備用の魔導機械ドールだ、ホムンクルスわたしの下位互換とはいえ戦闘など避けるに越した事は無い。


「周囲に機影及び魔力量の増加も無し……当然生体電気なども感じません、あの建物は無人である可能性が高いと思います」


「そう……博物館と違って形もシンプルだし、倉庫か何かかもしれないわね……だとすれば今の私達にはむしろうってつけだわ」


 姿勢を低く保ったまま瓦礫から素早く飛び出し一直線に建物に向かう、一応の警戒はしていたが結局何の妨害も受けることなく建物の側面に辿り着いてしまった。

 遠目で確認した通り建物は平たく奥行きのある構造だ……恐らく二階などは無いだろう、そのまま壁伝いに移動すると金属製の扉を発見した、特に不審な点も無く至ってシンプルなものだ……電撃や爆薬などの罠の気配も無い、腰に装備した小型の収納箱から薄い刃の生えたナイフを取り出し握りしめる。

 私のワイヤーと同じく放電構造を有したナイフだ、魔導機械相手ならこれが一番手っ取り早い。


「……行くわよ」


 小声でエルマに合図し頷きが返ってきたのを確認するとドアノブを握った、案の定鍵がかかっていたがこの程度の鍵なんて無いも同然だ。

 扉と枠組みの間に電熱ナイフの刃を滑りこませ素早く溝に沿って移動させると一瞬だけ感じた固い手ごたえを躊躇いなく切断する、もう一度刃を往復させ手ごたえが無くなったのを確認するとノブをひねって扉を僅かに開き室内へと転がり込んだ。

 薄暗い室内へと侵入し起き上がると同時にナイフを構え、素早く周囲を見回すがやはり機影はおろか物音すら……いや、小さいが何かの駆動する低い音が聞こえる。

 神経を集中させて足音を殺しながら音のする方に向けて歩いていくとすぐに大きな両開きの扉を見つけた、音はこの先から聞こえるようだ……扉に肩を押し付けて耳をそばだてようとして──。


「わっ……!」


「お姉ちゃん!」


 少し体重をかけただけで扉が開いてしまった、完全に不意を突かれバランスを崩した私の体は扉の向こうの床に滑り込むように飛び出した、リリアも思わず声を出してしまったようだし……隠密行動はここまでのようだ。


「痛たた……なんなのよい……ったい?」


 ぶつけた肩を庇いながら周囲を見回すと、視界に飛び込んで来たのは私が最も待ち望んでいた光景だった。

 立ち並ぶ陳列棚、中には未だ冷気を吐き出しているものまである……どれもこれも見た事の無い物ばかりだが……間違いない、食料だ! どうやら先程まで聞こえていた音はこれらの駆動音だったようだ。


「広いスペースに種類別に分けられた陳列棚……恐らくここは食料品店の類いだったようですね、それにしても……もの凄い数と種類ですよ……!」


 逸る気持ちを抑えながら試しにと最も近い陳列棚に駆け寄り厚紙製の箱を一つ取ると、表紙の文字に指を這わせる。


『健康補助食品~忙しい朝にこの一本~』


「……ふふ、あっははは!」


 思わず口元が歪む、ホムンクルスたる私に向かって健康補助とは実に皮肉がきいているじゃないか! ガスマスクを乱暴に脱ぎ去って手に取った箱の半分をむしり取り、中に個包装で入っていた小袋の一つを破り捨てると中から黒い棒状の物体が姿を現した。

 夢中で取り出したは良いが……お世辞にも食欲の湧く容姿とは言えない、それに放置されてかなり時間も経っている筈だ……恐る恐る鼻を近づけると、ふんわりと甘い匂いが鼻孔をくすぐった。

 その匂いには僅かに覚えがあった、私の知っているものと少し違うが……私の好物である氷柱つららベリーのそれとかなり酷似している。

 となれば私が止まる理由は無かった、物体の半分程を一口で嚙み千切り何度か咀嚼する……思ったよりも粘度が高い、口の中の水分をかなり持っていかれそうだ。

 口に入れた直後は固めた泥のような印象を受けたが、時々感じるプチプチとした歯触りと舌に広がる果実の甘みが交互に私を飽きさせずに楽しませてくれる……これは、悪くない!


「ど、どうですかティスさん? 腐敗している様子は見受けられませんでしたが……」


「……ん!」


 力強く頷いてみせると二人から安堵したかのような吐息が漏れた、地底で取れる食料しか知らなかったが……地上にはこんなに美味しい物があったとは……! ようやく少しだけ地上に来て良かったと思う事が出来そうだ。


「良かった……ティスさん、これも見てもらえますか?」


「んー?」


 エルマが少し離れた陳列棚の方に移動して声を上げている、箱に残った残りの半分も口に放り込みながら彼の元へと移動するとそこにあったのは……切り分けられた大量の肉だった。

 室内が薄暗いのでちゃんとした色は分からないが……見ただけでも生だと分かるそれはさすがに危ないだろうと思わず顔をしかめてしまう。


「何か書いてあるわね……日付かしら?」


 材質不明の透明なケースの上に張り付けられた紙に書いてある文字をなぞる、現れた日付は私が生まれるよりも遥かに前のものだ。


「い、いやいやこれは駄目でしょう! 幸い封をされてるから臭いは殆ど感じないけど……開けたらきっとすごい臭いがするに違いないわ!」


 両手を振りながら力一杯抗議する、全くこの子は急に何てものを見せてくるのか……しかし私の言葉を肯定しながらもエルマは尚も肉が気になるようでズラリと並べられた肉の一つ一つを順番に眺めている。


「はい……製造された日にちから見ても腐敗どころか細胞が分解されてケースごと風化していてもおかしくない筈なんですけど……見てください」


 エルマから伸びたアームが封越しに肉をつつく、そんな事をして封が破れでもしたら……などという不安を感じずにはいられなかったがエルマに押し込まれた肉の表面は僅かに沈み、アームが引っ込むと元に戻ったではないか……まさか未だに弾力を残しているのか? 数十年前の肉が?


「……どういう事?」


「さ、さぁ……?」


 恐る恐る肉の入ったケースの一つを手に取って少し掲げ、外していたガスマスクの魔石灯を点灯し光を当ててみる……赤やピンク色をベースに白い筋の入ったその肉は魔石灯に照らされながらも光を反射する瑞々しさに思わず食欲が湧き上がるのを感じてしまう。


「……」


 喉が鳴る、肉といえば地底都市では菌糸蝙蝠やトカゲなどのものしか食べた事は無いが肉は好きだ、大好きだ……手に持った肉から目が離せず、興味と葛藤が頭の中で渦を巻く。


「お、お姉ちゃん? まさかと思うけど……食べる気?」


 不安そうなリリアの言う事は最もだ、先程のような携帯食料であれば多少品質が落ちようとも食べる事が出来るのは分かるがこの肉はどう見ても生ものだ、しかも数十年は経過しているであろう生ものなんて論外だ……本来は、そう……本来なら。




 熱された鉄板の上で切り分けられ、並べられた肉達が次々に肉汁を溢れさせながらその身に熱が通るのを受け入れていく。

 道にいくつも転がっている同じような大きさの瓦礫を適当に並べ、その上に適当な壁から剥がした金属板を乗せただけだが、なかなか様になっているではないか。

 彼らのその身の色を変化させながら私に食べられるのを待つその従順な姿勢には愛らしさすら感じてしまう、堪らずその中の一つにナイフを突き立て目の前まで持ってくると僅かに揺らしてみせる……尽きる事が無いのかと思う程に油を垂らし続けるそれを眺めていると思わず口角が上がっていくのを止められない。


「ふぅーふぅー……あー……ん、んぅー!」


 何度か息を吹きかけて手ごろな温度まで冷まし口へ運ぶ、粘度の高い菌糸蝙蝠の肉と違いなんと歯切れの良い事か! 噛むたびに甘さすら感じる油が口いっぱいに溢れ、飲み込んで息を吐き出すその瞬間まで幸せが止む事は無い……軽く足をバタつかせ美味しい物が食べられる幸せを噛みしめ、そして更にその幸せに追い打ちをかけるのはこれだ。


「んく……んく、っはぁ!」


 シュワシュワと泡立つ謎の飲料……最初口にした時はあまりの刺激の強さに腐っているのかと思った、だが飲んでいる内にその舌に刺さるかのような痛みと暴力的な甘さの虜になってしまっている自分がおり、舌に残った肉の油分が飲料に含まれる無数の小さな弾ける泡たちと甘味によって洗い流されてリセットされ、気がつけば再び肉に手が伸びる。


「ふふっ……お姉ちゃん嬉しそう、お姉ちゃんのそんな嬉しそうな顔ズーラでも見た事無かったかも」


「だってこんな美味しい物なんてあそこには無かったもの! 地上の人間達は良い物食べてたのねぇ、エルマ……エルマ?」


「はい? 何か言いましたか?……あ、そこのお肉は食べ頃ですよっ!」


 何か静かだと思えばこの肉を一番に推していたエルマは肉を焼くのに夢中になっていた、次々に肉を並べて火が通ってはひっくり返し……自分は食べられないのに焼く事がそんなに楽しいのだろうか?……まぁ楽しんでるならそれはそれで良い事だ、後でその跳ねた肉の油だらけの体を拭いてあげるとしよう。


「それにしても、何で何十年前の肉がこんなに新鮮なままなのかしらねぇ……?」


「原因については全くの不明です……それに肉だけでなく野菜やデータ上では魚類と認識されるものも腐敗の形跡が認められず、新鮮そのものでした」


「それに飲み物や調味料の類もね」


 空になった金属で出来た飲料の容器を揺らすとエルマが頷いた、個人的には大助かりだがどう考えてもおかしいとしか言いようがない。

 まるで時が止まっているかのような感覚だ、一度地上の人間を地下に追いやったかと思えば再び地上に戻れるように環境が整ったままにしていたとでも?……その妄想はさすがにバカバカしいか。

 すっかり肉を平らげ、火の上から外された鉄板の上に残った油が時折弾ける音と火が揺れる音に耳を傾けながら横になる、ここに来るまでは見るのもうんざりだと思っていたが……見上げた先にある圧迫感を感じる建物も切り裂かれた空の景色も、今は不思議と嫌いではない気分だ。


「……エルマ、体を拭いてあげるからこっちにおいで」


「はーい!」


 収納箱から特殊繊維の布を取り出し、手の中に飛び込んで来たエルマを受けとめてやるとすっかり油でベトベトだ……まぁあれだけ鉄板の周りを飛び回っていたのだから無理もない。


「ほーら、拭きにくいからあんまり動かないの」


「はいー」


 注意してもなお手の中でコロコロと体を揺らす肉焼き名人に軽く笑顔を浮かべて小さく溜め息をつくと再び暗い空を見上げた、私が見ているこの空は……時計屋クロッカーが見た空と同じものなのだろうか?

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