第十六話 その少女はただ綺麗なままで

「死ん……でる……わよね?」


「はい……腐敗の傾向は全く見られませんが臓器などは完全にその機能を停止していますね、信じられない程に綺麗ですが……間違いなく死体です」


「で、でも……温かいわよ?」


 片手で容易に抱き抱えられそうなほどに軽い少女の額や首に手を当ててみるが指先から伝わってくる体温は下手をすれば私よりも温かいかもしれない、歳は十代前半といったところだろうか? 淡いブラウン色のセミロングの髪はツヤがありこの薄暗い室内でも僅かに光を反射している、ロング丈のドレス調の服には控え目だが白いフリルが可愛らしく飾ってあり、袖から覗かせる腕も細く健康的とは言い難いが白く綺麗な肌をしている。


「相変わらず生体電気の反応もあります……何と言いますか、時間が止まってしまったかのような……ですが間違いなく死亡しています、外傷が見当たらないところを見ると死因は恐らく衰弱死か、もしくは……」


「餓死……そうよね、こんな環境で小さな子が一人で生きるのは難しいでしょうし……」


 しかしやはり分からないのは食料品店にあった切り分けられた肉と同じく何故腐敗しないのかという点だ、他の階層にも死体はあったが全て白骨化し風化していた……この子とその死体で一体何が違うのか……その答えはきっと、ここでいくら頭をひねったところで答えに辿り着く事は無いだろう。

 一度絡まった考えを首を振って放り捨てて改めて少女の体を今度は両手でそっと持ち上げる、胃の内容物も殆ど無いのだろう……その体は下手をすれば風で飛んでしまいそうな程に軽く、見つめていないとちゃんと抱えられているのか分からない程だ。


「部屋を荒らしてごめんなさい……ドアにかけたあの玩具も、貴方の救難信号だったのかしらね」


 未だに埃の舞う部屋から移動し別の部屋にあった比較的綺麗なベッドの上に少女を寝かせると、割れた窓から僅かに差し込む光が少女の顔を照らした。


「……先に謝っておくわ、今の私には貴方の体がどうしても必要なの……助けられなかった上にこれから貴方を汚す私を、許さなくていいからね」


 まるで眠っているかのようにベッドに横たわる少女の脇にしゃがみ込み、片手を握りしめるとそっと謝罪の言葉を口にする……そう、私は何も埋葬の為にこの部屋に彼女を運んだわけではないのだ……では何故部屋に運んだのか、その理由はこんなにも綺麗に残った少女の肉体……それを無駄にする訳にはいかなかった、ただその一点のみなのだから。


「……エルマ、この子の体をこれから解剖するわ。貴方は隅々まで撮影して臓器の配置や骨格を完全に記録して、血管や想定される血液の流れ……ああもう、とにかく全部よ!」


「え……えぇ!?……本気ですかティスさん?」


「お、お姉ちゃん……? それは、いくらなんでも……」


 二人が驚きの声をあげる……無理もない、本当なら私だってこんな事をしたくはない。

 こんな幼気な少女の肉体を死してなお辱めるなんて事が許される筈も無い……だが、今の私にはどうしてもこの子の体が必要な事情があるのだ、彼女以上にリリアの体作りの参考になる死体なんて到底見つかる気がしない。


「本気よ、ただしやるからには全力で……この子の爪の先から髪の質感まで全て念入りに記録するの……お願い、エルマ。こんな事、貴方にしか頼めないの」


「っ……分かりました!」


 私の視線で本気だと感じ取ったのだろう、ゆっくりと頷くのを確認すると私はナイフを抜いて彼女の衣服を切り裂き、その裸体を窓から差し込む陽動器ようどうきの光の元に晒した。

 起伏が少なく痩せたその体のあらゆる箇所に次々に指を沈めていく……集中しろ、触れた指先から伝わる弾力……質感、その全てを記憶しろ。

 次に頬に手を当て親指で両目を軽く開く、僅かに目の端に残る涙の形跡……焦点の合わぬ灰色の瞳……きっと生前は大人しく可愛らしい子だったのだろう、全体的に色素の薄いところを見るにあまり体は丈夫ではなかったのだろうか? そんな子に私は一体何をしているのか──胸に重くのしかかってきた罪悪感を首を振って強引に吹き飛ばす。


「骨格記録……関節数……予測可動域……記録」


 エルマがいつになく機械的な喋り方になっている……私がお願いした通り全力で記録するために思考プログラムを絞ってこの子の全身の解析に処理能力を割いているのだろう。

 私も負けていられない、少女の小さな口を指でこじ開け歯の数や形……質感を記録する。

 やはり子供だからか、それとも背の小さい子だからか……全体的に小さな歯だ、奥にいくにつれて平たく……そして前の数本は先端が薄く、鋭さをもった構造になっている。特定の箇所だけ尖った構造になっているのは何か意味があるのだろうか?


「……ここが、こうで……」


 少女の口から手を外し、ガスマスクをずらして自分の歯を確認する……大きさは違うが数や構造の正確さに思わずにやりと笑ってしまった……様々な事を知れば知る程、時計屋の凄さが身に染みる。


「ふふっ……」


 たったそれだけの事で妙に嬉しくなる、そして同時に大きな不安も胸の内に広がる……はたして自分にリリアの体を作るなんて事が本当に可能なのだろうか? 弱気というやつは小さな傷からでも大量に噴き出し、胸が詰まるような感覚が広がってくる。


「……はっ、やってやろうじゃない」


 ボソリと、誰にも聞こえないぐらいの声量で呟く。

 不安は拭えない、自信がある訳でも無い……しかし私は時計屋の、ヴィオレッタ・ハーティルドールの娘だ。

 私は私に自信を持てないが、彼女の娘であるという心の柱だけは誰にも何にも決して折らせはしない! 気合を入れ直してナイフを片手に持つと少女の首元、鎖骨の間辺りからゆっくりと刃を滑らせていく……躊躇いは一瞬、不躾に入り込もうとする私の刃を物言わぬ少女は驚く程あっさりと受け入れた。




 少女の体に刃を入れてからどれくらい経っただろうか、外から差し込む陽動器の光は弱くなっているのに私の額にはおびただしい量の汗が滲んでいる。

 胸部を大きく開き、内部まで露わになった少女の全身を改めて眺め……次に調べる臓器に真っ赤に染まった手を滑り込ませる、他の臓器は筋張っているものが多いがこれは妙にコリコリとした触感が指から伝わってくる。


「っ……しまっ……うっ……!」


 一瞬の油断だった、臓器を持ち上げる為にナイフの背を滑り込ませようとした瞬間、反対側の死角に伸びていた太い血管を切り裂いてしまった……傷は小さいが切り裂かれた血管からは勢いよく血が吹き出し、私の視界の半分を真っ赤に染める。


「ティスさん! だいじょう……」


「目を逸らさないでエルマ!」


 ハッとした様子でこちらに向き直るエルマを思わず怒鳴りつける、前は見にくいし服にもべっとりと血が付いただろうが……構うものか、毒でもなければ汚いものでもない。


「……怒鳴ってごめんなさいエルマ、でもお願い……私は大丈夫だから、今だけはこの子から一瞬でも目を逸らさないで」


「ティスさん……分かりました」


 小さく頷き、再びエルマが少女の記録に戻ったのを確認すると小さく息を吐き出す……さすがに視界が悪い、何か布を探すか?……それこそまさか、だ。

 片目が使えないならもう片方の目で二つ分見ればいい、幸いにも血管の一部に溜まっていた血が吹き出しただけらしく出血はすぐにおさまったので今度は慎重に……しかしだらだらと長引かせないように手際よく解剖を進めていく。




「……ねぇお姉ちゃん、その作業って私の為……なんだよね?」


 少女の体を記録している最中一言も発さなかったリリアが作業の終盤、肉体の縫合も終え最初に切り裂いた彼女の服を縫い合わせている時にポツリと問い掛けた。

 部屋に飛び込んだ時にこの子の事は見ている筈だが解剖を開始してからはリリアは私が頼んで収納箱の中にいて貰っていた、今更なのは分かっているがそれでも……あんな恐ろしい事をしている自分の姿をリリアには見せたくなかった。


「……ええ、貴方の体の完成度を上げる為にも何か参考は欲しいと思っていたのだけれど……でも見つかるのは乾燥して空洞の死体ばかりだったでしょう?……そういう意味ではこの子の存在は最も理想的だったのよ」


「そっか……ねぇ、その子の事もう一度私に見せてくれない?」


「リリア……私は見ない方がいいと思う、この子を参考にすると決めたのは私なのだし……背負う必要の無い罪悪感を背負う事になるわよ?」


「お願い、その子の体の情報が私の為に使われるのであれば……私こそ、その子を知って……しっかりと覚えておかないといけないと思うの。だからお願い、お姉ちゃん」


「ティ、ティスさん……僕も止めておいた方がいいと……」


 おろおろとこちらを見るエルマとリリアを見比べ長く息を吐き出す……汚れるのは、罪を犯すのは自分だけでいいと思っていたが……これが姉妹という事なのだろう。


「ふぅー……分かったわ」


「ティスさん……!?」


「ごめんなさいねエルマ、私達は姉妹だから……きっと、根っこの部分が似ているのよ」


 腰の収納箱に手を伸ばし全体を片手で覆いながらリリアを取り出し少女の前に掲げる、縫合も終わり縫い直した服も着せているので外見は最初に発見した時とそう変わりない。


「もう一度言うけどこれは私の業よ、本来貴方が背負う必要の無い筈のね……それでも、本当にいいのね? 今ならまだ──」


「ううん……お願い、お姉ちゃん」


「……はいはい、困った妹だこと」


 私の言葉を遮り、力強く答えるリリアについ苦笑してしまった、今のリリアはここにいる誰よりも不自由だけれど……ここにいる誰よりも強い。


「……っ!」


 ゆっくりと覆っていた手をどかすと、リリアの息を呑む音が聞こえた。


「……ごめんなさい、名も知らない貴方……絶対……絶対に貴方の事は忘れないからね、それと……本当に、ありがとう……!」


 リリアの言葉に合わせて私も目を閉じ少し頭を下げる、もし神様なんてものがいるのであればどうかこの子の魂が温かな祝福を受ける事を願わずにはいられない。


「……お姉ちゃん、この子……ドールを持ってるって言っていたよね?」


「ええ……何かの動物の形をした愛玩用のね、それがどうかしたの?」


「そのドールの魔導石を私の一番大切な部分に使って欲しいの、私はお姉ちゃんと……この子の為に生きる」


「リリア……そう、分かったわ」


 リリアを再び収納箱の中に戻し、眠り続ける少女の上にそっと毛布を被せる……お疲れ様、本当にありがとう。


「……ん、これは……」


 少女が抱えていたドールを改めて持ち上げると清涼感のある香りが鼻をついた、周りの惨状に比べて随分と綺麗だとは思っていたが……恐らく少女が何度か洗っていたようだ、自分は食事も摂らず痩せ細っているというのに──。


「貴方……間違いなく玩具の中でも一番の幸せ者よ」


 ぼそりと呟きながら魔導石を抜いたドールを彼女の横にそっと置くと彼女の家を、住居群をあとにした……結果としては想定以上の成果を得られ魔導石の回収もする事が出来た、だが素直に喜ぶ事が出来ないのは……ここにいる全員が同じ気持ちだからだろう。


「エルマ、貴方もお疲れ様……記録の方はどう?」


「完璧です、情報の少なかった頭部や胴体の細部に至るまで完全に記録しておきました!」


「そう……じゃあ次へ行きましょうか」


 エルマがヘイズと同期するのを待ってから起動させ、最後に再び住居群を見上げる……彼女の人生がどういうものだったのか、それは想像する事しか出来ないけれど……私達は先へ進むしかない。


「次は……そうね、もう少し空気が綺麗なところに行きたいわ」

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