第3章第10節「淘汰されゆく可能性」

 シグナス・フリゲートによって、コーダ火山の噴火は最小限のものに留められている。ムジカリリスの胞子を含んだ雲も、都市部に及ぶことはないだろう。だが、コーダ火山周辺は被害を免れることができず、アズエラの基地も崩壊を始めていた。

 火山噴火を抑え込むシグナスから逃げていたアズエラは、基地の裏手にある外階段まで来ていた。階段は谷底に繋がっており、予め用意していたシェルターが存在する。そこへ逃げ込めば、ひとまず生き残ることはできる。そう考えていたアズエラだったが、階段は飛来してきた噴石によって壊れてしまっていた。

 階段を降りれず、谷底を見下ろすことしかできないアズエラ。谷の向こう側には砂漠の砂でできた城が聳え立っている。あそこにはアズエラとは同盟関係にある没落貴族たちが潜んでいるのだが、砂の城は目の前で跡形も無く崩れ去ってしまった。おそらく、アズエラの計画が失敗したことを悟りいち早く谷底へと去ったのだろう。

「逃げ足だけは早い無能男爵め」

 没落貴族にすら見捨てられ恨み節を吐く彼の背後から、足音が聞こえてくる。

「じきに噴火は収まるだろう。お前を評議会に突き出してやってもいいが、選ばせてやってもいい。ここで死に、罪を贖うことをな」

 提案を持ちかけたのは慈悲からではない。単に評議会にアズエラを渡したところで、面倒ごとに繋がりかねないと思ったからだ。彼女にとって評議会とはそれほど信用ならないものなのだろう。

 いずれにせよ、アズエラにとってシグナスの姿は死神にしか映っていなかった。

「罪を犯したのはボクじゃない。貴様らだ。魔法が毒林檎だということも知らずに齧り、その汁を啜り続けた結果世界はどうなった!?」

 追い詰められてなお、アズエラは自らの主張を投げかけてくる。アルカディアを滅ぼすことだけに心血を注ぐ。湧き起こる狂気に、シグナスはわずかに共感できる部分もある。それは今の評議会を思えばこそであって、魔法災害によって住処を奪われたことへの怒りではない。

 デュナミスに言わせれば、アズエラは淘汰されるべき人間だろう。だが彼女が率いる魔法調律連盟は彼さえも救い、結果としてこうした対立を生んだ。滅亡を説く終末論に躍起になるほどの憎悪。これがデュナミスの望んだことかどうかはともかく、シグナスはアズエラに哀れんだ視線を向けた。彼がデュナミスの生んだ被害者の一人に過ぎないから、というだけではない。

「それだけ魔法を嫌っているくせにレリーフに頼るとは哀れだな」

 アズエラの終末論はレリーフ・バンビの協力なくして実現できないもの。バンビが胞子の雲を操らなければ、アルカディア全土を浄化することができない。自分たちから住処を奪った者に復讐するためとはいっても、結局は魔法を利用する。元凶としては魔力の影響で住処を奪われたことを踏まえると、皮肉な話だ。

 それをアズエラも理解していたらしく、音もなく笑って見せた。

「毒をもって毒を制す、魔法をもって魔法を制す、だよ」

 噴火の振動から立ちすくみ、アズエラが階段の手すりにもたれかかる。

「……」

 黙ってそれを見ていたシグナスは、手に持ったクロスボウに意識を向けた。だがアズエラは抵抗したりせずに、手すりにもたれたまま呟く。

「デュナミスは腰抜けだった。ボクはヤツに魔法で人々を洗脳するクレッシェンドとフリゲートを殺すべきだと説明したが、聞くだけで実行には移さなかった。不可能だなんだと文句を垂れてね。結局は保身に走ったのさ」

 彼が口にしたのは魔法調律連盟として活動していた時のこと。

「誰よりも魔法に反対していたケルベロス家は追放され、アルカディアの由緒正しい王族だったヴォイスフレーク家も追いやられた。反魔法主義者は誰であろうと生き残れない。だから連盟に入ったのにその実態はどうだ? 魔法による終末論を唱えておきながら、それを傍観しているだけで誰も止めようともしない」

 アルカディアの歴史において、反魔法主義というのはアズエラに限った話ではない。この数年で反魔法主義思想を持った人物は多く現れたが、ほとんどは淘汰されてしまった。そう、デュナミスが現れるまでは。しかしその彼女もまた、アズエラ曰く傍観者であったという。

 そんな彼女に痺れを切らし、彼はこうして終末論の実現に向けて動いていた。

「終末論なんざ絵空事に過ぎない。現実と混同するなど愚の骨頂だ」

 大抵の物事というのは事実に基づく机上の空論であることが多く、実際に正しいかどうかは実行するまで分からない。そしてそのほとんどは実行されることなく終わり、もしもという空想に置き換えられていく。終末論もまたそのうちの一つであり、決して実現するものではない。

「そうさ。ボクの計画も所詮は机上の空論。だけどボクが検証した可能性がこれひとつだと思ったか?」

 果たして、これまで実現してこなかった不可能性──終末論はどれほどあるだろうか。

「ボクはこの数年間をアルカディアを滅ぼすことだけに費やしてきた。そのアルカディアが滅亡する筋書きが、たったひとつだけだと思ったか?」

「何?」

 まるで予備のプランがあるとでも言いたげなアズエラに、シグナスは珍しく眉を動かした。

「ムジカリリスを使い、アルカディアに罰を下すのはあくまで最善の策だ。都を滅ぼした後も、追いやられた没落貴族たちと共に再興できる、未来ある終末論……これさえも実現できないのなら、いっそ未来のない終末論でもいい。むしろそっちの方が、案外容易いのかもしれないな」

 もはや目の焦点をどこにも合わせず、自暴自棄に首を力なくよろめかせる。

「くだらない。言い残すことはそれだけか?」

 そんな状態で吐く言葉に意味などない。シグナスは改めてクロスボウを上げ、彼の頭を射抜くべく引き金に指をかける。

 残された猶予など気にした様子もなく、アズエラは首をもたげる。満足そうとも残念そうとも取れる笑みを浮かべて。

「たとえ貴様がボクを止められたとしても、アルカディアの陥落を狙っているのはボクだけじゃない。ヤツらならアルカディアを確実に葬ってくれるだろう。あの忌々しいレリーフもろともね」

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