第二十九話 アサシネイト・ウェポン

 手加減など毛頭する気は無い、そもそもそんな事をしていて勝てる相手ではないのは彼女から感じる雰囲気から痛いほど伝わってきていた……それでも、渾身の踵落としを一歩横にずれただけで躱されるとは思ってもいなかった。金属で出来た床が砕け、辺りに破片が飛び散るがナターシャは一瞬も怯まず私の方へ視線を向けている。


「くっ……!」


 そのまま着地すると両手を床につきながら両足を大きく円状に回転させ、足払いの要領で蹴りつけるが……手応えは伝わってこない、それどころかナターシャを見失ってしまった。


「芯のズレも無く動きの整った綺麗な蹴りです、ヴィオレッタ様の得意とする体術と同じものですね……幼い頃から練習なされていましたが、完璧に習得なされたようで嬉しい限りです」


 背後からの言葉にゾクリとしながら首を後ろに向けると、先程振り抜いた両足を浮かせたままの姿勢だった私の足の上にナターシャが立っていた。

 両手を前で揃え、口元に笑みを絶やさずにこちらを見下ろすその姿……えも言われぬ迫力に想定していたよりも一筋縄ではいかなそうだと全身で理解する。


「……貴方軽過ぎよ、ちゃんと食事はとってるの?」


「申し訳ありません、食事を摂る機能はありますが……なにぶん紅茶を嗜む方が好きでして」


「ああもう、肉を食べなさい肉を!」


 指に力を込めて乱暴に足を振り回して立ち上がるとひらりと飛んだナターシャが目の前に着地した、あまりの顔の近さに驚いて数歩後ろにさがる。


「食事といえば……私が作られてから最初に口にした食事はティス様が作られた肉と野菜を炒めたものでしたね、生焼けのお肉と不揃いに切られた野菜を咀嚼する度にゴリゴリとした音が体の内側で響いていたのを今でも鮮明に思い出せます」


「それは……変な物食べさせて悪かったわね!」


 一気に距離を詰めて回し蹴りを繰り出すが首を逸らされ躱されてしまった、その間にもナターシャは私から視線を逸らさず慌てた様子で手振ってみせる。


「ああ違います、あのお歳で指も切らず火傷もなさらず完成させたのだから凄いというお話だったのですが……もちろん今もう一度出されても喜んでちゃんと食べますよ?」


「今ならちゃんと火を通して作るわよ! これでも自分の分の食事は作ってるんだから!」


 高く飛び上がり素早く回し蹴りを繰り出す……と、今度はその足首を掴まれ、地面に強く叩きつけられてしまった。


「お姉ちゃん!」


 一瞬息が止まり、体が動かなくなるが目の前に大きく振り上げられたナターシャの足が見え咄嗟に横に飛ぶ。振り下ろされたナターシャの足は床を砕き、吹き飛んだ破片のいくつかが私の方へと飛んできたので咄嗟に両腕で防御態勢をとる。

 数度転がり、腕を地面に叩きつけた勢いで立ち上がると再び対峙する……戦闘用に作られ、時計屋の魔改造を受けているとはいえドールとホムンクルスではスペックに大きな差がある、にも拘らず未だに一撃も加える事が出来ていないのは大きなスペックの差を積み上げてきた経験を完璧に応用する事で埋めているのだ。

 『強い』……自身の経験と確固たる意志が彼女の戦闘能力を飛躍的に向上させているのだろう、加えて彼女にはまだ例の隠し玉がある……本来は力の差に恐れ、降参する場面なのだろうが私の口の端は無意識に上がり笑みを作っていた。


「っはぁ……大丈夫よリリア、にしても……それって私の真似?」


「厳密にはヴィオレッタ様のですが……その通りです、一緒に練習していた時期もありましたのでヴィオレッタ様に比べると幾分未熟ではありますが一通りの動きは今でも思い出せます」


 立ち上がったのはいいものの次の手が思いつかず逡巡する私は隙だらけなのだろうがナターシャの攻撃が飛んでくる気配は無かった、戦いというより稽古でもつけられている気分だ。


「そう……じゃあついて来られるかしら……ね!」


 再び駆け寄り上段蹴り・下段・ひねりを加えた上段蹴りと連続で技を繰り出すがナターシャは鏡写しのように私の動きを全て真似て同時に足を打ち合う結果となった、見切られているとも感じたが彼女の動きには何となく違和感を感じる……考えてみれば先程からの紙一重の回避や今のように動きを真似るような行為は無駄な演算を要求する事になり、彼女にとって余計な負担でしか無い筈だ。

 では何故そんな事をするのか……理由は簡単だ、先程から彼女は私と自分との力量差を分かりやすくする為に戦っているのだろう……オーバースペックの戦闘用ドールを用いて圧倒的な技術力で完膚なきまでに相手を叩きのめした時計屋クロッカーと同じように、こうすれば勝てるんじゃないかという僅かな希望すら残さないようにナターシャは戦っているのだ。

 それ程までに私を大切に想ってくれているのだと思うと胸が熱くなる……本当に愛しい家族だ、だからこそ私も彼女を心から安心させてあげたいと強く思う。

 彼女の体術は完璧だ……つまり私の通常の動きでは全て対処されてしまうだろう、ならば今の私に出来る事はホムンクルスとしての私の力を最大限に生かしてナターシャの演算をほんの僅かでいいから混乱させ……その一瞬の隙をつく事だ。


「……ふっ!」


 まずは飛び上がっての左蹴り……これは当然躱される、そのまま地面に着地する前に体をひねって右足で大きく薙ぎ払う……が、これも奥に一歩さがり躱される……このタイミングだ! ナターシャから一切目を逸らさず、再び全身に力を込める。


「……!?」


 通常人間は浮く事は出来ない、それはホムンクルスである私も同じだが……ほんの一瞬であれば可能だ、片方の手のひらを床に向けてその先で瞬間的に魔力を暴走させ小規模な爆発を起こす……すると体が衝撃で浮き上がり、同時にナターシャのとった距離を一気に詰める事が出来る。


「……くっ!」


 そのまま爆発と蹴りの乱打を繰り返し……やがて捌ききれなくなったナターシャが再び私の足首を掴んだ、このままでは先程と同じく地面に叩きつけられるだけだが……掴まれていない方のブーツの先端から素早く硬質の刃を突き出し、ナターシャの顔に向けて突き立てる。


「うっ……!」


 咄嗟に私の足を離して顔を逸らすが刃は彼女の顔を覆うヴェールを裂き、その頬に浅く切り傷をつけた。


「……まさか、卑怯なんて言わないでしょうね?」


 体をひねって着地し、ゆっくりと立ち上がると彼女の切り傷から赤い動力液が垂れた。

 頬から顎に向かって伝うそれを指で拭って眺め……小さく笑ってみせる。


「ふふっ……そんな事は言いませんよ、暗器アサシネイトウェポンとは驚きましたが実に実践的な良い武装です……むしろ悪いのはティス様の力を軽視していた私の方……」


 ナターシャが腕を左右に広げると彼女の内蔵武器であるブレードが姿を現し、彼女の姿を青く照らした……どうやらここからが本番のようだ。


「貴方の足を一本頂きます、足が無くては移動は出来ませんし修理まで月日もかかるでしょう……もちろんその間のお世話は私が責任をもって全て致しますので何も心配はいりませんよ」


「それは困るわね……足だけでも最低一か月はかかるもの」


 ブレードを振り回す度に辺りに空気が震えるような妙な音が鳴り響く……まさかあの刃は高速で震動しているのだろうか?……だとすればその切れ味はきっととんでもない、弾こうなどとは思わない方が良さそうだ。


「ティスさん、右です!」


「……!」


 エルマの声に反射的に右に飛び退くと耳元でブレードの耳障りな音が響いた、足元に何か落ちた事に気付き視線を落とすとナターシャが用意してくれた上着だった……完全に回避したつもりだったが切り裂かれてしまったようだ。


「何するのよ……寒いじゃない」


「申し訳ありません、代わりの服はご用意致しますし……これが終わったら一緒にお風呂に入りましょう?」


「ああ……あの部屋の角にあった水噴機? あれでもいいけど、私浴槽ってのに入ってみたいんだけど? お湯を溜めて入るんでしょう?」


「いいですね、終わったらすぐにご用意致します!」


「ついでにヘイズから刺激飲料も持ってくるわ、勝利の美酒ってやつを味わってみたかったのよ!」

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