第十七話 背後から見つめる者
「どうですか、ティスさん?」
「んー……ダメね、全然止む気配が無いわ」
窓から外を覗き込んだ私はため息をつき首を横に振ってみせた。
外では今もなお断続的な音を立てながら雨が降り続いている……ヘイズでの走行中に雨の気配を感じたエルマが警告を発し、慌てた私達は状況を調べる間も無く最初に見かけた民家の中に飛び込み……現在に至る。
ただ急いでいたあまり車庫のような場所にヘイズごと飛び込んでしまって破壊してしまったのだが……まぁ家主も不在のようだし問題無いだろう……多分。
それに、家主が戻る事ももう無いだろうし……そんな事を考えながら依然として奇跡的に綺麗に形を保っている窓ガラスに指先で触れると、パラパラと窓枠やガラスに雨粒が当たる度に小気味のよい音楽と僅かな震動が指先から伝わってくる……空気中を漂う埃などの微細な汚れをその身に纏いながら降り注ぐ雨粒たちは決して綺麗とは言えないのだろう、しかし話に聞いていた以上な腐食や崩落が起きる気配は無い。
「私は初めて見たんだけど……これは普通の雨、なのよね?」
「はい、僕も目にするのは初めてですが毒性なども検出されませんし……ええ、普通の雨です」
「ふふっ……それにしても、さっきのエルマ君の慌てっぷりったら凄かったねぇお姉ちゃん?」
悪戯っぽく笑うリリアについ私も笑みが零れる、確かに雨の気配をいち早く察知した時のエルマの動揺っぷりは今までに見た事の無いものだった、有無を言わさず退避を叫んでいたし地下室か屋根の残っている建物を死に物狂いで探していたし……もちろんそれは私達の事を思っての行動だと分かっている、結果的に雨が無害だったというだけで今こうして笑ってられるのは間違いなくエルマのお陰だ。
「確かにね?……ティスさんすぐに屋内へ逃げてください! 家具の下か家具を積み重ねてその下に隠れてください!……あんな強引なエルマ初めて見たわよ、ふふっ」
「だ、だって僕はティスさんに作られましたから、ティスさんの安全を第一に考えていて……だから、その……」
「冗談よ、ありがとうエルマ……頼もしかったわよ」
「ティスさん……はいっ!」
羞恥心を誤魔化すようにテーブルの上で転がる相棒を撫でてやると嬉しそうに更に転がる速度を上げた、感情が動きで分かる彼の事をいつまで眺めていても恐らく飽きる事は無いだろう。
「……ま、何にしてもこの雨の中じゃ視界も悪いし、雨が止むまでしばらくは足止めね……体を休める場所が見つかっただけ幸運だわ」
コリをほぐすように腕を伸ばし、改めて飛び込んだ部屋を見回す……部屋の中は全体的に落ち着いた色でまとめられたシックなものだった、深い緑色をしたカーペットが床一面に敷き詰められ壁紙は植物の蔦を模した柄がうるさくない程度に描かれ、私が余裕で横になれる大きなソファに加えて壁に埋め込まれた石造りの大きな暖炉まであった……惜しむべくは脇に積まれた薪がすっかり古くなっていて使えなかった事ぐらいか。
暖炉の向かいに佇む大きな本棚には小難しそうな本が敷き詰められ、隣の食器棚には酒瓶とグラスが数点……落ち着いた壮年がゆったりと流れる時間の中を過ごしている姿を彷彿とさせる部屋だった。
「どこか
「確かに、そうね……時計は壁に壊れたのが一つあるだけだけど」
ぼんやりと部屋を眺める私にかけられたリリアの言葉でこの部屋に感じた既視感のようなものに答えがついた、確かにこの静かで埃っぽい雰囲気はよく似ている。
「もしかしたら、時計屋みたいな人が住んでいたのかもね」
「冗談、あんな小言の多い人が二人もいたら猛毒の雨なんかよりよっぽど恐ろしいわよ」
「またそんな事言って……ふふっ」
勿論本音などではない、その証拠に本棚に収められた本の一つを引き抜き表紙を眺めると時計屋が好きそうだ……などと思ってしまうぐらい彼女の存在が頭から離れる事は無く、彼女を失ってしまったあの日の事を考えると胸が締め付けられるように痛む。
本の表紙を見つめながら時計屋の最後の姿を思い出しているとふと妙な事に気が付いた……気が動転していたせいで気にも留めなかったがあの時、時計屋が終わる事を選んだあの時のエルマは少し変だった……時計屋達の本名を明かし、地上での功績を淡々と読み上げるその姿はまるで……バカバカしい、根拠も無く膨らんでいく妄想を首を振って吹き飛ばす。
エルマだって私達の家族だ、いつも私やリリアの為に気を揉んでくれている彼が時計屋の死を悲しんでいない筈など無い、チラリと視線を彼に向けるとちょうどエルマもこちらを見ていたらしく目が合う……声には出さないが私の感情を読み取ろうと体を傾ける仕草が愛らしく、妙な事を考えてしまった事自体が彼に対して失礼だったと思えてくる。
『虚構の美学』
「……やっぱり、私向きの本は無さそうね」
改めて視線を本へと戻し、試しにとなぞってみたその題名は残念ながら心惹かれるものではなかった。
そもそも地上と地下では文化も文明レベルも違うのだから価値観も違うだろう、もう少し地上の事を勉強すれば良かったかもしれない……とはいえ暇であるという事実は変わらない、やる事もない私の指は気が付けば本棚に並んだ本の背表紙を次々になぞっていった。
「『食のロマン』? ああ、食べ物に関する事なら面白そうね」
とりあえずその一冊を手に取る、そのまま他の背表紙をどんどんとなぞっていく……『ファイヌス・グラフィアート』『螺旋工学』『共鳴説の道筋』『階層開拓史』……。
「……ん?」
ある本の題名に指が止まる、階層とは……この地上世界の階層の事だろうか? 正直一番気になっていた食の本をキープの為に本棚の脇に雑に置くと階層の本を引き抜き、ソファに腰掛けるとページを捲ってみた。
「うっ……けほけほっ」
本が開かれると同時に大量の埃が舞い、少し吸い込んでしまった……数十年は放置されていたのだから無理も無いが、うっかり失念していた。
「だ、大丈夫ですかティスさん?」
「ええ大丈夫……けほっ」
とは言ってもどうにも喉に違和感が残ってしまった、ヘイズから持って来ていた刺激飲料の一本を開けて喉に流し込むと一気に飲んだせいか刺激で少しだけ涙が出たが喉の不快感は消え去った。
「ふぅ……それにしても、少し冷えてきたわね」
雨のせいか冷たい物を飲んだからか少し背筋が寒くなる、これでは読書どころではない。
暖炉の前にしゃがみ込み風化した薪を一つ持ち上げてみるが掴んだ箇所からボロボロと崩れていく、これでは灰に等しく満足に燃えてくれたりはしないだろう。
仕方ないと改めて本棚に目を向け興味の持てなかった本を一冊手に取りページを適当に破るとくしゃりと握りつぶし、暖炉の中へと次々に放り込んでいく……ページが黄色みがかっていたり脆くなっている箇所が随所に見受けられるが紙は紙、よく燃えてくれそうだ。
「時計屋に見られたらきっと怒られちゃうわね」
「今の状況では仕方ないですよ、僕は何も見てません」
「ふふっ、ありがと」
時計屋は本を大事にする人だった、今の状況ではどれもこれも二度と手に入らないのだから仕方ない事ではある……説得力は無いかもしれないが私だって読書は好きなのだ、こんな状況でも無ければ本を燃やすなどしたくはない。
心の中で謝りながら投げ込んだ紙片達に
「……暖かい」
炎が安定してきたことを確認するとソファに戻り、埃が舞わないよう濡れた布で本の表面を拭きとると再び本を開いた。
当然の事だが中の文字も読めるものではない、ジッと眺めて一文字でも読み解けないか試してみるがすぐに無駄な抵抗は止めて人差し指を伸ばし、何行もある文字列をなぞっていく……。
『最初に、この世界で生きるという事は少しずつ死んでいく事に等しく、生とは詰まるところ緩やかな死である。故に──』
「……はぁ、温まるわぁ」
この家の温水設備が生きていたのは本当にラッキーだった、魔力は持ち込んだ魔導石で補えるが設備そのものが死んでいてはお手上げだからだ。
以前の私ならば湯浴みを面倒としか思わずあまり好んでいなかったが……今ならばハッキリと最高だと思える、十分に温まったところで蛇口をひねって水噴機を停止させると正面の壁に寄り掛かり、項垂れた私の髪先から数滴の水滴が滴り落ち……排水口の上に出来た水溜りに小さな波紋を広げた。
『魔導石の出現により人類の技術は飛躍的に発達した、しかしそれは同時に人類そのものの寿命を縮めた事と同義である。故に発達し過ぎた人類の行く先は滅びである、その事に気付かず邁進するハーティルドール家の行いは死へと向かい駆けだす愚行と言わざるを得ない』
「……っざけんじゃないわよ!」
思わず叫び振り上げた右腕を壁に叩きつけた、そこまで強く殴ったつもりはなかったが金属で補強された壁は明らかに歪んでしまっている。
「てぃ、ティスさん!? 何かありましたか!」
飛んできたエルマが慌てた様子で声をかけてくる、浴室内に入って来ないのは彼なりに気を遣っているのだろう。
「……大丈夫よエルマ、なんでもないわ……ごめんなさい」
「そうですか……? では服の洗浄と乾燥も終わりましたからここに置いておきますね、ゆっくり温まってから出てください」
「ええ、ありがとう」
心配そうにしばらく扉の前でウロウロしていたエルマが出て行った気配と共に長く息を吐き出す、落ち着け……あんな一冊の本の内容に心を乱されてる場合じゃない……それに結論は思い出すだけでも腸が煮えくり返るものだったが、同時に得られた情報もあった。
あの本の出版された日にちは分からないが、出版された当初は今私達がいる位置は中層と呼ばれていたという事と上層からさらに先……最上層は詳しい事は分からないが建設途中で人々の間で抗争が起きて碌に建設が進んでいない事などが記述されていた、その内容を素直に受け取るのであれば最上層までそう距離は無いという事になる。
「建設が頓挫していようと建設用のドールに魔導石はあるでしょうし、食料の確保と落ち着いて人工皮膚の培養が出来る環境さえあればリリアの体は作れる……ヘタをすれば最上層まで上る必要すら無いかも……どちらにしても今は進むしか無いのだけれど……それでも、一つの目安は見つかったわね」
水噴機の散布エリアから出て扉を開くと、床に置かれた籠から乾いたフカフカのタオルを取り出し体に残った水分を拭き取る。
更に籠の底に畳まれた衣服を取り出すとつい驚いて声が出てしまった、今まで着ていた服と同じ物の筈なのに汚れが完全に落とされ新品同然に生地もピッシリとしているではないか……エルマの家事能力の高さには素直に頭が下がる。
「……よし」
服に袖を通すとブレた気持ちが整うかのように気合が入った、その時ふと気になって窓の外を見ると雨足が弱まっていた……恐らく明日には止むだろう。
最後の仕上げとばかりに自らの長く赤紫色の映える髪に両手を入れて広げると頭の中に籠った熱が外へと広がり更に冷静さを私にくれる、もう名前も忘れてしまったあの本の著者……きっと世界がこうなってさぞやほくそ笑んだでしょうね、でも残念だが……人類は滅びない、私とリリアがいる限りは絶対に。
皆の所に戻って今後の作戦を練るとしよう、そう思って浴室の扉のノブに手をかけ……足が止まる。
「……?」
何かひどく違和感を感じる、なんだ? 窓から扉へと視線を移す間に何かを見た気がする。
急に張り詰めた空気を感じながら視線を再び窓へと戻しながらせわしなく眼球を部屋のあらゆる位置へと向ける……そしてそこに彼女は、いた。
「……貴方、誰?」
雨足が大人しくなってきた外を映す濡れた窓ガラスの向こう……いや、窓ガラスそのものに髪を胸元まで伸ばした少女は映り、静かにこちらを見つめていた。
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