第七話 毒の濁流
「エルマ、距離は!」
「およそ五百メートル後方です! 尚も速度が上がっています!」
「ああもう!」
汚染窟を駆け下りながら左右を見渡す、どこか逃げ込める横穴でもあればいいが残念ながら今いる箇所は幅が広いだけの長い一本道だ。
もう皆まで言わなくても分かっている……完全にハメられた! いくら魔導石が毒を無効化出来るとはいえ大量の水の中に沈んでしまえば再生は間に合わないし、そもそも水の質量に押し潰された際のダメージも計り知れない。
「エルマ! 周囲のサーチは!」
「もうやってます! でも、でもどこも厚い土の層ばかりなんです!」
エルマの声が今にも泣きそうなものになっている、少し進んでは周囲に目を向けるが確かに小さな横穴一つ無い……そんな事を考えていると、とうとう私の耳にも水音が聞こえてきた。
「……
泣き叫ぶ相棒を抱えると両足の駆動力を上げて加速する、再び水音が遠ざかっていき一安心だが……こんなのは一時凌ぎだ、長く使用すれば両足が異常加熱によりしばらく使い物にならなくなってしまうし両足に意識を集中しているから思考処理能力も落ちてしまう……時間切れになる前にエルマが何かを見つけるのを期待するしかない。
「……ティスさん! あそこです!」
不意にエルマが大声を上げる、彼が指し示したのは壁の少し高い位置にある小型だが人一人分の大きさはある収納庫だった、天井から垂れ下がった蔓で隠れておりあんなものがあったなんて来た時には気がつかなかった。
「よくやったわエルマ!」
錆び付いた扉の取っ手を引き千切らんばかりに力任せに無理やりこじ開けるとその中に体を捻じ込み扉を閉める、しかしこれだけでは隙間から水が入り込んでしまうだろう。
「っ……
右腕を前に構えると腕を覆っている人工皮膚の隙間から何本ものワイヤーが次々に飛び出し、内側から収納庫の扉の隙間を溶接していく。
「ティスさん! 雨水が来ます!」
「っ!」
咄嗟にエルマを抱えて溶接した扉に背を押し付けると、やがて大量の雨水が轟音と共に押し寄せた。
地面より高い位置にある為直撃は避けられたが、それでも跳ねた飛沫が何度も扉を強く叩きエルマを抱く手にも力が入る……数分もしない内に静寂が再び周囲を包み込んだ、どうやら乗り切ったらしい。
「……あの蛇ジジイ、今度会ったら……ぶちのめしてやるわ」
「大賛成ですが今はとにかくリリアさん達が心配です、足は動きそうですか? もし必要なら僕の魔導石を……」
「いいえ……大丈夫、少しの間瞬脚は使えないけど走る分には問題ないわ」
再び腕から雷鋼線を伸ばして今度は扉を切り刻み破壊する、残った破片を蹴り飛ばしながら外に出ると汚染窟の至る所がぐっしょりと濡れていた、この程度の水の毒なら私は問題は無いが……汚染窟の構造や生態系は変わってしまいそうだ。
「ティスさん、これを見てください!」
「……これは、どういう事?」
再び駆け出した私達がズーラに辿り着くと、そこは至る所で叫び声の上がる阿鼻叫喚の地獄と化していた。
あれだけ恐れていた雨水が大量に押し寄せたのだから無理も無い……作業階段から街を見渡すと濡れているのはここだけでは無かった、どうやら他の何ヵ所かからも同時に水が流れ込んだらしい。
「ティスさん!」
「分かってる!」
呑気に階段を下りている時間すら惜しい、手すりを飛び越えて一気に下まで飛び降りると家に向かって駆け出した。
「リリア!
家の扉を開くと同時に叫ぶ、この辺りは汚染窟に面してはいるがどこも濡れていない所を見るにここには雨水は流れ込まなかったようだ。
「お姉ちゃん! 時計屋が!」
「……っ!」
揺れでどこか怪我でもしたのだろうか、奥から響く妹の声に血の気が引くのを感じながらも金属の扉を力任せに開くと二人を保護していた部屋の中に時計屋の姿は無かった。
「っ……時計屋はどこ! 何があったの!?」
「そ、それが……! 何度か揺れが起きた時に私の事を固定し直して、どこかへ行っちゃって……!」
「なんですって……エルマ、時計屋の痕跡は見つけられないの?」
「それが……あの人は体組織が変化しすぎていて、痕跡が殆ど分からないんです……わわわっ!」
再度強い揺れと地鳴りのようなものが家中に響く、金属などが入った箱が倒れハッとするが魔導義肢の入った箱は固定してあるので耐えきったようだ……思わずホッと胸を撫で下ろす。
「時計屋さんの事も心配ですが……今は揺れの原因を突き止める事が先決かと……!」
「っ……そう、ね」
リリアをアームから外し腰のベルトに装着した小型収納箱の一つに入れて固定する、これで揺れの中でも安全だろう。
「見えなくて不便でしょうけど……少し我慢してね」
「大丈夫だよお姉ちゃん、それより急ごう!」
「……ええ!」
目的地はズーラの大通りよりも更に下だ、階段を下って大通りに出ると揺れのせいでどこかにぶつけたりしたのだろう……怪我をした住人達があちらこちらで倒れ、呻いている。
中には金属の棒や木材が体を貫いている者もおり、思わず目を逸らしたくなるような光景が広がっていた。
「ティスさん! 目的の採掘場への道はあっちです!」
エルマに促された道の先にある金属の扉を開くと、そこは冷たい空気の流れる深い螺旋階段になっていた。
「エルマ、目標地点は?」
「最深部です……ってティスさん!?」
返事を聞くやいなや手すりに手をかけ中央の大穴を飛び降りる、目的地が中途半端な位置に無くて良かった。
「わわわ、浮き上がる……いつもお姉ちゃんはこんな無茶してるの!?」
「むしろ今日はまだ理性的な方かと!」
「黙ってなさい、舌噛むわよ!」
二人のやり取りに焦っていた心が少しだけ落ち着いた、体を小さく畳みながら落下し……地面が見えてきたところで再び雷鋼線を周囲に展開して次々に引っ掛け、落下の速度を緩める。
「ぐっ……!」
肩が外れそうな痛みに顔をしかめながらも無事に速度を殺し切り最深部の床に着地する、床に敷き詰められていた金属板を盛大に凹ませてしまったが……この惨状だ、気にする人なんていないだろう。
顔を上げると真っすぐに通路が伸びている、その左右にもいくつか部屋があるようだが……一つ一つを見て回る時間は無い。
「エルマ、どこの部屋?」
「む、無茶しすぎですよティスさぁん……」
ようやく降りて来たエルマに問いただすと、すぐに廊下の方を向き音を聞き分けているのか静かに見つめ、すぐに声を上げた。
「ええと、一番奥です!」
その声にグッと足に力を込め、飛び出すように駆け出した。
「っ……!」
が、すぐに『ある音』が耳に届き速度を緩める。
何者かが喚くようなその声に走るのを止めて慎重に奥の扉の前まで辿り着くと、意識を集中し次に耳に飛び込んでくる音をジッと待つ。
『……何のつもりだ、時計屋』
『おや、脳まで毒にやられたのかい坊や? ヒッヒ』
『そんな事をわざわざ言う為にここまで来て、このワシに銃を向けているというのか!』
『ヒッヒ……そうさ、愚かな弟の始末はあたしがつけなくちゃあねぇ?』
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