第4章第5節「夢から揺すり起こされて」

 魔法郷アルカディア・フォルテシモ宮殿。隣接する大聖堂を含めてソプラノ地区の中枢であり、女王が座するアルカディアの要。洗練された石造りの建築様式と調和の取れた自然の彩色により、その景観は神話に登場したとして不思議ではない。

 そんな神聖な建物でさえ、獄楽都市クレイドルによる戦禍が包み込もうとしている。

 大聖堂上部、有事に備えて設置された大型の魔法バリスタはスキャフォールドを撃墜していたが、今では多くが破壊されてしまった。

 アルカディア楽団のニッキーや騎士であるルキナ、DSRエージェント鶯姫星蘭うぐいすひめせいらんたちの活躍で防衛戦は保たれてこそいるが、敵の進軍はついに大聖堂へと及ぶ。

 ニッキーたちに街の防衛を任せたルキナもまた大聖堂へ駆けつけると、すぐさま異変を感じ取った。

 大聖堂の中だけが異常に温度が低く、次第に凍えるような寒風が吹き込んできているのだ。嵐から降り続くパラパラとした雨も大聖堂では粉雪に変わり、その異変を際立たせる。

 足元の水たまりもいつしか凍りつき、ルキナは冷気の源を探そうと辺りを見回す。魔法攻撃であることは明らかだったが、仕掛けたのが誰かを突き止める前に事態は動き出す。

「……!」

 大聖堂の凍った地面を滑って現れた複数の影。スケートブーツの足を持つ機械兵士は奇襲によってルキナの首を刎ねようとするも、彼は迅速に腰に提げた守護聖剣を引き抜く。

 聖剣は兵士の機械の腕を斬り落とし、続けて斬りかかる機械兵士の胴を両断する。ルキナは凍った地面に足を滑らさないように踏ん張ったが、残った兵士──スケーターたちは逆に利用して周囲を絶えず滑って移動した。

 その姿はまさしく氷上のスケーターであり、凍りついた環境での運用を予め想定されているようだ。

「やはりか」

 彼らスケーターの襲来が何を意味するのか。しかも悪いことであることを知っていたルキナは、聖剣を改めて構える。

 複数の個体からなる群れで活動するという点は、先鋒のプレデターとよく似ている。大きく異なるのは、スケーターは凍りついた環境での戦闘を強要してくるということ。プレデターの群れであれば対処できるルキナでも、スケーターにはより注意深くならなければならない。

 スケーターの内の一体が大きく弧を描き、両腕と両脚に装備された刃を振るう。

 機械とは思えないしなやかな動きは機械だからこそであり、人間なら曲がらない方向へも容易く動かし刃を滑らせる。

 ルキナはスケーターの刃を聖剣で防ぎつつ、あえて足を滑らせて機敏に動く。続く別のスケーターの攻撃を避け、三体目のスケーターと斬り結びその首を落とした。

「……っ」

 彼が息をついた一瞬の隙を見逃さなかったスケーターは方向転換。再び急接近しつつ刃の剥き出しになった足を振りあげる。敵の軸足が氷を削る音で気づいていたルキナは、上半身を後ろに倒して回避。足を滑らせながらもなんとか立て直した。

 凍りついた環境──氷獄における機動力では、スケーターがルキナを上回る。どれだけ手練れた者でも強制的に劣悪な環境に立たされれば、不利な戦いになってしまう。

 そして、ルキナがさらなる追撃に身構えようとした時。滑っていたスケーターをしなる鞭が捕らえ転倒させた。鞭はそのまま横薙ぎに払われ、最後のスケーターを切り裂く。

 二体のスケーターを倒した鞭はなめらかに動き、伸びる根本へと引き寄せられる。鞭は剣の形へと収まり、それを持っていたのはルキナにとっては友人でもある男だった。

「カイル!」

 カイル・レアンコルチェスは騎士ではないが、ニッキーと同じアルカディア楽団のマエストロである。ニッキーは治安維持の役割を持つ『リリック』という部署を統括するのに対し、カイルは女王直属の『ボーカル』という部隊を率いていた。そう、彼は女王の懐刀なのだ。

「レイヴェスナ卿は無事なのかい?」

 カイルがこの場にいるということは、女王の指示で動いている可能性が高い。とはいえ、カイルとルキナが女王のそばにいない現状は、あまり好ましくはない。ましてクレイドルは既に大聖堂へ足を踏み入れている以上、女王も安全とは言い切れないのだ。

 そんな心配からカイルに訊ねたルキナだったが、彼は一先ず肯定した。

「無事だ」

 思わず胸を撫で下ろしたくなるが、安堵するには早い。

「今のところはな」

 そこでようやくルキナは気づいた。カイルがルキナには目もくれず、大聖堂の入り口に立つ人物を睨んでいたことに。

 傷だらけの顔に傷んだ長いブロンドの髪。獄楽都市クレイドルの将軍、クリストフ・ラベルツキン。彼はスケーターが撃破されたことに何の反応も示さず、鼻を啜るような素振りを見せる。自らがもたらした冷気に何を感じるというのだろうか。

 彼は一度目を伏せてからルキナとカイルの二人を視界に収め、眉間に皺を寄せたまま口を開いた。

「差し支えなければ、諸君らが仕える女王レイヴェスナ・クレッシェンドに謁見を願いたい」

 言葉こそ下手に出ているものの、彼らはアルカディアを侵略している。先に武力を振り翳したのは紛れもなく彼らであり、ルキナたちが要求に応じる道理もなかった。

「この土地が何処か分かっているだろう。それを知りながら、聖域を侵す無礼者を通すわけにはいかないな」

 カイルもまたクリストフに応じるつもりは微塵もなく、刺々しく牽制する。それを受けた将軍は静かに頷いた。もはや、最初からそうするつもりだったのだろう。

「ならば致し方あるまい」

 腰から長剣を引き抜く。冷気を含んだ空気に触れた刃は瞬く間に氷を纏い、より大きくより鋭い氷の刃を被せた。

「聡明なるレイヴェスナ・クレッシェンドならば、示談の余地があると期待していたんだがな」

 結局、クリストフは武力で以てして大聖堂の制圧を試みる。最初からそうするつもりだったかはともかく、ルキナとカイルの覚悟は決まっていた。

「この守護聖剣エヴァフレイに誓って、陛下には一歩も近づけさせない!」

 ルキナが構える橙色の剣はアルカディアの守護聖剣。女王の加護によりアルカディアの土地においては決して折れることのない、最強の剣。

 相対するクリストフからは、身も凍るような冷気が放たれた。大聖堂を浸した冷気は中庭にあった噴水を凍らせ、雪へ変わっていた雨は鋭い氷柱と化す。

 氷柱はカイルとルキナを容赦なく襲うが、カイルが自身の剣を振るう。彼の剣の刃は蛇腹になっていて、多数の関節に分かれて鞭の如くしなった。

 襲いくる氷柱は全て鞭が撃ち落とし、間隙を突いたルキナが飛び出す。

 彼を迎え撃つクリストフは、氷を纏った剣を振り上げる。氷剣は見かけ以上に重い衝撃を与え、聖剣と打ち合う度にルキナへ振動と冷気を伝えた。

 さらに、氷剣を覆う氷が流動的に変化し斧に似た刃を生む。

「緩い」

 氷の斧はルキナを聖剣ごと弾き飛ばし、続くカイルへ狙いを定める。斧だった氷剣は鎌の形へと変化し、そのリーチを活かして周囲を絶え間なく斬り払う。威嚇するような動きは同時に冷気を吹かせ、カイルは正面からの突撃を余儀なくされる。このままでは氷漬けにされてしまう。

 正面に構えるクリストフは鎌を振り、カイルは鎌の動きを止めようと何度か剣を差し込む。将軍が怯むことこそなかったが、鎌による乱舞が緩慢になったところを見計らう。

 剣の柄についたレバーを引くと刀身に魔法陣が浮かび上がり、刃を関節ごとに分割。鞭となってしなり、ついに氷でできた鎌を捉えた。

「────ふん」

 しかし次の瞬間、鞭が絡みついた氷の刃の部分がポロッと脱落。加えて鞭となった刃はわずかに凍りつき、脱落した氷に縫い止められた。将軍の機転により、カイルは剣を自由に動かせず無防備な状態。

 その隙を突くべく将軍は、氷剣に改めて生成された氷の刃で斬りかかる。カイルを庇ったのはルキナだったが、クリストフは勢いを止めない。

 彼が氷剣を振るう度に火花の代わりに氷の結晶が舞い散り、大聖堂の床に氷でできた美しいクリスタルを生み出していく。それは戦場を徐々に狭め、ルキナたちを着実に追い詰めていた。それだけでなく、強まる冷気は二人の肉体を凍えさえ動きを鈍らせてもいた。

 ルキナとクリストフが戦う中、カイルは鞭が絡んで脱落した氷を利用して飛び上がる。遠心力を利用して氷から鞭を引き抜きつつ、ルキナとはさみ撃ちにするべく将軍の背後へ回る。こうした彼の大立ち回りに将軍は次の手を打つ。

 ルキナの聖剣に噛ませていた氷剣を上へ振り抜くと、床からは勢いよく氷柱が突き出た。それはルキナを貫かんとザッザッザッ! と氷山となって続く。

 ルキナが距離を置くために退く間にも、クリストフは飛びかかるカイルを見るまでもなく拳を握り込む。

「砕け散るがいい」

 呟き、凍りついた床に拳を叩きつける。直後、周囲一帯に銀世界を作り出していた氷塊の全てが爆発。急襲するカイルを弾き飛ばし、回避に専念していたルキナでさえ氷の爆風に晒されていた。

 凍てつく戦場の主人はクリストフただ一人。それでもカイルとルキナは受け身を取り、すぐさま体勢を整えている。氷獄の中にいて善戦するどころか生きていられる者はいないと云われるが、二人は凍てつく冷気と将軍の猛攻を凌いでみせた。

「ここまで耐え忍ぶとは、見上げた忠誠心だ」

 将軍として、クリストフは素直に二人を讃える言葉を口にした。そもそも、アルカディアという土地にある限り、二人は女王の加護を授かることができる。二人が氷獄に屈することなく戦い続けられるのは、女王のおかげ。それを知っていながら、クリストフは二人の実力を認めた。

 逆に言えば、女王の加護を受けたカイルとルキナでさえ、クリストフは互角以上に渡り合う。だが戦いが続いた末にどちらが勝つか問われれば、女王の加護がある二人に軍配が上がるだろう。とはいえ、氷獄は加護が軽減し猛攻を実力で凌ぐことができたとしても、油断することは許されない。

 実際に、将軍は余裕の振る舞いを崩すことなくルキナを見やって苦言を呈す。

「しかしどうだね、ラナンキュラス。魔界で剣を交えた時よりも腕が鈍ったのではないか。あるいは女王の加護に甘えているのか」

「くっ……」

 挑発に気を引き締めて剣を構え直すと、三人は反響する足音を聞いた。コツ、コツ、という淑やかで芯の強い足音。それが彼女のものであることは、ルキナだけでなくカイルにもすぐに分かった。

「これはこれは女王陛下。戦火に照らされるといつにも増して見目麗しい」

 氷剣を鞘に納めクリストフが歓迎したのは、アルカディアの女王であるレイヴェスナ・クレッシェンド。カイルとルキナに加護を与え、二人が守るべき存在。

 二人は女王が降りてくることを予想していない様子だったが、待ち侘びた様子の将軍。こうした状況が敵の思う壺であることを瞬時に察知し、ルキナは歩み寄ってくる女王を止めようとした。

「お下がりください、レイヴェスナ卿。ここは僕たちにお任せを」

 しかし、

「将軍にお話があって来たのです。ルキナ、カイル。弁えなさい」

 強く諌められてしまい、口を噤む。女王の意思が固いことを知り、ルキナが頭を下げて後ろに控えるとカイルも倣う。

 既に将軍は武器を納めているし、今は両者の交渉を見守り、いざという時には剣を抜く準備をすべきだろう。

 レイヴェスナは場を支配する冷気など意にも介さず、普段の優雅さを保ったまま。それでいて、彼女は女王としての尊厳を誇示する眼差しで敵の将軍を見やった。

「ラベルツキン将軍、無益な戦争行為は直ちにおやめください。貴方ほどの者が罪なき人を手にかけるなど、ついに血迷ってしまわれたのですか?」

「血迷っているのはどちらか。貴殿は堕天使や超能力者、忌まわしき魔法生命体をこの地に庇護している。世界がアレらに蝕まれていることを知りながら……何故だ?」

 彼の声に挑発や欺瞞の色はない。本当に疑念を覚え、理解に苦しむように将軍は女王へ問いかけているのだ。

「アルカディアは魔法との調和の道を選んだのです。これは私の決定ではなく、民が選んだことなのです」

「由々しき事態だ」

 レイヴェスナの答えを、クリストフは一言で切り捨てた。

「忌まわしき魔法生命体を粛清せねば、世界が滅ぶのも時間の問題。貴殿もさぞ苦しかろう。尊ぶべき国土は自然へと還され、愛すべき国民は魔に冒されていく。我輩はその苦しみから諸君らを解き放ってやりたいのだ」

 世界征服を目論むことで恐れられる獄楽都市クレイドル。その真の目的は、世界から魔の存在を粛清することだという。つまりクレイドルにとってレリーフは倒すべき存在であり、魔胞侵食まほうしんしょくによって自然が溢れるアルカディアは救うべき相手。

 世界を脅かす魔法に取り込まれた文明を憐む。尤も、クレイドルのやり方は知られている通り侵略や戦争行為に他ならない。

「お言葉ですが将軍、私の民は解放を望んでなどいませんわ。皆が理想を心より望み、このアルカディアができたのです」

 改めてアルカディアの意思を伝えるレイヴェスナに、クリストフは眉間の皺を深めた。

「女王陛下、今一度考え直したまえ。魔は神を殺め、貴殿らが信奉してきた歴史を塵へと還した。そして次なるは、我々の住む大地をも灰へ還そうとしている。斯様かような事態は決して迎合されるべきではない」

 現に、魔法調律連盟は魔法による終末論を唱えた。それはアズエラとバンビによって実現の可能性を示され、事態を危惧したクレイドルが先手を打った。

 レリーフを始めとする魔法が世界を脅かしている事実は、レイヴェスナとて否定することはできない。

「確かに、貴方のおっしゃる通りですわ。アルカディアが掲げる理想は容易く叶えられるものではなく、相応の対価を払わねばなりません。そのためならば、私は己の命も惜しくありませんわ」

 前提として、彼女はアルカディアの女王である。であるからには、彼女は文字通りアルカディアに全てを捧げてきたということ。それはこれまで通りにこれからも変わらない。

「レイヴェスナ卿、いけません……!」

 背後に控えていたルキナが思わず口を挟む。彼はレイヴェスナに忠誠を誓う騎士として、彼女が何を考え何をしようとしているのかある程度察することができた。

 とはいっても、レイヴェスナはルキナの言葉に耳を傾けようとはしなかった。

「貴殿の覚悟はしかと聞き届けた。我輩とて成果もなしでは皇帝陛下へ合わせる顔がないものでね。だが同志となり得た者の首を落とすのは気が進まないな」

 魔法生命体レリーフを敵視するという点に限れば、クレイドルとアルカディアも同じ。それでも両者が敵対するのは、やり方が違うからだ。

「その必要はありませんわ。なぜならこの国には確かに、私たちにとって共通の敵が存在します。それを差し出す代わりに、此処から退いてください」

 そう。レイヴェスナはアルカディアでのやり方で事を収めようとしていた。レイヴェスナとクリストフが立っているのはクレイドルではなく凍てついたアルカディアの土地。彼も重々承知していたのか、首を横に振ることこそなかった。

「犠牲を払うか。しかしあれらが大人しく従うわけもなかろう。まさか貴殿は既に身柄を押さえているのか?」

 両者にとっての共通の敵──魔法生命体レリーフを引き渡す。それがお互いの正義を満たせる唯一の方法。とはいえ口では簡単に掲示できても、彼らが応じるかという問題がある。

「残念ながら」

 案の定と言うべきか、クリストフの懸念は当たっていた。

「とはいえご心配には及びません。貴方が考えていらっしゃるほど、レリーフは愚かではないのです」

せんな。忌まわしき魔法生命体が貴殿の恩寵に報いると?」

 依然として納得できかねる様子のクリストフに対し、レイヴェスナは初めて彼から目を逸らした。何か──あるいは誰かに罪悪感を覚えたように。

「そう、願っていますわ」

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