第十五話 地上での生き方

『ねぇ時計屋クロッカー、地上ってどんな世界だったの?』


『んー?……ヒッヒ、どうしたんだい急に』


 時計屋と向かい合って座ったテーブルの上には花の良い香りが鼻孔をくすぐる温かいお茶が二つ置かれていた、エルマ……ドールを作る為の技術を学ぶために時計屋から手ほどきを受けていたが少々行き詰まり、今は休憩中だ。


『別に……ただふと思っただけよ、貴方が過ごした世界はどんな場所なのかなーってさ?』


「そうさねぇ……どう表したらいいものか……」


 時計屋は考え込むように、懐かしむように少し上を見上げ両腕を組んでみせる。


『人によって受け取り方は違うだろうけれど……あたしが感じた事で最も印象的なのは……息苦しさ、かねぇ』


『……息苦しさ?』


 想定外の答えについ首を傾げてしまう、ある程度安定しているとはいえ所詮は穴倉でしかないこの地底都市に対しての印象であれば納得も出来るが、この地下世界から壁と天井を取っ払ったような地上にいて何故息苦しさなんてものを感じるのか理解できなかった。


『どういう事? 地上はここの何倍も大きいんでしょう?』


『ああ、面積や規模という意味であればこのズーラとは比べ物にならないくらい大きいし広いよ』


 ならどうして、そんな出かかった私の言葉を遮ったのは時計屋のしみじみと吐き出された溜め息だった。


『……だがここと比べるとある意味でかなり不自由な世界でねぇ、個性を殺してなお突出する事を求めたり名前の無いものに無理矢理名を与えて自分のものだと主張したり……このズーラに住む者の中には地上よりもここの方が自由だと感じる者も少なくないだろうさ』


『……何よそれ、そんなに束縛が嫌なら好きに生きたらいいじゃないの』


 現に私達はそうして生きている、自分のやりたい事や出来る事を邪魔される謂れなんて無い筈だ。

 そう言って憤る私に時計屋は愉快そうに喉を鳴らした、湯気を上げるカップを持ち上げお茶をすすりゆっくりと息を吐き出す。


『ああそうだ……本来自分の意思に反して限りある命や時間を削るなんていうのは生物としては最も愚かな行為だ、でも人間ってやつは心のどこかで安心してしまうんだろうねぇ……例え理不尽や不自由を強いられても、そこに従っている自分はきっと守られている……救われているんだと盲信せずにはいられない生き物なんだろうさ』


『盲信……ただ信じているっていうの? 例え何も返って来なくても?』


『きっと人間は各々で考える事に疲れたんだろうさ……そして悪い事に同じように思う者が複数現れた事で安心してしまったんだ、今もなお捧げ続ける杯人達のようにね』


 杯人……体は瘦せ細り毒の影響で頭部が割れ、そこから溢れ出す髄液を炎にくべ続ける事でいつか救われると信じている哀れな人間の末路の一つ……それが人間の……地上世界での生き方だとでも?


『そんなの……それって生きているって言えるの?』


『ヒッヒ、手厳しいねぇ。はてさて……考える事を止め、吹いては消えてしまうような刹那的な快楽のみを糧に生きる事は果たして本当に生きていると言えるのか……いずれ地上のデータの破片でも見つけてお前に見せるその日が楽しみになってきたよ、地上を知ったお前は一体どういう感想を思い浮かべるんだろうねぇ……』




「……まるで墓場よ時計屋、それも死者への手向けなんて何も考えていないようなね」


 住宅群のトンネルを抜けて上を見上げた私はポツリといつかの時計屋の言葉を思い出しながら呟いた、覆い被さるような圧迫感しか感じない窓と扉の群れ……辛うじて布飾りなどが取り付けられているものあるのでどうにか見分けはつくが、しかしそれすらも鉱石などを並べた標本箱の名札のように思えてしまう。

 私達の辿り着いた集合住宅はそんな個性と存在を極限まで殺したかのような箱の群れだった、部屋の数など見当もつかずとても全部なんて回っていられない……とにかく目についた場所から回ろうと決め、魔石灯を点けて薄暗い辺りを照らして最初に見つけた内部へと続く階段のへと歩を進める。


「息苦しさ……ね、ホント貴方は一々正しいわ」


「ティスさん? どうかしましたか?」


「何でもない、少し昔を思い出しただけよ」


 地上の空は陰鬱な灰色模様だったがここの景色はそれに更に澱みを混ぜて放置したドロドロのスープのような印象を受けた、肌に纏わりつくような空気にすらひどく不快感を感じ背筋を寒くする。


「……とにかく魔導石よエルマ、反応がある部屋を教えて」


「わ、分かりました!」


 足を踏み入れてしまった以上収穫も無しに出る訳にはいかない……探知をエルマに任せて微弱でも反応のある部屋を巡り、汚れた家具や家電から魔導石を次々に回収していった……が、十部屋も回る頃にはすっかり気が滅入ってしまっていた。


「部屋が荒れているのは想定内だったけど……人由来の汚れってなんだか錆だの菌だのよりもクるわね……ガスマスクもしてるし、臭いはしない筈なのに……」


「うん……私もちょっとだけ気分が悪い……かも」


「大丈夫ですかお二人とも……まだ回収出来そうですが想定よりも魔導石は集まりましたし、この辺りで引き揚げますか?」


 確かにエルマの言う通り来た時よりも腰の収納箱の重さは随分増した、だがこれだけあっても恐らく両足が作れるかどうか……つまりまだまだ数が足りない。


「いいえ……もう少し回りましょう。リリア、もう少しだけ我慢出来る?」


「うん、大丈夫だよお姉ちゃん」


「……分かりました」


 再び索敵を開始したエルマに部屋の指定を任せ窓ガラスなど無い窓から顔を出し辺りを眺める、筒状に伸びるこの集合住宅では窓を覗いたところで私が入ってきた入口から広がる中庭しか見れずどこを見ても息の詰まる景色が広がっている……ここに住んでいた人達はこんな景色が最後に見た光景なのだろうか?


「……ん?」


 ふと向かいの階層のある部屋の扉が目に留まった、自分でも何故その扉が気になったのか分からないが……妙に心に引っ掛かる。


「エルマ、次はあの部屋にしましょう」


「え?……あ、ちょっとティスさん!」


 エルマの返事も待たずに窓から飛び出すと向かいの通路に向かって雷鋼線ディミット・ワイヤーを伸ばし、僅かにガラスの残っていた窓枠を突き破りながら通路内部へ滑り込む。


「ど、どうしたのお姉ちゃん!」


「大丈夫よ、ちょっと飛んだだけだから」


「じゃなくて、急にどうして……」


 立ち上がると左腕に違和感を感じた、視線を落とすとどうやら突き破った際にガラス片が刺さってしまったようだ……それを引き抜き通路に投げ捨てると、遅れてエルマも慌てた様子で飛び込んで来た。


「一体どうしたんですかティスさん! 無茶しすぎですよ!」


「ごめんごめん……あそこの部屋がどうしても気になったのよ」


 そう言って指差した扉の前へと移動する、ドアノブには何かの生き物を模した小さな玩具が吊り下げられている。

 一刻も早く部屋の中が知りたい、謎の焦燥感に掻き立てられながらドアノブを握るとエルマのアームが重なり私の手を止めた。


「待ってくださいティスさん……この部屋から生体電気を感じます」


「……何ですって?」


 その忠告に素早く手を腰に伸ばして鞘から電熱ナイフを抜く、生体電気……人体が全身に指示を送る際に発生させる電気信号の事だ……つまり、この先にいるのは生きている人間という事になる。

 一瞬で周囲の空気が緊張感で張り詰める、ドアノブを握った時点で攻撃してこなかったという事は相手は遠距離武器を持っていないという事だろうか、それともひどく慎重なだけか……どちらにしてもガラスを突き破った音は向こうにも聞こえている筈だ、気を抜いてはいけない……私だって無敵という訳では無い、爆発物や重火器を集中的に喰らえば一時的に機能停止に陥る可能性だってある。


「生体電気の反応は部屋の左奥から感じます、同じ個所から魔力も感じるので恐らく武器かと……大きくはありませんが、油断しないでください」


 エルマの言葉に頷いて返す、気付かれていないのであれば隣の部屋の壁をぶち抜いていく方法もあるが今となってはその方法は使えず、小細工をしている隙に逃げられても困る……となれば相手の想定を超えて一瞬で制圧するのが一番手っ取り早いだろう。

 タイミングを示す三本立てた指を順番に畳んでいき……やがて全ての指が畳まれると同時に体を大きくねじった。


「──瞬脚ブリンク


 叩き込んだ回し蹴りの衝撃でひしゃげた扉が向かい側へ飛んでいくと同時に勢いよく部屋の中へと飛び込み、瞬時に部屋の様子を観察する……例に漏れず荒れた部屋だがそんな事には気にも留めずエルマの指示した部屋へと飛び込み、立ち上る煙と化した埃の中に見つけた人影の首を素早く掴み持ち上げる。


「武器を捨てて大人しくして! 殺す気は無い……わ」


 持ち上げた拍子に人影の手元から何かが落ちた、武器か? 反射的に視線でそれを追うと視界に映ったのは……入口にかけてあったのと同じ動物を模したふわふわとした玩具だった。

 ただ玩具とはいえ非常に精巧な作りだ……壊れているようだが、もしかしたら以前は言語機能や稼働機能をもった愛玩用のドールだったのかもしれない。


「これは……それに貴方どうして……っ!」


 どうやら武器だと思い込んでいたのは私達の勘違いだったようだ、それに加えて抵抗はおろか悲鳴すらあげない人影に困惑しながら視線を向けるとその正体に大きく目を見開く事となった。

 四肢はだらりと力無く垂れ下がり……その濁り一つ無い綺麗な瞳はもはや何の姿も映してはいなかった、今もなお生きていると言われても疑問すら持てないぐらいに綺麗なその少女の死体は僅かに開いた口の端から、一滴の涎を私の腕に垂らした。

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