第二十五話 守るための力

「……ひっろぉ……」


 ナターシャに通された部屋は私達が今まで地下で過ごしていた家よりも格段に広いものだった、首を回さなければ部屋全体が見回せないなんて経験は生まれて初めての事なのでつい首を限界まで大きく降って見回してしまう。

 壁や床の材質こそ施設内に使われているものと同じだったが随所に置かれた観葉植物や綺麗に磨かれた金属で作られた小物の数々に加えて床に敷かれた落ち着いた赤色のカーペットなどが部屋を彩り、温かな空間を作り出していた。


「使わない部屋だっていいって言ってたけど……普段から掃除とかしてくれてたのかな? お姉ちゃんの部屋とは大違い」


「あ……あれはその、物が多かっただけだから仕方ないでしょう!」


「本当ですかー? 僕はティスさんが掃除しているところなんて殆ど見た事がありませんし、それも使わない物を適当に箱に詰めては部屋の隅に積み上げているぐらいで掃除とは……」


「ああもう、うるさいよエルマ!」


 周りを飛び回るエルマをうっとうしいとばかりに手振って跳ねのけ部屋の奥、私が数度転がれる程に大きなベッドの傍を通って殆ど壁の一面を覆う巨大な窓の前に立ち僅かに突き出した縁に手をつきながら切り替わりの時間が近いのか弱くなった外の光が差し込む窓越しに外を覗き込む。

 横に大きく伸びた窓から見えた光景は建物の外ではなく施設の中央にある中庭のものだった、金属で作ったのか大小様々な畑からは高く伸びた植物や小さいが数の多い色とりどりの花などが植えてあり見る目を楽しませてくれる……ナターシャが一人で育てているものなのだろうか?


「ナターシャさん、ずっとここで過ごしていたんだね……」


「……そうね」


「先程、何かを取りに行くと言ってましたが……何なんでしょうね?」


 食事の後、ナターシャは取りに行くものがあると言い残して一人でどこかへ行ってしまった。

 彼女の方がここについては私より遥かに詳しいのだろうが……長く放置された施設だ、荒れたところや危険な場所もあるかもしれない。


「……やっぱり心配ね、今からでも探しに行った方が──」


 そう思い立ち部屋の入口まで足早に歩み寄り扉を開くと、そこにはノックしようとしていたのだろう片手を上げたままポカンをした表情を浮かべるナターシャの姿があった、もう片方の手には何やら細長く白いカプセル型の容器を数本抱えている。


「……ティス様? 今からお出かけですか?」


「いえ、その……おかえりなさい」




 誤魔化すように咳払いしてから彼女を部屋に招き入れ、入り口近くのテーブルセットに腰掛けながら事情を説明すると段々とナターシャの口の端が歪み、最後にはクスクスと笑われてしまった。


「なるほど……ふふ、それはご心配をおかけしてしまいましたね」


「……いいのよ、私が勝手に心配しただけなんだから」


 心底嬉しそうに笑うナターシャを見ていると顔が熱くなるのを感じ、つい視線を逸らしてしまう……誤算はあったが彼女が無事でなによりだ。


「そういえばまだお話していませんでしたね……私は奉仕用ドールという身分ではありますが、一般に市販されていたものではなくヴィオレッタ様の手によって作られたオリジナルのドールなのです」


「……え、そうなの?」


 あっさりと伝えられた驚きの事実に恥ずかしさもどこかへ吹き飛び、ナターシャの方へと顔を戻すと彼女は笑顔のまま頷いた。


「はい、私に与えられた任務は最優先がティス様及びリリア様の身辺警護……最も、リリア様は私も殆どお会いした事はありませんでしたが……そして次いでヴィオレッタ様の警護となります。立派な方ではありましたが、それ故に敵の多い方でしたからね」


 実質的な指導者のような立場だったのだから敵が多かったであろう事は理解できる、それよりも身辺警護という事は……。


「……貴方、それじゃあまるで軍事用ドール……いえ、むしろ……」


 最後まで言い終わらない内に左右に広げられたナターシャの両手の裾から青く光るブレードが現れた。

 低く断続的な音を立てるそれは私達の顔を青く照らし、ナターシャはそれらをうっとりとした表情で眺め……すぐに引っ込めた。


「形式上は奉仕用ドールで間違いありません……ですが逃げて隠れて庇うだけでは大切な何かを守り切れるとは限りません。原因を根絶する力が無ければいずれどこかで守り切れない場面が生まれてしまいますから」


「……くっ、ふふ……ふふふ」


「?……ティス様?」


 つい吹き出してしまった、今言ったナターシャの言葉はそのまま時計屋クロッカーの言葉であり……私が戦い方を学ぶきっかけにもなった言葉だったからだ。


「なるほどね……貴方も立派にハーティルドール家の、私達の家族だって訳ね」


「わ……私が、ティス様の家族……ですか?」


「ええ……そうよ、ナターシャ」


 地下の住人の中にも非暴力を訴える者はいた、別にそれを否定する気も自分達こそが正義だと主張する気も無かったが『その時』が来た時に自らの無力を嘆く事だけはしたくなかった、それこそが私達の信条で……私達家族の考えだ。

 椅子から立ち上がると私の言葉に目を見開いたままのナターシャに片手を差し出す、その手と私の顔を順番に見つめ……やがて彼女の目の端から細い涙の筋が伝った。


「今までここを守ってくれてありがとうナターシャ……小さい私も言ってたわよ? 遊んでくれてありがとう……大好きよナターシャって、貴方の頬にキスしながらね」


「っ! ではやはりあれは……ああ……ああ、ティス様……!」


 彼女が消えた後、ナターシャは自らの頬を押さえて呆けていた……だが何が起きたのかまでは分かっていなかっただろう、そこに私が真実を伝えた事が一押しとなったのようだ……私の手を握りながら次々と溢れる涙でテーブルを湿らせながらナターシャは在りし日の出来事を思い浮かべ続けていたに違いない。

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