第二十六話 湧き上がる好奇心

「……ん」


 私には大きすぎるベッドの上で寝返りを打つ、最近干したのであろう掛け布団からはふわりと暖かい香りが鼻をくすぐり普段であれば既にぐっすりと深い眠りにつく事が出来たかもしれない。

 だが今日は一度に色々な事が起こり過ぎた、その結果どうしても頭を空っぽにする事が出来ずベッドに潜ってからしばらく経った今でも私は寝付けずにいた。


「……お姉ちゃん、もしかして起きてる?」


「ん……リリア?……貴方も眠れないの?」


 声がする窓の方へ体を向けると窓際に固定された医療用アームの先端でリリアの魂が込められた魔導板が僅かに光っている。

 ナターシャがわざわざ取りに行ってくれたものだ、いつもであればこの時間はリリアも眠っているのだが……やはり彼女も思うところがあるのか寝付けずにいたようだ。


「うん……ねぇ、良かったら少しお話しない?」


「ええ、もちろんいいけど……」


 天井から垂れ下がった薄いフィルターのおかげで光が遮断されているせいもあるが外はまだ暗い、アームのすぐ傍で転がっている休眠状態のエルマは起きる気配は無いが……このまま喋っていると起こしてしまうかもしれない。


「リリア、少しその辺りを歩かない?」


「うん……でも大丈夫かな、危なくない?」


「そんな遠くまで行かないわよ、窓から見えてた中庭の方に行きましょう」


 ベッドから降りようと掛け布団を捲ると肌を撫でた空気が少しだけ冷たかった、肌着のままでは少し寒そうだ……部屋を見回し何か無いかと視線を移動させると軽く羽織れそうな上着が椅子の背もたれにかかっていた、ナターシャが用意してくれたのだろうか?……何にしても丁度いいしありがたい。

 先端の固定具だけを取り外しリリアをそのまま胸元に固定するとエルマを起こさないようにそっと部屋を出た、最初にナターシャに通されたキッチンのある部屋に出たが彼女の姿は無い……この部屋には他にも扉はあるし、このどれかがナターシャの部屋へと繋がっているのだろうがこんな夜中にわざわざ調べる必要も無いだろう、足早にキッチンの脇を抜け通路に出ると部屋の中よりも更に少しだけ気温が下がった……が、上着のおかげかそこまで寒さは感じない。

 最初に来た時通路は光量の強い魔石灯で照らされていたが今は通路の脇に点々と設置されたオレンジ色の魔石灯に切り替わっていた、弱い光だがほどよい暗闇と通路の脇を流れる小さな水の音がアクセントとなりなんだかワクワクしてきた。


「二人だけで話すのって久しぶりだね……ちょっと楽しくなってきちゃった」


「私もよ、いつもの小うるさい相棒がいないだけでも随分と静かになるわ」


「もう……またエルマ君が怒っちゃうよ?」


「平気よ、冗談だってあの子も分かってるもの……多分だけど」


 薄暗い通路に私達姉妹の小さな笑い声が響く、本当に静かな夜だ……こんなに落ち着いた気持ちの夜はいつぶりだろうか、ブーツの踵が床に当たって響く音が妙に心地いい。


「それにしてもナターシャさんのあの光る剣みたいな武器凄かったね、お姉ちゃんとどっちが強いかな?」


「そうねぇ、ナターシャは純粋なドールだから私のように自動再生能力は無いでしょうけど……潜ってきた場数や経験が違いすぎるわよ、今にして思えば最初に奇襲した時だって私が誰だか冷静に判断していたもの……むぅ、そう考えると少しだけ癪に思えてきたわね……」


「ふふっ……ナターシャさんが味方で良かったね、お姉ちゃん」


「全くね……タイミングが合えば戦い方を教えてもらうのもアリかもしれないわ」


 ゆっくりと歩きながら私達は色んな事を話した、昔の事や地上に出てからの感想……楽しく話しながらも『ある話題』を避けている事を感じているのはきっとリリアも同じだったのだろう。


「……っと、多分ここかしら?」


 通路の先にあった階段を下り、部屋のものと比べるとやや頑丈そうなその扉に手をかけるが……思ったよりも重い、ドアノブをしっかりと握ってグッと力を込めて押してようやく開いた。


「わ、凄い……近くで見ると結構迫力あるねー……」


 リリアの言う通りだった、上から見えていた背の高い植物は私よりも大きく、握り拳ほどの大きな赤い実をその身から吊り下げている。

 見ただけでずっしりとしている事が分かるその実を千切らないように気を付けながら触れて眺めるが見た事のないものだ……これも地上時代の野菜か果物だろうか? 離れた場所にある花壇には紫や濃い青色、赤や黄色と色とりどりな花が夜の闇の中でも綺麗に咲き誇り濃密な花の香りで一帯を満たしている。

 順番に見て回るだけでも楽しい中庭の一角にぽつんと革製のソファが置いてあったので腰掛けて何ともなしに上を見上げると、思わず息を呑む。

 以前時計屋クロッカーから聞いた事がある、どこまでも広がる暗闇の天井の中を泳ぐ灰色のあれは恐らく雲だ、ではあの赤や黄色に明滅している小さな光は星だろうか?……いや、本に書かれていた事が本当ならあれはこの上層よりも遥か上にある最上層の底に設置されたライトの光かもしれない。


「……ねぇお姉ちゃん、本当に最上層まで行くの?……その必要って、あるのかな?」


「……どうしてそう思うの?」


 リリアの方には向かずに顔を上げたまま答える、それこそが先程からずっと避けていた話題でもあった。


「だって……もう生きている人間はいないんでしょ? 魔導石ならこの施設にもあるし、こんなに広い上層だもの……探せばきっともっと沢山あるよね?」


 私達の旅の目標……それは生存者を探す事ともう一つ、魔導石を回収してリリアの肉体を作りあげる事だ。

 その半分が絶望的だと分かった今、旅を続ける事自体が無駄だと言っても過言ではない。

 ナターシャとも会えた事だしこの施設は安全だ……ここを拠点として魔導義肢の製作を開始しても何も問題は無い、むしろこれ以上無いくらいに好条件がここには揃っていると断言できる。


「そう……ね、貴方の体も作らないといけないし……きっとここなら役に立つドールも残っている筈よ、もし壊れていても修理すれば……」


 ここが最適、この施設こそが旅の目的地だ……そう頭では分かっている筈なのに上を見上げる事を止められない……止めたくない。

 気付きたくなかった、言葉にしたくなかったがもう誤魔化しようが無い……リリアの為などと歩みを止めずに突き進んできたが初めての景色に、地上に心を奪われていたのは他でもない私だったのだ。


「……お姉ちゃんは、最上層に行きたいのね?」


 リリアの言葉に目を見開きようやく視線を落とす……そうだ、こんな思いが芽生えたのは一体いつからなのだろう……初めての肉を口にした時? ヘイズの修理に成功した時?……分からない、これまでのどれかかもしれないし、全てな気もする。


「……ごめんなさい、私……いつの間にかこの終わってしまった地上を歩く事が楽しくて楽しくて仕方なくなっていたの……貴方の為とか言いながらどんどん先に進んで、気がつけばこんな上まで来た今も私の頭の中は最上層の景色がどんなものなのかって事でいっぱいなのよ……!」


 何がきっかけなのだろう、いつから私はおかしくなってしまったのだろう……ソファの上で揃えた両足を抱え、その間に顔を埋める……今はとてもじゃないがリリアに顔を見せられない、だがそんな自分の中の罪悪感に潰れかけた私の耳に届いたのはリリアのクスクスと笑う声だった。


「何だか、やっとお姉ちゃんの心の声が聞こえた気がする……ふふっ」


「……リリア?」


 訳が分からず顔を上げると魔導板が先程よりも強い光を放っていた……喜んでいる、のだろうか?


「だってお姉ちゃんったらずっと私や時計屋の為に危険な汚染窟に潜って魔導石を集めて、最初の頃なんて生身の部分に幾つも傷を作ってたのに汚染窟に行くのを止めないで何度も何度も怪我して……それでも私の為、時計屋の為って……だから私ずっと考えてたの、お姉ちゃんの為の時間はいつ来るんだろうーって」


「貴方……そんな事を考えていたの?」


「当然だよ、だって私の大切なお姉ちゃんの事だもん……そしてきっと今がその時なんだね、旅を続けたい……最上層に行きたいんだよね? それがお姉ちゃんの気持ちなんだよね?」


「っ……ええ、行きたい……時計屋が見たこの世界の景色を全て見てみたい……そして何より、私が知りたいの……見てみたいのよ、私の知らなかった世界の姿を」


 吐き出された言葉は誰の為のものでもない、自分の為の言葉だった。

 自分の中の好奇心が抑えられない……こんな感情が私の中に眠っていたなんて自分でも驚いている。


「ん……じゃあ行こう? 最上層へ、人間達が見た最後の光景を見に」


「リリア……ありがとう」


「なりません、最上層へ行く事は私が許可出来ません」


「……っ!?」


 突然降り注いだ冷たい口調にハッとして顔を上げるといつからそこに立っていたのだろう? 目の前には闇夜を背負ったナターシャのヴェールの奥でその瞳が真っ赤に光った気がした。

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