第六話 流れ込む畏怖

「それでティスさん? 僕達はどこから調査しましょう?」


 大通りを街の入り口に向けて歩いているとエルマがこちらを向いて体を傾けた、くくり蛇からはろくなヒントを貰っていないので今日までに汚染窟の通った箇所をしらみつぶしに行くしかない……のだが、私の中にはどうしても飲み込めない小さなトゲがあった。


「そうねぇ……あの蛇ジジイの理論でいくと、菌の層が今まで保たれていたのは地中の魔導石の魔力を吸い上げていたからなんでしょう?」


「はい、言うなれば菌の層にとっての栄養だったようですね」


「ええ、そしてそれが私達の採掘によって不足したせいで菌の層の強度が低下して層のどこかが損傷した……理屈はそれっぽいけど、どうにも腑に落ちないのよね」


「……と、言いますと?」


「だって汚染窟を安定させる為にも魔導石は必要なのよ? だから最も魔導石を回収している私達は限定的な範囲じゃなくて広い範囲で少しずつ回収してきたの、あの爺のホムンクルスじゃ潜れない深さにも行ってね? それなのにあの爺が今回の菌震を予見出来たってのはどういう理屈なのかしら」


 汚染窟の有毒性は地上に近付けば近づくほど増すが、同じような深度でも多少のムラというものがある。

 有毒性の高さは私達が探索の際に使うガスマスクで確認する事ができ、魔導石を採集する際はそのムラの幅を変えないように少しずつ様々な箇所から採るようにしているのだ……なので今回のように原因箇所が汚染窟のどの地点だったとしても一ヵ所が極端に弱くなるというのはどうにも考えられない、経年劣化というか菌の一部が古くなったというのであればまだ納得も出来るが……あの場の流れに呑まれて思考がそこまで追いつかなかったが、括り蛇が自信ありげに断言していた事も妙にひっかかる。


「た、確かにそうですね……んん?」


 ようやくエルマにも事の不自然さが分かったようだ、考え込んでいるのか空中で体を傾け私の周りを旋回し始めてしまった。


「……ま、ここで悩んでいても仕方ないのは確かね。とにかく魔導石の採掘ポイントを順番に回ってみましょう? 最近のものより古いポイントの方が原因の可能性があるわよね……まずはあそこからにしましょうか」


 そう言って入口を抜けた私が指差したのは少し前に蹴破った扉のある位置だ、あの扉は開拓時代のものだった……生きるのに必死だったあの時代は魔導石の採取量の調整などしていなかった筈だ、であればあそこから入った箇所に埋まっている魔導石の量が少なく石そのものが自動的に行う魔力の再充填が間に合わなくなり、菌に魔力が届かなくなったのかもしれない。


「場合によっては魔導石を埋め直さないといけないのか……はぁ、気が滅入るわね」


「気持ちは分かりますがズーラが崩れては元も子もありませんからね……汚染窟の魔力を安定させて層を復活させたらまた新しい採掘場所を探してみましょう、僕も精一杯お手伝いしますから!」


「エルマ……ふふ、心強いわね」


 その丸い体を軽く撫でてやると私の手に押し付けるようにコロコロと転がってみせた、なんとも可愛らしい相棒だ。

 そうだ……私達に立ち止まっている時間など無い、顔を上げて気合を入れ直すと地面を踏みしめながら入口を抜け、杯人達のいる広場に差し掛かったところで不意に背後からかけられた声に振り返った、息を大きく切らせたその姿から見てもホムンクルスではなく見覚えは無いが住民の一人のようだ。


「はぁっ……はぁっ……! 良かった、まだ発たれる前でしたか」


「……私に何か用?」


「は、はい! 括り蛇殿よりこれを渡すようにと……」


 そう言って男が差し出したのは一枚の記録脳蟲メモリア・バグだった、小さな板状の容器の中に特定の電気信号を持った虫を模したドールが入っており一種の記録媒体として活用されているものだ。


「それは?」


「この中には周囲の採掘場及び汚染窟の地図が記録されておりまして、括り蛇殿による菌層の損壊箇所の予想地点が記されております」


「……ど、どうしましょうティスさん?」


 正直なところを言ってしまえばこんなもの地面に叩きつけてやりたい、この地図だって元々は私の探索記録を統合して作ったものだ……だが、闇雲に調査したところで無用に時間を食うだけなのも事実……今は冷静になるときだ、今は感情を殺してリリアや時計屋クロッカーとこの地底都市を守る為に出来る事は何でもするべきだろう。


「……ごめんエルマ、お願い」


「っ……わかりましたぁ! 少し待っていてくださいねっ!」


 頼られたのが余程嬉しかったのか私のお願いに嬉しそうに力強く頷き、体から細いアームを伸ばし男から記録脳蟲を受け取ると、針のように変化させたアームの先端を蟲の体に突き刺した。


「そ、それでは確かに渡しましたので私はこれで……」


 杯人達の声が響くこの場所が余程不気味だったのかキョロキョロと周囲をさっと見回すと男は足早に立ち去っていった、その怯えた背中を冷ややかな目で見送りながら鼻を鳴らすとエルマの方へと視線を戻す。


「どう、エルマ?」


「えっと……とりあえず表示しますね」


 そう言ってエルマが上を向くと空中に汚染窟の地図が映し出された、地図と言っても蟻の巣を縦に割ったような随分とお粗末なものだ……形は正確なようだが一目で安い仕事である事が分かる。


「見れなくはないけど……随分簡易的ね」


「はい、それに記入されている情報の殆どは僕達が提供したものですね。恐らく僕達のものに多少手を加えただけのものだと思われますが……これによると問題の原因と思われる地点がここと……ここ、この二か所が予測地点みたいです」


 地図の一点に赤い印が表示され更に別の個所にもう一つ点が追加される、二か所は少し離れた位置にありどちらから行くにしても時間がかかりそうだ。


「どれもかなり上の方ね……予測地点が絞り切れてないのはまぁ良いとして、こんな深部じゃあ元から私達しか行けないじゃない」


「ええ……そこは僕も気になった点です、最初から僕達だけを調査に向かわせる気だったようですね」


「何が協力よ……あんな偉そうに言ってたクセに自分達じゃお手上げだったって事? だったら初めから素直にそう言えばいいものを……ま、自尊心だけの蛇様にはそんな事すら難しいのかしらね?」


 蛇だけに手も足も……いや、さすがにこの冗談は口にするにはあまりにも寒いか。

 何にしても目標までの距離が遠い、早速移動を開始しなければ……仕方がないとはいえあんな肌寒い部屋に時計屋をいつまでも置いておくのは訳にもいかない。


「行こうエルマ、私達にしか行けないならあまり考えてる暇も無さそうだしね」


「はいっ」


 頷き合い、例の蹴破った汚染窟の入口へと向かう……途中チラリと杯人達の広場に目を向けると先の揺れで倒れてしまった杯人が何人かいるのが目に入った、溢れ出す髄液を地面に吸わせながら僅かに痙攣している……最早自分で起き上がる事すら出来ないようだ。

 あれが雨の影響を受けた人間の末路……もし菌の層が完全に破壊されたら雨水がここまで流れ込み……ダメだ、絶対そんな事になんてさせてなるものか。

 飛び上がるように勢いをつけて作業用の階段を駆け上がりながらガスマスクを装着し、魔石灯を点灯させると汚染窟内部へと飛び込んだ。




 汚染窟の内部は常に暗く、湿気と静寂に満ちている。

 聞こえるのはエルマの小さな駆動音と私の呼吸音……それと踏みしめている地面の土に混ざった菌糸が私のブーツにくっついては千切れるニチニチとした音だけだ、感触も独特で最初の頃は気持ち悪かったが今ではすっかり慣れてしまった。


「……あの男の言う揺れの兆候って一体何なのかしら、私にはいつもの汚染窟にしか思えないのだけれど」


「僕もです、僕の中にも地面が震動する災害……地震のデータはありますが、この汚染窟の内部を見てもとてもそんな兆候は見られません」


 汚染窟内部の地面がでこぼことして歩きにくいのはいつもの事だし古いもの以外に亀裂も見当たらず、小さな音を立てて壁から溢れては地面に筋を作っている湧き水の水量が変化している様子も無い。


「地上にいたからこそ分かる知恵って訳?……それを盾にされると何も言い返せないのが悔しいわね」


 少し腹が立ったので地面を強く踏みつける……ブーツの靴底に粘っこい菌糸が強く張り付いては伸び、やがてプツリと千切れる。


「ティスさん、あそこを見てください!」


 普段よりも周囲に目を向けながら進んでいるとエルマが不意に声を上げた、指し示した方向に目を向けると少し離れた位置だが菌糸蝙蝠きんしこうもりの群れが天井を埋め尽くしていた、僅かに体を揺らしながらこちらを黄色く光る眼で見つめるその光景はさすがに少し気味が悪い。


「なによあの数……それにあいつらがこんな深い層にいるのなんて初めて見たんだけど、これもあの揺れのせいなの……?」


「恐らくは……それとも、揺れから逃げてここへ……?」


「……エルマ?」


 返事は無い、何かを考え込むように空中で停止し僅かに体を揺らしている。


「遠くを示した地図……上に逃げた蝙蝠の群れ……ティスさん、この予測地点ってもしかして……」


 最後まで言い終わらない内に汚染窟内を再び強い揺れが襲った。明らかに先の揺れよりも強く、思わず地面に膝と手をつきなんとか耐える。


「っ……! エルマ、大丈夫!?」


「僕は大丈夫です!……それよりも早く戻りましょう!」


 返事をする前にエルマが来た道を引き返し始める、まだ微弱な揺れは続いているが立てない程ではない。


「待ってよエルマ、どういう事よ! 予測地点はこの先なんでしょ?」


「そうです、でも今の震動は明らかに下の方から発生したものでした! 僕達はわざと遠ざけられたのかもしれません!」


「っ!」


 ようやく私にも合点がいった、簡単な話だ……私達は騙されたのだ。

 どうにか立ち上がり急いで駆け出そうとすると再び大きな揺れが襲った! あまりの揺れに思わずバランスを崩して壁に体が叩きつけられ、打ち所が悪かったのか一瞬呼吸が詰まる。


「つ……う」


「大丈夫ですかティスさん!」


 慌てて戻ってきたエルマがアームを伸ばして私を起こそうとするのを手を上げて制し、壁に指を食いこませながら一人で立ち上がると今度は吹き飛ばされないようにしっかりと足に力を込めた。


「平気よ……この程度何でもないわ、それよりこの揺れの発生地点はどこなの?」


「……揺れが発生した場所はズーラよりも更に下です、恐らく最近出来た採掘場所か……と」


「エルマ……?」


 不意に言葉が途切れた事を不思議に思いエルマの方に視線を向けると、普段は青く光っている彼の体の中央に埋め込まれた魔石灯が緊急を示す赤色に変化していた。


「ティスさん逃げてください! 上の方から多量の水音……地上からの雨水が流れ込んできています!」

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