第3章第11節「淘汰されゆく可能性」
────『この世界が魔力に舐め尽くされるのは時間の問題だ。淘汰から逃れることなどできない』
ラストリゾートに現れたユレーラは、桜井結都に警告をした。魔法を使った代償を払わねばならないと。既に魔法は目に見える形で世界を侵略し始めていて、彼の言葉に間違いはない。現に、桜井はレリーフ・バンビという新たな魔法生命体と対峙している。この状況もまたユレーラが警告した代償だとするのなら、退くわけにはいかない。
アルト地区・グランドスケール時計台屋上。荒れ狂う嵐の下で対峙する二人には、アルカディアの命運もかかっているのだ。
地面を濡らす大量の水は生きた蛇のように動き、バンビに従って鋭い津波となり桜井へ襲いかかる。それを難なく切り裂き水飛沫へと変えていく桜井の手には、二本の魔剣が握られていた。
生命を司る魔剣ライフダストと、死を司る魔剣デスペナルティ。レミューリア神話の遺物とされるこの魔剣についても、神話が現実と地続きであることを知った今では理解できることも多い。桜井とユレーラを一つにした謎、月城時成の弟を亡者へと変えた謎。
アルカディアへやってきたことで、桜井はようやく魔剣を魔剣として理解した上で振るっている。これまでは得体の知れないものだった魔剣デスペナルティも、彼の手にずっしりとした手応えを与えてくる。かつての制御できない未知への恐怖心からではない。神話を受け入れた覚悟が、魔剣デスペナルティの力を扱えるようにしたのだ。
そして何より、彼には魔剣を握らなければいけない理由がある。
────バンビの終末論を実現させてはならない。
「僕の前から消え失せろ!」
剣の如く鋭い濁流を抜けた桜井へ、吹き荒ぶ風を仕向けるバンビ。降りしきる雨を切り裂く風は、指名手配犯の
彼は濡れた地面を蹴って一撃目を難なく躱し、二撃目には魔剣デスペナルティから斬撃を飛ばす。白黒の火花を伴った斬撃は鎌鼬を打ち払い、続く三撃目には魔剣ライフダストを突き出して掻き乱した。
連なる猛攻をいなされたバンビは焦りに奥歯を噛み、突撃してくる桜井を睨みつける。その強情さを示すように風が唸り、より一層の雨の勢いが強くなった。地上を舐める暴風は植えられた木を薙ぎ倒すほどの威力を持ち、時計台の頂上にいる桜井がバンビへ接近することを阻む。
「くっ!」
立っていることもままならず、桜井は左手に逆手で持っていた魔剣デスペナルティを地面へ突き刺して耐え凌ぐ。大粒の雨は横殴りに叩きつけ、いよいよ激しさを増す嵐に曝された。
「お前さえいなければ、今頃僕は自由を勝ち取れたというのに!」
突き立てられ雨が打ちつける魔剣デスペナルティを睨み、バンビは叫びながら両手を広げる。
すると、アルカディア上空で大渦を巻いていた黒い雲が、徐々に下がり始めた。その大口を窄めて、時計台を丸呑みにするかのように。
大渦の内側では青や赤の稲妻が閃き、地上へはより多くの竜巻が降り立つ。未曾有の暴風雨はさらに勢いを増し、ソプラノ地区の街中で流れ落ちる滝は強風に引っ張られて逆流。フォルテシモ大聖堂の中庭にある噴水もまた、大渦へ向かって引き寄せられ始めた。
時計台の頂上はついに大渦の中に飲み込まれ、運ばれてきた瓦礫が流星となって桜井たちのいる屋上へ降り注ぐ。
「真実は僕のものだ……お前なんかに渡してたまるか!」
バンビが引き起こした超自然的現象の渦中で、桜井は突き立てた魔剣デスペナルティを軸足にして瓦礫の流星を右手の魔剣ライフダストで迎え撃つ。運ばれてくるのは民家の屋根や大木のようだが、大渦に含まれる魔力に爛れ原型を留めないエネルギーの塊となって落ちてくる。桜井はいくつかの流星を魔剣で弾くが、大渦の中から魔法生命体が生まれ落ちるのを見た。
風や雨、果ては瓦礫から生まれ落ちる魔法生命体レリーフ。風や雨そのもので肉体を構築したそれは、ラストリゾートでもよく目撃される有象無象のレリーフだった。
ただでさえ大渦による暴風に煽られる上に、瓦礫の流星が降ってくる。そこに有象無象のレリーフまで現れてしまえば、二本の魔剣を持つ桜井といえどお手上げだ。
「嵐を止めろバンビ! 傘を持ってきてないんだ!」
彼は強がりながらも助けを求める。それで手を緩めてくれるとは、当然思っていない。
「虫酸が走るよ」
桜井らしい冗談を受けたバンビは、憎たらしく声を低くして呟いた。それが合図となったのかどうか、時計台屋上に生まれ落ちた有象無象のレリーフたちが攻勢へ転じる。
囲まれていた桜井は突き立てた魔剣デスペナルティを軸足にしなければ、大渦へと吸い込まれてしまう。移動を制限された中でも、桜井は右手の魔剣ライフダストを用いて風の剣や水の剣を持ったレリーフたちをいなす。数体のレリーフを葬ることに成功するも、複数のレリーフが傾れ込んでくる。魔剣一本では防ぎきれず、桜井は意を決して魔剣デスペナルティを地面から抜く。
途端にふわっとした浮遊感に攫われかけるが、彼は暴風を利用して飛び退く。同時に魔剣ライフダストでレリーフを斬り裂き、少し離れた先の地面に再び魔剣デスペナルティを突き立てる。
なんとか窮地を脱し、先ほどのレリーフたちは瓦礫の流星によって消滅してしまう。どのみち桜井もあの場に残っていれば、同じ末路を辿っていただろう。
未だ収まる気配のない嵐の中で、桜井はバンビにこう問いかけた。
「本当は分かってるんだろ? こんなことをしても無駄だってことくらい」
その意図は単なる挑発ではない。バンビが引き起こしたこの未曾有の大災害が、悪足掻きだと気づいたのだ。
「お前が図書館でスライムに頼ったのだって、自分の力だけじゃ勝てないと踏んだから。森で言ったよな、自分だけじゃシグナスには勝てない」
無遠慮に事実に基づいて指摘する桜井を、バンビは眼中にすら入れていない。ただ時計台を飲み込もうとする大渦を仰ぎ、両手を広げている。ただ、雨風に打たれるその小さな体を小刻みに震わせて。
「だからレイヴェスナのところへ行くにしても、俺の魔剣を持って行った。お前の力だけじゃ成し遂げられないから……違うか?」
桜井に言わせれば、バンビが自暴自棄になっているのは明らかだった。バンビは唱えられた終末論を実現すべく、あの手この手を尽くしてきた。だが少なからず、桜井はバンビの企みを二度阻止している。他に取り得る選択肢が残っているかどうかは、桜井に知る由もない。
しかし往々にして、後戻りできないほど追い詰められた者は進むしかない。たとえ、それが望んだ道でなかったとしても、だ。以前のユレーラがそうであったように、バンビも既に止められないところまで来てしまったように思えてならない。
スライムと魔剣デスペナルティを失い、後がない。遠方に見える火山の噴火や、ムジカリリスの胞子など気がかりなこともある。だが、バンビの行動は明らかにそれら手段とは結びつかない。ただ闇雲に天災を呼び込み、アルカディアを滅ぼそうと暴れ回る。
「今のお前にはスライムも、魔剣デスペナルティもない」
天災を呼び込むバンビ、天災に見舞われる桜井。果たして、追い詰められているのはどちらか。
答えは明らかで、その見かけによらないものだった。
「そんなものもういらない」
ポツリと言葉を漏らしたバンビは、両腕を力なく下ろした。だらりと俯いたかと思えば、その濡れた顔は奇妙な笑みを貼り付けていた。
「お前の言う通りさ。何もかも無駄になるんだよ、桜井友都……!」
先ほどから大地を打ち震わせる轟音は、火山噴火に伴うもの。そこへ、天空を打ち震わせる轟音が加わった。時計台へ伸びる大渦の内側から、稲妻が放たれたのだ。
常人ならば、落雷を避けるなど不可能だ。だが桜井は愚かにも、大渦の光を見て思った。
──避けなければ。
──弾かなければ。
咄嗟のことだった。彼は雷を避けるべく、その場から魔剣デスペナルティを抜いて移動した。
咄嗟のことだった。彼は雷を弾くべく、その場で魔剣ライフダストを掲げた。
結果。彼の体は分身を生み出し、雷を避けると同時に弾いてもいた。二つの相反する行動を同時に行なったのだ。
「……!?」
桜井自身、自分の身に起きたことを理解するのに時間を要した。逆に言えば、時間さえあれば彼は状況を把握できてもいた。
事実として、桜井はユレーラという相反する可能性を同時に有している。そしてアルカディアに来て知ったこととして、ユレーラのような存在はほかに三人も存在していた。即ち、レリーフは遍在するということ。もっと言えば、桜井結都という可能性が遍在し得ることも意味する。現にユレーラやバンビといった可能性に分裂したように。
今起きたことは、雷を避ける──跳ね除けるという相反する行動によって桜井が持つ可能性が分裂した。そういうことになるのだ。
「まぐれだ!」
いち早く事態を把握した桜井に対し、バンビは驚愕を隠せずにいた。自らが引き起こした天災が跳ね除けられることなど、あり得るはずがない。
間を置かず、二度目の落雷が引き起こされる。
しかし、桜井は何の躊躇いもなく魔剣ライフダストを使って弾く。常人では不可能なはずの奇跡を容易く起こした上で、彼は突き立てていた魔剣デスペナルティを抜いた。
言葉もなく、彼は弱まった暴風を真っ向から突き進む。魔剣ライフダストを前へ構え、吹き付ける雨風を切り開いて。
──バンビを止める。
彼の意志は一つに統一されていた。それでも、レリーフが遍在するように可能性は遍在する。それを逆手に取った桜井は、バンビの目の前で二人に分裂。
魔剣ライフダストを構えた分身。
魔剣デスペナルティを構えた分身。
二つの分身は勢いよく突進してバンビを斬りつけ、最後に分身が一つに戻り──二本の魔剣を持った桜井結都が斬り伏せた。
可能性の遍在による量子的な分身攻撃を受けたバンビはよろめき、時計台を咥え込んでいた大渦の勢いが弱まる。
「おのれ! この僕を傷つけるなんて!」
バンビは両肩と胸に受けた傷を庇い、怨嗟の声を紡ぐ。
「お前だけは……お前だけは絶対に許さない!」
彼らが立つ時計台へ伸びていた雲は上空へ収まり、地上を荒らしていた暴風も弱まったおかげで魔剣を支えにしなくとも立っていることができた。しかし、大渦が中心に抱え込んでいる禍々しい光は強まるばかり。さらには信じ難いことに、膨大な魔力は周囲を歪め空に亀裂を走らせていた。ガラスに枝分かれして入っていく亀裂のように、それは空を見上げる人々の背筋に悪寒を走らせる。
空が割れる超常現象を目にするのは、桜井にとっては初めてのこと。DSRの資料として見たことこそあるが、現実に目にすることになるとは思いもしなかっただろう。
バンビが起こした嵐はついに『グレート・アトラクター』と化し、空におびただしい亀裂を刻んでいく。このままでは空が粉々に砕け散ってしまうのも時間の問題だが、桜井とバンビは亀裂の奥にあったものに視線を吸われていた。
「「なんだ……?」」
ある空間に到達した亀裂からは、巨大な金属のようなものの一部が覗いていたのだ。亀裂を引き起こしたバンビでさえ桜井と同じ反応を示し、それが彼らにとって予期せぬ出来事であることを暗示していた。
本当の天災がここから始まるとは、彼らは知りもしない。
ただ広がった亀裂から現れたのは、全長二〇〇〇メートルはあろうかという巨大な魔導母艦。アルカディアの市民にとって、それは決して忘れられない災厄の象徴だった。
『想定外の魔法攻撃により、量子クローキング機能が破損しました。量子航行を解除します』
亀裂から現れた母艦内では、現在の状況を報告するシステム音声が伝達されていた。
量子クローキングによって身を隠していた彼らは、自分たちの存在が見破られることを予想していなかったらしい。艦内の搭乗員のほとんどは機械体のようで、作業効率の向上のために主腕に加えて二本の副腕を持っている。そんな司令室の中央には二人、生身の男が立っていた。その内の一人、白髪だらけの男はホログラム投影されたモニターから上空の様子を見て狼狽える。
「なんと凄まじい……量子クローキングに影響を与えるほどの超常現象を引き起こすとは。アルカディアのレリーフはとうとうここまで力を蓄えたというのか」
「力を蓄えさせてしまったのだ、バルタザールよ。これ以上野放しにはできん。一刻も早く時計台のレリーフを粛清しろ」
バルタザールを諌め次なる司令を下したのは、ウェーブがかったブロンドの髪に傷だらけの顔が印象的な男。彼こそは、世界から恐れられる獄楽都市クレイドルの将軍、クリストフ・ラベルツキン。
将軍の司令を受けたバルタザールは目の前の超常現象に慄きながらも、自らに課せられた使命を思い出すように一礼した。
「仰せのままに、閣下」
そして、指令を声に出すのではなく耳元に手をやった。彼の耳は本来人間が持つ形とはかけ離れ、剥き出しの金属装置になっている。首筋や後頭部までもが機械化されて耳元に触れたことで、艦内の魔導兵士たちの耳元が発光した。新たな伝令がネットワークを通じてインストールされ、彼らは文字通り機械としてそれを実行に移す。
『時計台への艦砲射撃を実行します』
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