第3章第9節「淘汰されゆく可能性」
グランドスケール時計台上空に現れた大渦は、アルカディアに激しい嵐を巻き起こした。暴風によって木々が薙ぎ倒され始め、荒れ狂う竜巻を作り出し、走る地割れは建物や車を奈落へと呑み込む。アルト地区のみならず隣接するテノール地区やソプラノ地区にも嵐は及び、甚大な被害をもたらしている。
ソプラノ地区にあるアルカディア裁判所前では、逮捕されたギルザード・バルズウェイの護送が行われていた。車両団は裁判所前に到着したばかりで、まさに彼を裁判所へ連行するところだ。
「ただの嵐じゃないな……何が起きてる?」
魔法の手錠をかけられたギルザードは、嵐に並々ならぬものを感じ不安げに尋ねた。護送に付き添っていたルキナ・A・ラナンキュラスは、首を横に振る。
「……分からない」
彼もギルザードと同じく、この嵐が単なる嵐でないことを勘付いている。根拠があったわけではないが、不幸にも勘は的中していた。
「ミ番街とファ番街、シャープファ番街にレリーフが出現したそうです」
報告したのは、アルカディア楽団に所属するニッキー・ジゼル・ド・ウォルザーク。彼女も護送の付き添いをしていたのだが、魔法通信からアルカディアで天災が起きていることをルキナたちに伝えた。
ルキナは深刻な表情で振り返って街の方を見、ギルザードは手錠に拘束された手を情けなく見下ろす。
「さて、私たちの出番みたいだね。
報告のあったファ番街では、超常現象対策機関DSRのエージェントである
「言われなくたって分かってる」
星蘭は風にジャケットを脱ぎ捨て、背負っていたバックパック型の魔装を起動。ナノテクノロジーによって一挺のスナイパーライフルを形成し、風のレリーフを狙い撃つ。ノラと優杜も負けじと、指輪にペアリングされた魔法銃と魔法剣をそれぞれ召喚して散開。現地の警察にあたる楽団員たちの支援へ回る。
逃げ遅れた人々は巨大な竜巻へと呆気なく吸い込まれていき、逃げ切れた人々を今度はレリーフが襲いかかった。駆けつけた楽団員は剣によってレリーフを斬り市民を助けるも、竜巻に攫われた人まではどうしようもない。
手も足も出せずに見上げていると、光る何かが竜巻へ入っていくところを目撃。そして竜巻の中から出てきたのは、背中のバックパックからブースターを噴射して飛行する星蘭だった。彼女は市民を抱き抱えて安全なところへと運ぶ。
空中で繰り広げられる救出劇に、楽団員たちは思わず天使を見るかのように空を仰ぐ。
そんな彼らの傍らで、雨粒から生まれた水のレリーフ、泥から生まれた土のレリーフたちが生まれ出る。
目の前に現れた有象無象のレリーフに対し楽団員たちが改めて剣を構えると、魔法銃特有の銃声が響く。放たれた一発の魔弾はちょうど群れの中央にいたレリーフへ着弾。だがいまいち効果がなかったのか、軽く怯むだけで魔弾も胸部にめり込むのみ。と、
「よしよし、いい子だからそのまま動かないでね~?」
明るい声と共に後方から狙いをつける二丁の魔法銃。それぞれの銃には引き金が二つ存在し、上段の引き金にかけていた指が下段の引き金へかかる。
そのまま引き金が引かれると、銃口からは青色の光線が発射された。光線は群れの中央にいるレリーフに埋め込まれた魔弾へ直撃すると爆発を引き起こす。
さらに驚くべきことに、地雷のように埋め込まれた魔弾を起点に光線が複雑に反射。周囲にいたレリーフへと幾度も跳ね返っていき、有象無象のレリーフを一網打尽にしていった。
さながら、ビリヤードのような魔法が目の前で披露され、楽団員たちが呆気に取られていると、「ナイスショット……! 我ながら完璧っ」と上機嫌な声が聞こえてきた。
「DSRの万木ノラ、お助けに参上しました!」
楽団員が振り向くと、そこには二丁の魔法銃を携えた万木ノラが敬礼していた。
「君だったか! DSRのエージェントはいつも武器を持っていないから戦えないものかと思ったよ」
彼の言う通り、DSRエージェントは武器をペアリングして携帯するのに対し、アルカディア楽団や騎士はペアリングせず鞘に納めて持つ。その理由はアルカディア人としての威光を示すためであり、彼らにとっては武器を隠すDSRがおかしく思えるのだろう。
そしてまさか、ノラが愛用するフルカスタムされた二丁の魔法銃が、二つの引き金を持つゲテモノだとは思いもしなかったはずだ。
「私たちは
おしゃべりなノラの口を塞げるものはない──と思われていたが、楽団員とノラの間を手が遮った。文字通り、噴射装置によって推進力を得た手が割り込んできたのである。
ロケットの如く飛んできた手は二人の間を過ぎると、接近してきたレリーフを粉砕。そこから器用に逆進すると、
「無駄口を叩いてないで、早く市民を救出しましょう」
ガシャンッと重々しい音と同時に肩へ手を収めたのは、御殺陣優杜。生真面目そうな彼女もまたDSRの制服を着こなし、楽団員へ状況を共有する。
「竜巻に攫われてしまった人の救出は私の部下にお任せを。地上は私たちが援護します」
彼女が単なるエージェントではなくサイボーグだったと知った楽団員。彼はまたもや呆気に取られていたが、すぐに「あ、あぁ」と頷く。どうやらペアリングする以外にも、DSRは武器を隠す手法に富んでいるらしい。
「それとノラさん、一応はあなたが隊長なんですからしっかりしてください。何の指示も出さないんですから」
「あはは、ごめんごめん。でもうちらの参謀っていえば優杜がぴったりじゃん」
隊長と呼ばれたノラは頭をかきながら笑って誤魔化す。彼女の態度はいつものことなのか、御殺陣は「まったくもう」とため息を吐いている。
「星蘭さんはミ番街に向かうそうなので、ノラさんはシャープファ番街へ向かってください。私はこのままファ番街を援護しますから」
彼女たちDSRの内情について詳しくはない楽団員たちから見ても、やはりノラよりも御殺陣の方が隊長らしく思えた。
「オッケー、私に任せて!」
言って、ノラは魔法銃を構え二つの引き金の内の上段に指をかけた。上下それぞれはオブジェクトバレット、キューバレットという異なる種類の魔法を使い分けることができ、先ほどの芸当もこれを駆使したもの。
ノラは空中にオブジェクトバレットを撃ち出すと、次いでもう一丁の下段の引き金を引いてキューバレットで撃ち抜く。貫かれた魔弾は空中で固定され、光線は銃口までをロープのように繋ぐ。
この魔法はジップラインとして機能し、ノラは光線を伝ってあっという間に街の奥へと消えていった。
ビリヤードやジップラインに似た魔法、空中で繰り広げられる高速機動の救出劇。楽団員たちも負けてはいられない。
ファ番街に残って援護するというエージェント御殺陣──サイボーグであるらしい彼女に、楽団員の一人が頷きかけた。
「協力感謝する」
アルカディア楽団とDSR。アルカディアを見舞う天災へ、両者は手を結んで立ち向かう。
「手遅れになる前に、私たちで食い止めましょう」
結託する彼らの頭上で渦を巻く空、時折引き裂かれる雲間からは太陽の陽射しが注がれる。晴れ間が覗く嵐という異常で神秘的な光景は、伝説に語られる世界の終末を彷彿とさせた。
そんな景色を時計台の頂上から眺めていたのはレリーフ・バンビ。コーダ火山は噴煙を上げているが、胞子の雲は光に包まれて徐々に消えつつある。天災を司る力を発揮してなお、アルカディアを混沌に突き落とすにはやや決め手に欠けた。既に憔悴しきっているバンビの力が尽きるのも時間の問題だろう。
地上に出没し始めた有象無象のレリーフたちも、DSRエージェントやアルカディア楽団によって迅速に対処されている。
バンビは自らを証明すべく、アルカディアの終末論を実現させようとした。だがその実現が遠のくように感じ、彼はやり場のない怒りに体を震わせる。その激昂に呼応してか、大気は一層不安定になり空の大渦も巨大化し鈍い光を放つ。
「このまま淘汰されてたまるか。もう支配されるのは御免なんだよ……!」
アズエラがしくじったのなら、自らの手で勝ち取らねばならない。バンビの中で沸き立つ怒りは、彼の本心を燻らせる。アルカディアに支配されることを恐れる心。アルカディアを滅ぼし自由を求める希望を。
その時、彼の本心を逆撫でする声が聞こえた。
「かわいそうに。私たちはいずれ淘汰されるべき存在。それに抗ったところで、現実は変わらないというのに」
バンビの足元にできた大きな水たまり。逆さに反射するそこにはデュナミスが柱に背中を預けていた。彼女の髪は風で乱れ、どんな表情をしているのか分からない。
デュナミスはバンビのことを視界に入れてすらいないが、彼は自分が嘲笑されていることに気づいていた。バンビの意志は風前の灯で、アズエラとの計画も狂ってしまった。もう彼は否定されるしかないのだ、暗に彼女はそう揶揄っていた。
「黙れデュナミス。お前なんか現実になれなかった亡骸に過ぎない。僕が真実になりさえすれば、お前は僕という真実の礎となる運命なんだよ」
二人は明確に対立している。手を組んで何かを成し遂げることはない。バンビはデュナミスと同じになりたいと思っていないからだ。
拒絶されるデュナミスだったが、バンビを愛おしく思うような態度は崩さない。それが分かるのは声色のみで、濡れた風は彼女の横顔を隠してしまっている。
「ふふっ。君なら私とは違って、真実になれるのかしら?」
可能性を実現させる──終末論を実現させる。魔法生命体である以上、バンビはアルカディアに支配されてしまう存在。だからこそ、バンビは可能性のままでいることを恐れた。自らの存在を脅かすアルカディア、それを率いるレイヴェスナを排除しようと企んだ。
しかし、バンビが失敗したのは決して準備が疎かだったからでも、詰めが甘かったからでもない。
「真実はもう此処に来ているようだけれど」
そう、デュナミスが言った通りに真実が邪魔してきたからだった。
「…………桜井結都」
バンビはデュナミスが映った水たまりを踏みつけ、忌々しげに呟く。
望遠鏡越しに目が合った桜井が望遠鏡をおろすと、そこは時計台の頂上。フォルテシモ宮殿のレイヴェスナの私室から瞬間移動をしてきたのだ。だが無事に時計台に飛び移れたことに喜ぶ時間はない。彼はこちらを睨んでくるバンビへ声を返した。
「ここまでだバンビ。お前じゃアルカディアを落とすことはできない。いい加減諦めたらどうだ?」
「断る」
即答するバンビ。彼は敵意を隠そうともせず睨みを利かせる。
「魔法を支配しようとするアルカディアが滅べば、僕は淘汰されることなく生きることができる。魔法生命体なんていう可能性のまま終わらなくて済む……」
言葉の節々には怒りとは異なる感情が滲んでいた。それは世界に対する悲哀であり、命に対する怯えだった。魔法生命体という危険な存在を、世界は取り除こうとする。現に桜井はそのためにアルカディアへ招聘された。つまり、バンビは魔法という無限の可能性からこぼれ芽生えた意思を失ってしまうことを恐れていた。
そんな不安は、魔法を支配するアルカディアさえ陥落させればなくなる。女王による支配を覆し、淘汰に怯えずに済む理想の為に戦ってきたのだと。
「レイヴェスナ・クレッシェンド、あの女さえ殺せばアルカディアは瓦解する。お前が邪魔をしなければ!」
バンビの言葉を聞くに連れ、桜井は確信を得ていた。レリーフが桜井の分身ならば、ユレーラのように一つになることが最適解になり得る──とは限らないことを。
「バンビ……それがお前の望みなら、俺たちには受け入れられないかもしれない。お前は俺の分身だってのにな」
彼は自己の喪失を恐れている。ユレーラのように一つになるなど、もってのほかだ。だからこそ、バンビはバンビのまま終末論を実現させ、真実という名の自由を得ようとした。桜井結都のドッペルゲンガーではなく、バンビとして。
であれば、彼らの間にある選択肢は一つ。
「たとえ僕がお前の分身であったとしても僕を止められはしない! 邪魔立てするのなら、お前も殺す。そして真実を勝ち取ってやる!」
桜井結都を排除するか、レリーフ・バンビを排除する。
風がより一層吹き荒び、渦を巻く白い空に雷鳴が響く。衝突は避けられないだろう。
「さっきも言っただろ。真実を奪わせたりしない」
既に桜井はユレーラとしてバンビと対峙した。ユレーラと意識を共有している桜井の言葉は、宮殿内でのやり取りを彷彿とさせる。むしろ、桜井というよりユレーラの言葉そのものだ。
「ヤツの戯言だろう。お前の意思じゃない」
今、桜井はユレーラではなく桜井結都自身として対峙している。だが、彼らは単に意識を共有しているだけではない。
「いいや……俺たちの意思だ」
そう。ユレーラは桜井結都であり、桜井結都はユレーラである。分身として独立していたとはいっても、それぞれは『桜井結都』の一面に過ぎない。人間が多様な側面を持つことと同じように、たとえ相反する意識だったとしても同じ心から生まれるのだ。
彼は両手を交差させると魔力の静電気が引き起こされる。雨の中で閃く光は瞬く間に一対の剣を形作った。右手には魔剣ライフダストを。左手には魔剣デスペナルティを。
これまで魔剣デスペナルティを扱い切れたことはない。しかしだからといって、使うことを恐れていては誰かに悪用されかねない。そのことを身をもって理解した桜井は、レイヴェスナの言う通りにそれを使うことにしたのだ。アルカディアに来てから多くのレリーフと出会った。今こそレリーフという宿命と向き合う時なのだ。
逆さに持った左手の魔剣デスペナルティを背後へ控え、右手の魔剣ライフダストをバンビへと向けた。
「代償は払うって決めたんだ。従ってもらうぞ」
桜井の言葉は内に秘めたユレーラに対してとも、対峙するバンビに向けて放ったとも取れる。その実、彼はその両者に対して言っていた。バンビもまたユレーラと同じ桜井の分身であるため、言わば自分に言ったようなものだ。
しかし、バンビは『自己』を委ねる気はない。
「嫌だね!」
拒絶の意思を剥き出しにしたバンビは、小さな手を掲げる。周囲に降り注いでいた無数の雨粒が彼を中心に集められていき、水でできた壁が生み出されていく。そのまま手を振りかざすと大質量の津波となって放たれた。正面から受ければ、桜井を時計台の屋上から押し流してしまうだろう。
そうなるのを防ぐべく、桜井は両手の魔剣を後ろに構えて斬り上げる。濡れた地面との間に火花が起こり、X字の斬撃が放たれた。
一対の魔剣による斬撃と、バンビの水による攻撃が衝突し激しい衝撃波を生む。一帯の水は全て霧へと変わり、瞬間的な虹を作り出した。
だが二人は虹には横目もくれず、虹を通してお互いを睨み合っていた。
両者の激突はまだ始まったばかりだ。
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