第五話 その手で触れて

 この腕に抱かれたのは何年ぶりだろう?……いや、もしかしたら初めてかもしれない。

 相変わらず私の肌が露出している部分には触れようともしない事に寂しさを覚えながら、それでも喜んでいる自分がいる事につい苦笑してしまう。


煮溶けた時計屋メルト・クロッカー……まさかお前が外に出て来る事があるとはな」


 くくり蛇が驚きの表情を浮かべている、奴と同意見など気分は悪いが私もそう思う。

 毒の副作用で長寿を手にしているとはいえその体は決して健康ではない、特に時計屋はいつもフラフラと歩き庭以外に外出などした姿を見た事が無い、ましてやこんな大通りまで降りてくるなど私を最初にここへ案内した時以来一度も無い。


「時計屋、こんなところまで降りて大丈夫なの? 体辛いんじゃない?」


「ヒッヒ……ああ、ここまで降りただけでももう足がまるで棒きれのようさ……だけど今回の事は言うなればこのズーラ全体の問題だろう? なら、重い体を持ち上げない訳にもいかないだろうさ……勝手に寄り掛からせてもらって悪いけどね」


「気にしないで、貴方一人ぐらい何時間でも支えてみせるから好きなだけ体重をかけるといいわ」


「……ヒッヒ」


 時計屋が私の言葉に甘えたのか背中にかかる重さが僅かに増えた、だがそれでも普段担いでいる採集用の鞄と比べたら無いも同然の重さだ……やはり今度無理矢理にでも何か食べさせる必要があるかもしれない。


「それで坊や、お前の言う菌震……だったかねぇ? その原因を調べに行くのはあたしも賛成だよ」


「……それはありがたい意見だが、ワシをその呼び方で呼ぶのは止めてもらおうか」


 先程までの人を小馬鹿にしたような表情が一瞬で崩れ蛇の顔がきつく歪む、この地底都市で彼を坊やと呼ぶのは時計屋だけだ……二人には何か繋がりがあるのかと聞いてみた事はあるが、いつもはぐらかされてきた。

 だから今でもその理由は分からないが……状況が一変し、精神的に優位に立てているこの状況は実に気分がいい。


「だけどねぇ……この子を坊やの傘下に入れるのだけは反対だよ、あたし達はあたし達で動かせてもらう」


「なっ……! 集団で探索した方が効率が良いだろう!」


「悪いね、この子は昔からずっと一人で探索してきたんだ……集団の中に放り込んだらむしろ効率が落ちてしまうだろうさ……そうだろう?」


「一人じゃないですよ、僕もいますからずっと二人で探索してきたんですよ! ね? そうですよねティスさん?」


「ヒッヒ……ああこれは悪い事をしたね、そうだった……この子達は二人の方が最高の効率で動けるのさ」


「エルマ……ええ、そうね。協力はするけど、人数が増えるのはむしろ足手まといよ」


「キサマら……!」


 誰の目にも見て分かるぐらいに蛇の顔が苛立ちに歪み、落ち着いた指導者の皮が剝がれかかってしまっている。


「それに坊やのとこにもホムンクルスはいるだろう、あたしの記憶が確かなら八人程いた筈だが……それだけ居て、まさかこの子の力添えが無いと何も出来ないなんて言わないだろうねぇ?」


 顔を覆う黒いレースのせいで表情は判別できないが時計屋が喉を鳴らして笑った、かと思うと不意に声量を落とし私にしか聞こえないほどの声で囁き始めた。


「勝手を言ってすまないねぇ……あたしにはどうしてもお前が他人に好きに使われるのが我慢出来なかったんだよ、どうか許しておくれ」


 申し訳無さそうに紡がれたその言葉の一つ一つが私の心を温かくする、私は前を見据えたまま頷いて囁き返す。


「平気よ、私は貴方の為にもリリアの為にも二人が住むこの世界を守るわ……エルマもいるし、楽勝よ」


 私のチラリと向けた視線にエルマは無言で何度も頷いてみせる、数は負けていてもこれほど心強い事は無い。


「……ありがとうよ私の大切な娘、愛しているよティス」


「……!」


 ……ああもう何という事だろうか、たった一言……その言葉だけで全身に力がみなぎるのを感じる、胸が詰まりそうになるのを必死で堪え再び力強く頷いてみせる。


「ええい無礼な者共め! せっかくワシが手を差し伸べてやったというに……であれば勝手にするがいい!」


「悪いねぇ、手にした情報はそっちにも渡してやるからさ」


「……フン!」


 時計屋がひらひらと手を振って返事をすると括り蛇が足音荒く来た道を戻っていった、どうやらこれから忙しくなりそうだ、ゆっくりと振り返り時計屋と向き合う。


「さて……じゃあ一度戻って準備をしないとね、貴方も私の家に来てもらうわよ?」


「おや、どうしてだい?」


 心の底から分からないといった風に首を傾げる時計屋にため息を一つついてみせる。


「貴方ねぇ……集団で不安を感じている時に、私達はわざわざ対立したのよ? あの蛇が何もしなくても他の信奉者達が嫌がらせや短絡的な行動に出てもおかしくないの、だから貴方は私の家の安全な場所でリリアと一緒にいて欲しいのよ、いい?」


「なるほどねぇ……お前は本当に頭がいいねぇ」


 そう言って無意識だったのだろう、私の頬へと伸ばしかけた手をピタリと止めた。

 その反応がいやに腹が立ったので彼女の手をやや乱暴に掴み自らの頬に押し当てた、ひんやりとした氷のような手だ。


「もう一度言うわ、貴方とリリアには安全な場所にいて欲しいの……分かった?」


「わ、分かった……分かったから手を離しておくれよ、お前の綺麗な肌が汚れてしまう」


「あのねぇ……この際だから言わせてもらうけど、私は貴方のこの手から生み出されたのよ? その手を汚いなんて思う訳が無いでしょう?」


「っ……」


 それきり時計屋が何か言葉を発する事は無かった、家へと運ぶ為に担ぎ上げたその異常に軽い体が何を考えていたのかは私には分からない。




「……それじゃあ二人共、私が帰るまではここにいてね? 必要な物は揃ってる筈だから」


「ああ……分かったよ」


「気を付けてね、お姉ちゃん!」


 私の家の奥、作業場の内部はシェルターのように頑丈な作りになっており鍵を閉め、扉に魔石灯の光を当てると事前に塗布してあった薬品が反応して光を屈折させ、しばらくは完全に壁のように見せかける事が出来る、本来はリリアの肉体が盗まれないようにする為の仕掛けだったが……思わぬところで役に立った。


「ティス」


 相変わらず耳障りな音を立てる重い金属の扉を閉めかけたところで時計屋に呼び止められた。


「どうしたの? 何か必要なものでもあった?」


「いや……これを持って行きな」


 そう言って投げ渡されたのは小さな真鍮製の懐中時計だった、繋がれたチェーンに見覚えがあると思っていたがいつも彼女の服から垂れ下がっていたものだ。


「これは?……私に時計を懐かしむ気持ちなんて無いわよ?」


「ヒッヒ、分かってるさ……それはまぁ言うなればお守りみたいなものだよ、お前が無事に戻ってくるようにね」


「……そう、ならありがたく預かっておくわ」


 懐中時計にチェーンを巻き付け、腰に何個も装着した小型収納装備の一番小さな箱の中にそれを入れるとしっかりと蓋を閉めて固定する、間違っても無くす訳にはいかない。


「……さぁて、それじゃああの子が戻るまでの間何を話そうかねぇ」


「また地上での話が聞きたい! どんな事でもいいよ!」


「そうかい?……じゃああたしの小さな頃の話でも」


 重い扉を止めるまでの間に聞こえた二人の会話だ、リリアも久しぶりにゆっくりと二人の時間が取れて嬉しいようだ。


「……ティスさんもあの会話に混ざりたいんじゃないですか?」


「そりゃそうよ、だから……手早く調査してさっさと帰るわよエルマ!」


「はいっ!」

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