第5章第5節「神に見棄てられた土地」

「ご無事で戻られて何よりです、エージェント桜井」

 フォルテシモ宮殿・女王の間へ招き入れられた桜井は、再びレイヴェスナと対面していた。最初に依頼された魔法生命体レリーフの撃退を果たし、テラスからは平和な街並みを眺めることができる。道中では様々なことが起こり、数え切れないトラブルにも見舞われた。こうして無事にレイヴェスナの元へ戻ってこられたのは喜ぶべきことだろう。

「貴方なら、アルカディアからレリーフを撃退してくださると信じていましたわ」

 優雅で丁寧な言葉遣いでスラスラと言葉を紡ぐが、桜井は女王の言葉を素直に受け取るべきか悩んでいた。

 もし桜井がしくじっていたら、女王自身の力でどうにかしたのだろうか。女王は超能力者であり、先刻見た通り神の如き力でアルカディアを蘇らせた。そう思うと、桜井がやってきたことはちっぽけで盤上の駒に過ぎないのではないかと思えてならなかった。

「そう固くならないでくださいな。結末がどうであれ、貴方は使命を全うしたのです。アルカディアの民に代わって、お礼を言わせてください」

 すっかり萎縮していたことを見破られ、彼は観念して頭を下げた。

「身に余る光栄です、レイヴェスナ卿」

 とはいえ、桜井はレリーフ・バンビと戦っただけであり、獄楽都市クレイドルの侵攻を食い止めたわけではない。むしろ成す術もなかったと言っても過言ではない。彼がレイヴェスナの言葉を素直に捉えなかった一因として、それは大きく影を落としている。

「ただ、クレイドルを止めることはできませんでした。奴らは世界中の魔を征服しようとしてる。時計台を攻撃したのも、レリーフを粛清するため」

 しかしながら、桜井の訴えに反して現在のアルカディアは平和そのもの。テラスからは白い小鳥が何匹か飛んで入り、壁の植物に実った木の実を咥えて飛び去った。

 先ほどまで侵略を受けていたとは思えないこの光景は、目の前にいる女王の力の賜物。それを改めて思い知った桜井は申し訳なさそうに肩を竦める。

「……不謹慎を承知で言いますけど、あの惨状がもしラストリゾートだったらと思うと」

 シグナスが説明してくれたように、仮にラストリゾートが同じ状況に陥った時にレイヴェスナが力を使ってくれるとは限らない。アルカディアが蘇ったのは、そこがアルカディアだからでありレイヴェスナがその女王だからである。

 平和な空気には似つかわしくない桜井の言葉に、レイヴェスナは咎めることはせずに目を伏せた。その瞳に焼きついたあの災厄を思い起こすかのように。

「クレイドルもまた、魔法生命体レリーフと同じく私たちが直面すべきこと。いずれは三度、戦わねばならない時が来るでしょう」

 幸いにもクレイドルは撤退した。だがアルカディアの歴史を振り返れば二度目の侵攻であり、このままでは三度目も避けられない。

「船にはデュナミスがいました。彼女のおかげで、俺は船から出られたんです」

 桜井は彼女を助けるべきだったのか。彼にはそんな余裕はなかったのか。言い訳ならいくらでも考えられる一方で、彼は彼女を信じ切れていなかった。なぜなら、それは彼女が不可能性というこれまでのレリーフとは異なる思念を持っていたからだ。

 そして、

「であればミス・デュナミスにとって、貴方は淘汰されるべき存在ではなかったということでしょう」

 奇しくもレイヴェスナはデュナミスの言葉をそっくり紡ぎ出した。どうして女王がそれを知っているのか。疑問が浮かび上がった次の瞬間には、自分でも理解できないにも関わらず腑に落ちた。

「彼女が貴方の分身ならば、きっとその意志は伝わるはず。いつか、一矢を報いる時が来きますわ」

「……」

 魔導図書館でユレーラとして目覚めた後、彼はレイヴェスナと出会った。女王は桜井とユレーラを当然のように区別して捉え、彼らが分身であることを当然のように知っている。

「ですが、今はその時ではありません。英雄にも休息は必要です。他に何かお困りなら、なんでも私にお話しください。今回のご恩には及びませんが、できる範囲でお力添えいたしますわ」

 破滅を迎えたアルカディアを蘇らせた超能力者レイヴェスナ・クレッシェンド。その高貴で上品な風貌に慈しみ深い笑みを浮かべ、桜井を虹色の瞳へと閉じ込めている。

「なんというか、不思議な感覚です。あなたには二人の俺として会ってる……それどころか、もっと多いかも」

 実は桜井がこうした感覚に陥るのは初めてではなかった。偶然にも、その相手もまた超能力者だ。いや、必然というべきなのだろうか。

「ふふっ、そう恥じないでください。人の本音は容易くは聞けないもの。だからこそ、貴方を知ることができて嬉しく思います。私に遠慮する必要はありませんわ」

 ともあれ、レイヴェスナには桜井が抱えている秘密を知られている。ならば、下手に隠す必要もないだろう。

 桜井は腹を括ってアルカディアへ訪れた本当の目的を告げた。

「俺がアルカディアに来た理由は、レリーフを倒すためだけじゃないんです。俺の手元にあった二振りの魔剣。俺の分身だった魔法生命体レリーフ。アルカディアならそれが分かるかもしれない。そのためにここへ来たんです」

 もちろん、自発的に訪れたわけではない。レイヴェスナからの招聘がなければ、考えつきもしなかっただろう。結果として見れば、アルカディアへの招聘は完璧なタイミングであったし、今となってはそれすらも仕組まれていたかとも思う。無論、考えすぎだろうが。

「如何でしたか?」

 桜井の本当の目的を聞いたレイヴェスナは、多くを語らない。ただその結果を聞いた。お互いにとって、もはやそれだけで十分だったのだ。

「魔剣はレミューリア神話に登場するものだった。これだけでも大きな収穫です。それから、三人のレリーフと出会って分かったこともある。今からそれを確かめに行かなきゃいけません」

 知りたいことはまだまだある。だがそれはレイヴェスナに聞くべきことではない。

 もっと、直接聞くべき人物がいるのだ。

「では、ラストリゾートへ帰られますか?」

 それ以上、女王は話を長引かせたり呼び止めるようなことはしなかった。彼が答えを求めているのなら、答えがある土地へと返すべき。それが女王が成すべきただ一つのこと。

 ラストリゾート大使館。桜の木が立派に咲き誇るそこには、多くの市民たちが詰めかけていた。彼らは桜井の見送りに来たというわけではなく、レイヴェスナを一目拝もうとやってきたのだ。女王を女神と呼び、皆が救われたことに対して頭を垂れ手を合わせて崇めている。それほどのことを成し遂げたのだから、桜井も彼らを不思議には思わなかった。

 大使館には多くの人々が集まっているものの、評議会評議員はラザリアス公爵とド・ウォルザーク辺境伯夫人、辻褄戦つじつまそよぎの三人だけが集まっている。そもそも見送りの件は公にされておらず、本来は女王と公爵だけが来る手筈だった。が、お節介な公爵はたまたま見つけた二人を連れてきたのだ。

「礼を言うぞ、エージェント桜井。また何かあれば召集をかけてもいいかの?」

 公爵はシワだらけの手で握手を求め、桜井もそれに応える。

「喜んで」

「うむ、お前さんならそう言うてくれると思っておったわい。達者でな」

 公爵と短い別れの挨拶を済ませ、桜井は今一度レイヴェスナを見た。彼女はゆっくりと頷き、言葉の代わりに笑みを返す。

 魔法郷アルカディア。

 ラストリゾートから遠く離れた土地で、桜井結都は自らの張り巡らされた運命の弦のいくつかを爪弾いた。それが奏でるは奇跡か、はたまた不条理か。可能性は無限にあるだろう。しかし、現実から一歩外れたところにあるのは、無数の不可能性。それは現実になることのなかった可能性の亡骸たち。

 しかし、桜井結都は知っている。

 可能性の亡骸────不可能性────が、現実となってしまうことを。

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