第三十三話 いつかそこに帰る理由

「……ああもう、そんな顔しないの」


 ヘイズに跨り、見送りに来たナターシャの方へと目を向けるとその表情には隠し切れない不安の色が浮かんでいた。

 律儀に約束を守りその胸を満たす気持ちを音に乗せる事はしないが今もなお当てもなく宙を彷徨うその指は今すぐにでも私の服の裾を掴みたいのだろう、その手を握ってまっすぐにナターシャを見つめると彼女の口が更に固く結ばれた。


「少し上を見て来て、何かを見つけても何も無くてもここに戻って来るから……ね?」


「……はい」


 必ず戻って来ると何度も約束をしたが……彼女の中に浮かぶ不安はもはや理屈ではないのだろう、せめてもっと確実な理由付けでもあれば……そう考えた私の脳裏にある物の存在が浮かび、腰のベルトに装着した小型収納箱へと手を伸ばす。

 ゴソゴソと乱雑にまさぐる私の指先に何かが当たった、色々な事があったせいで今の今まで抜け落ちていたがちゃんと居てくれたようだ。


「ナターシャ」


 顔を上げた彼女の手を掴むと無理やり開かせ、そこに箱から取り出したある物を握らせる。


「これは……まさか、ヴィオレッタ様の……?」


「そ、一時的に預かってたんだけど……結局返せなくてね」


 それは時計屋クロッカーから渡された真鍮で出来た懐中時計だった、ナターシャの手の中で今もなお時を刻むそれは結局、時計屋を悼む事の出来る唯一の物となってしまった。


「価値なんて無いでしょうけど、それは私にとってとても大切な物なの……だからそれを取りに絶対ここに帰ってくるから、それまで貴方にそれを預かっていて欲しいの……いい?」


 懐かしむようにしばらく手元を見つめていたナターシャはその両手でぐっと時計を包み込み……再び顔を上げた時、その表情に浮かんでいたのはハッキリとした決意の色だった。


「かしこまりました……ティス様がお戻りになられるその時まで、必ずこの時計は守り切ってみせます」


「ん……頼んだわよ」


 一つ頷き、入口の横にある金属製の看板の文字列を軽く指でなぞる……その中にある『開錠』の文字を軽く押すと一番近い壁が更にせり上がり、外へと道が繋がった。

 相変わらず分かりにくい……ナターシャが言うには外にも同じ看板があるらしいのだが、どうやら見逃したようだ。


「全く……文字が分からないと開けようが無いなんて、不親切よね」


「ふふ、でも良かった……お姉ちゃんの事だから、また飛ぶのかと思った」


「なーに? 飛んで欲しいならまた飛んであげようかしらー?」


 苦笑しながらヘイズから伸びるアームに固定されたリリアを軽く指でなぞる、この子の中で私はすっかり無茶をする存在として固定されているようだ……とはいえこれまでの経緯を考えるとあながち否定も出来ず、反論の言葉は吐息となって口から漏れる。


「ところでティス様……ヴィオレッタ様はこれを渡す際に何か仰られてましたか?」


 再びヘイズに跨った私に見えるように懐中時計を差し出しながらナターシャが問い掛けた、これを渡された時は確か……。


「ええと、確かお守りだとか言っていたような……? それがどうかしたの?」


「お守り……ですか、ええ……ええ、そうでしょうとも」


 ナターシャが口元にほんのりと笑みを浮かべながら懐中時計の上部の突起を指で押し込むと前面の蓋が開き、細かな装飾の刻まれた文字盤が姿を現した。

 大小様々な歯車が噛み合い、細かな金具の一つ一つの全てが意味のある動きを繰り返し三本の針が正確に時を刻む……専門の知識が無くとも見れば見る程に精巧に作られている事がよく分かる、これで魔導石を使用していないというのだから驚きだ……色々と習ってはきたが、私にはまだここまでのものは作れないだろう。


「地上で活躍なされていた時もヴィオレッタ様はこの時計はお守りなのだと……自分という存在が折れない為に常に持っているのだと仰られておりました」


「常に……って、そんなに昔から持っていた物なの?」


 私が地下で気が付いた時からこの懐中時計はずっと時計屋の服から垂れていたが……まさかそんな年代物だったとは。


「はい、ヴィオレッタ様が初めてお作りになられた時計なのだとか……暇を見つけては改造を施し続け、ある出来事をきっかけに大きな仕掛けをこの懐中時計に施されました」


「……ある出来事って?」


 首を傾げた私にニッコリと笑いかけると懐中時計のチェーンが結ばれた部分を右に三回左に二回、そして再び右に三回ねじると文字盤がゆっくりと開かれた……どうやら見えていた部分はほんの表面だったようだ。


「それは勿論……ティス様とリリア様がお生まれになった事です」


 開かれた文字盤の蓋の裏と底面には小さな二枚の写真が貼り付けられていた……一枚には私の前に現れた小さな少女が、そしてもう一枚には液体の中で髪をなびかせる一人の少女が映っていた。


「それって……もしかして、私……?」


 驚きの声を上げるリリアにナターシャがゆっくりと頷いてみせる、体中に何かの器具が取り付けられ口元もマスクのような物で覆われている為顔などはよく分からないが、全身から無数に伸びた魔導チューブが何とも痛々しい……これがリリアなのだろうか?……私も見るのは初めてだ。


「はい、この写真が撮られた時には既に投薬と魔導液の影響で髪の色が抜けてしまいましたが……リリア様もティス様と同じ鮮やかな赤紫色の髪をしておられたのですよ?」


 それ以降誰も言葉を発さなかった……いや、発せなかった。

 差し出された写真の縁を僅かになぞり、気持ちが声になって溢れ出す前にヘイズを起動させた。


「……どうか無事の帰還を、心より祈っております」


 懐中時計を胸に抱え深く頭を下げるナターシャに頷くとそのまま施設に背を向けてヘイズを走らせた、何も言わないが心配そうにこちらを見るエルマを片手で優しく撫で……更に速度を上げた。

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