第二話 煮溶けた時計屋

 地底都市ズーラ、その中央に伸びる大通りに近付くにつれて大勢の人々の賑わう声が聞こえてきた。

 ここはいつもこうだ、何が安いだの何が美味いだの……酷く爛れた傷痕だらけの腕を振り回しながら酒を飲み、騒ぎ疲れて道の端で寝ている者だって珍しくない。

 無法地帯にも思えるこの街にもたった一つだけ決まり事がある、それは『街にいる時は仮面を着けなければならない』というものだ、毒の影響で醜く変化した顔を隠す為に仮面を着け始めたのが一人、また一人と増えていきやがて暗黙の起きてのようになったのだという。


「……ま、こういうの別に嫌いじゃないからいいんだけどね」


「ティスさん? 何か言いましたか?」


「いいえ、何でもないわ」


 体を傾けて問い掛けるエルマに軽く首を振って答えるとガスマスクを外し、懐からふくろうを模した仮面を取り出すと長く伸びた赤紫の髪をかき上げ装着する……これが街の中での私の顔となるのだ。

 大通りに入ると離れた位置からでも聞こえていた人々の話し声や笑い声が更に強く耳に刺さる。

 ぎゃあぎゃあと騒音としか言いようがないようにも思えるが、時には第二世代である私の知らない情報が飛び込んで来る時もあるので無下にも出来ない……軽く耳をそばだてながら歩いていると大通りを挟むように立ち並ぶ屋台から漂ってくる美味しそうな匂いに思わずお腹が小さな悲鳴を上げた……チラリと視線を向けると濃いオレンジ色のソースがこれでもかと塗りたくられて丸焼きにされたコウモリやトカゲが串に刺されて並んでいるではないか、気を抜けば今すぐにでも手を伸ばしてしまいそうな魅力的な光景だが今は先に住ませなければいけない用事があるので涎が滲みかけた口元を拭って強引に人の波を足早にかき分けて進み、途中で通りを脇に抜けその先にある階段を数歩駆け上がり……ふと足を止めて振り向くと、改めて遠目に賑わう大通りを見下ろした。

 思えば不思議な光景だ、騒いでいる人間達の年の頃は全員九十か百をゆうに超えている者もいるだろう……記録にある人間の平均寿命を大きく逸脱しているし外見は一般的な老人のそれとは比べ物にならないぐらいに若々しい、この人類の異常な長命化も雨の毒による機能不全が引き起こした一種の副作用であるせいか雨が降り出した原因として最も怪しい筈の魔導石の使用を控えようと言う人間はいない。

 本来であれば魔導石を恐れ、廃棄し、文明を一からやり直そうと考える人間が出てもおかしくないと思うのだが……。


「……なんてね、私も人の事言えないし」


 チラリとエルマの方へ目をやる……彼の動力もまた魔導石の魔力によるものだ、それに私の体の大半も……仮に魔導石が呪われた石だったとしても、深く根付いてしまった魔力への依存はそう簡単に捨て去れる事は出来ないという事だろう……首を振ってモヤモヤとした考えを振り払うと階段を駆け上がり、目的の家がある通りへと出た。

 ズーラは高く伸びた階段で各階層へ行く事が出来る、目的の家はその中でも最も奥まった位置にある背の高い植物で囲まれた赤い屋根が特徴の家だ、まるで壁のように並べられた植物のせいで遠目からでは中の様子を窺う事が出来ない。


「……なんだかまた植物が増えてませんか?」


「そうみたいね、全く……植物に水を上げる前に自分がしっかり食べて欲しいわ」


 ため息をつき迷路のように並べられた植物達の間をかき分けながらどうにか扉の前まで辿り着く、こういうのをアンティーク調と言うのだったか? 細かな装飾が施され綺麗な扉ではあるが随分と古びており建付けが悪くなっているのだろう、ドアノブを捻り押し込むと軋むような音を立てながらも私達を家の中へと招き入れた。


時計屋クロッカーー? いないのー?……こっちも、また随分増えてるわね」


 家の中は一定のリズムを刻む機械音が空間を満たしていた、時計……地上の人間が持っていた時を知る為の道具だったか、果たして昼も夜も無いこの地下で需要などあるのだろうか?


「魔力を使っていない純粋な機械構造ですね、僕にも詳しい事は分かりませんが……素晴らしい技術だと思います」


 エルマがその中の一つを覗き込み感心するように何度も頷いて見せた、同じ時計を私も覗き込む……確かに綺麗だし何重にも細かい部品を重ねる技術は凄いとは思うがそれ故にこれを一つ作り上げるにも相当な体力が必要な筈だ、こんなものの為に彼女が体力を削っていると思うと……何だか素直に受け入れられない自分がそこにいた。


「でもこれって地上時代の技術でしょう?……ここで過ごす今の人間にこれが必要なの?」


「……今のこんな状況だからこそ、これが必要な人もいるのさ……ヒッヒ」


「きゃっ……!」


 唐突に背後からかけられた声に驚き、飛びのきながら振り返る……焦って振り向いたせいで仮面が外れて床に落ち、盛大な落下音が時計達の演奏を乱してしまった。


「ああ……ごめんよ、ちょっとした悪戯心だったんだ」


 時計屋クロッカーが一言謝りながら落ちた私の仮面を拾い上げる。

 視界に映る彼女の顔は口元以外が柔らかく黒いレースで覆われ、仮面を拾い上げるその腕や指も全身が闇に溶け込むように真っ黒な布で覆われているのも全ては今も彼女の体を少しずつ蝕む猛毒の雨の影響だ、その為に街の人々がつけたあだ名が『煮溶けた時計屋メルト・クロッカー』……そんな蔑称めいた名前で呼びたくなくて何度も問いただしたが一向に本名を教えてくれないので今では諦めて私も時計屋と呼んでいる、本人は全く気にしていない様子だが……その事が一層私の心を乱している事を彼女は気付いているのだろうか? 拾い上げた私の梟の仮面から埃を軽く手で払っている彼女の顔の中央、レースの留め具も兼ねている小さな金色の雫型の装飾が小刻みに揺れている。


「悪かったね、傷ついてないと良いんだが……」


「別に、そんなの気にしない……」


 差し出された仮面を受け取ろうとして反射的に伸ばした手がふと止まる、意地悪をされたのだからこっちも少しぐらい意地悪しても良いのではないだろうか? そう心に決めると差し出しかけた手を引っ込めて後ろで組むと両目を閉じ、僅かに時計屋に向けて顔を差し出す……これで伝わる筈だ。


「……全くこの子は」


 時計屋のため息をつく音が聞こえるとやがてひんやりとした仮面の一部が顔に触れた。

 これも時計屋の悪い癖なのだが彼女は極力私に触れようとしないのだ、何重にも巻かれた布に隠された黒く変色した肌が毒の影響なのは知っているがそれもずっと過去の話なのだし、ホムンクルスである私に触れたところで何か影響が出る筈も無いのだが……そんな事を考えていると彼女の布越しでも恐ろしいまでに冷え切った指がほんの僅かだが頬に触れた、だが驚いたりましてや顔を逸らしたりなんてしない……むしろもっとしっかり触れて欲しいぐらいだ。


「……ありがと、時計屋」


「本当に変わった子だよ、お前は」


「あらやだ、そんなに褒めてくれるの?」


「どう聞いたらそう思えるんだか……全く」


 時計屋が呆れたように再び深いため息をつく、だがその吐き出された吐息の中に私に対する愛情が含まれている事を私は知っている。

 私を構成している遺伝子情報は複数の人間のものから毒の影響が少ないものを混ぜ合わせたものだが……その中には彼女の遺伝子情報が最も多分に含まれているし、何より私を生み出したのは彼女なのだからあだ名などではなく、母と呼びたいぐらいなのだが……小さな頃に一度呼んだ際に酷く動揺させてしまった事もあり、今では間違っても口にしないようにしている。

 この地底都市に住む者には過去を捨てた者は多い……恐らく時計屋もその一人なのだろう、興味はあるがただの興味本位で聞いていい事ではない事は私にも分かる。


「それで? 今日の成果はどうだったんだい?」


 その言葉を受けて背中にズッシリとのしかかる採集鞄の重さを思い出す、中でも一番重い植物の根から採取した水の入った金属ボトルを最初に近くの机の上に置き、氷柱つららベリー等を入れた浄化ボックスを外してようやく底の方に入っていた棺桶のような形をした目的の箱を取り出す。


「今日はイマイチね、水や食料は多かったけど……やっぱりこの辺のはもう殆ど取り尽くしちゃったみたい」


 机の中央にそれを置き、箱の中央にある青く光るボタンを押すと箱の蓋が左右に開き……中に手を入れて大小様々なサイズの結晶を取り出して見せる、私やエルマの動力でもある呪われた石──魔導石だ。

 猛毒の雨の後、地下に逃げ込んだ人間達を救ったのは地中に残った魔導石の他にも雨の影響で異常な成長や変化起こした植物や菌類の存在がある。

 地下深くまで伸びた根の中には高栄養価の実を実らせるものや大量の水をその身に宿すものまで現れ、粘度の高い菌類は土と深く結びつく事で地上の雨を一滴たりともこの地下都市まで滴らせる事は無い……まるでそれは『人類が地下で生き延びる事を想定しての成長』とも思える急激な変化だった。

 しかし私達を雨から守ってくれる菌からは常に有毒のガスが噴き出し、地上に近付けば近づくほどに有毒性が高まる……故に汚染窟、ホムンクルスである私であればガスマスクを着ければ活動は可能だがそれだって魔石灯というある種の時間制限がある、地下に逃げ伸びた人々が暮らしていくには問題は無いが……まるでこの環境は人々が再び地上へ上がらせない為のもののように思えてならない。


「まぁ仕方の無い事さね、あの辺は開拓時代に何度も採掘された汚染窟だからねぇ……これだけでも取れただけ上等さ、それよりマスクのフィルターはまだあるのかい?」


「ええ、まだ沢山あるわよ……散々予備は切らすなと貴方に口うるさく言われて来たからね」


「そうかい……ヒッヒ」


 箱の中の魔導石をいくつか拾い上げ懐から取り出した自分の袋に移すと用意していた替えの魔石灯などをいくつか机の上に広げた、ごく浅いところであれば装備を整えた人間でも採掘は可能……しかし時計屋はもう私のように汚染窟の探索が出来る体ではないので私が生活に必要な魔導石や食料を回収して渡しているのだが……。


「ねぇそれだけ? いくらなんでも少な過ぎよ、もっと持っていきなさいよ?」


「ヒッヒ……あたしのような老いぼれにはこれぐらいで十分なのさ」


 ……これが私のもう一つの悩みの種だ、毎回質の良い道具を用意して交換してくれるのはいいがどう考えても魔導石の量が足りてない、だが彼女は頑固で一度これでいいと言ったら頑としてそれ以上受け取らないのだ、何度も余分に渡すと言っても聞かないし以前こっそり彼女の袋に魔導石を紛れ込ませた事もあったが、いつの間にか私の箱の中に同量が戻ってきていた。

 だから私はいつ彼女が危機に陥っても良いように自分用とは別に魔導石を彼女用に貯蔵してある……これはさすがに恥ずかしいから言わないが、なのでとりあえずは諦めたように頷き用意してくれた道具と共に魔導石の入った箱を鞄へとしまった。


「……そういえばさっきのアレってどういう意味なの? 今の状況だから貴方の時計が必要って言ってたけど」


「ん? ああなんだ、そんな事かい……簡単な話だよ、人間はそう簡単に過去を忘れられる生き物じゃあないのさ……大通りで毎日のように騒いでる奴らがいるだろう?」


「ええ、よくもまぁ飽きもせずにね……あれが何だって言うの?」


「あれこそ人間の本能さ、こんな穴倉に暮らしていながらも地上での生活が忘れられない……あそこで騒いでる連中の半数も心から楽しんでる奴なんていないよ、誰もかれもただただ平和だった昔に浸りたいだけなのさ……時計の針の音もその為の道具なんだよ……ヒッヒ」


「なにそれ……この地下で新しい文明を築きかけてるってのに、まだ地上に思いを馳せてるって事? 何十年も地下で過ごしておきながらまだそんな絵空事を……!」


 つい口調が荒くなってしまう、チラリと目を向けた窓から差し込む灯りの下で騒いでいるであろう人達が皆そんな思いだと思うと……妙に腹立たしい想いが湧き上がってくる。


「まぁ落ち着きなよ、これはもう理屈じゃあないのさ……なにぶんあたし達は長い事地上で暮らしてきたからね……すっかり体が地上に馴染んじまってるのさ、お前だって一度地上を見たらきっと考えが変わる事だろうよ」


「地上を見たらって……すっかり汚染されて私でも住めないんじゃ行く意味が無いでしょう?」


「ああ……そうだね、そうだった」


 今思い出したとでも言うかのように頬を掻き、遠くを見ているかのように視線を逸らす時計屋を見ていると酷く不安になる、彼女もまた地上を捨て去れないのだろうか? 今生きている皆が地下で生きる事に本気を出せばこの街も暮らしもきっと良くなる、私を生み出した時計屋もいるのだからきっと──しかし心のどこかでそうはならない事は分かっている、それにこんな思いはただの詭弁……本音は今にも地上に向けて飛んでいきそうな時計屋にもっと私を見て欲しい、愛して欲しいというただの子供のようなワガママなのだから。


「……ティスさん、そろそろ戻らないとリリアさんが心配しますよ?」


「エルマ……そうね」


 居心地の悪い沈黙を破ったのはエルマだった、そういえば今日は時計屋が妙に饒舌だったせいか随分と長居してしまった。


「それじゃあ私は行くから、またお菓子を作って持ってくるからね? 保管庫に食料も入れておくからちゃんと食事はとるのよ、いい?」


「……ああ、楽しみにしているよ」


「……また来るから」


 やや呆けているのかこちらを見ずに返事が返ってくる、この息苦しい地下空間ですっかり過去に気持ちが飛んでしまった彼女に背を向け、軽くなった筈なのに重く感じる荷物を再び担ぎ上げると私は振り返る事無く時計屋の家をあとにした。

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