第3章第5節「淘汰されゆく可能性」
「同じレリーフでもいろんなやつがいるんだな。ここにきて、いろいろ勉強になったよ」
桜井はデュナミス、ニュルンガム、そしてバンビの三人を見比べる。禁書書庫にいる三人全員がレリーフだなんて俄かには信じ難いが、全て事実である。デュナミスは三人の中でも特殊でレリーフであることを明かしながら桜井たちに協力してくれた。そんな彼女にも思うところがあるのか、静かに微笑んでいる。
「ところで」
そして、彼女は藪から棒に問いかけた。
「どうしてもう一本は使わなかったのかしら」
「え?」
一瞬、あまりにも長い瞬間、桜井は思考を停止させた。デュナミスが何を言っているのか、分からなかったわけではない。彼女の言葉が意図するものを察せなかったからではない。
理解できたからこそ、彼は彼女を見たまま言葉を詰まらせた。
加えて言えば、言葉が詰まったのは喉に引っかかっていたわけでもない。
デュナミスの右手が、桜井の胸の中に沈み込んでいたからだった。
「────」
桜井は、自らの胸を破る彼女の手を掴もうとしたがそれは叶わない。彼女は胸の中で何かを探し当て、それをしっかりと掴んでゆっくりと引き抜く。優しく、極力傷つけない手つきで。まるで、心臓を奪い取るかの如く強引さで。
そうして彼女が桜井の胸から引き出したのは、黄金の魔剣。魔剣ライフダストとは対になる魔剣デスペナルティだった。
桜井の体から魔剣が引き抜かれると、デュナミスは手にした魔剣を舐めるように見つめる。懐かしいものを見て、感傷に浸るかのように。
「なんて美しい……」
意識を失った桜井は床に倒れこむ。
「あ、アンタ何してるの!?」
バンビを拘束していたニュルンガムは、遅れてその事態に気づいた。だが、デュナミスは彼女のことを気に留める様子もない。ただ黙って魔剣を見つめる。その表情は柔らかく、それでいて感情の読み取れない慈愛に満ちた微笑みを湛えていた。
「なんとか言いなさいよ!」
デュナミスが桜井に何かをした。それ以上のことを飲みこめずにいたニュルンガム。彼女は痺れを切らして杖を召喚すると、津波を呼び起こした。図書館で起こしたばかりのものと同等で、人一人を容易く飲み込む勢い。
眼前に迫った津波に対して、デュナミスは魔剣デスペナルティから手を離す。それは床に落ちることなく、デュナミスの優雅な所作に従う。
彼女がただ手を振ると、魔剣デスペナルティは凄まじい勢いで床を削り取りながら津波を引き裂く。呆気なく勢いを殺された波は瓦解し、波を切り裂いた魔剣はニュルンガムの元へ到達。彼女を杖ごと斬り伏せてしまった。
たった一振りで攻撃を制し、デュナミスはその手に帰ってきた魔剣デスペナルティを片手でキャッチする。それは彼女の手によく馴染み、言いようのない親しみを感じさせていた。
対して、拘束されているバンビは後方に弾き飛ばされたニュルンガムを見る。彼女は意識を失ってしまい、魔剣の一撃を受けた杖は中央から折られている。彼女を憐れむことはないが、バンビは警戒心を強めた視線でデュナミスの方を見た。
デュナミスは魔剣を体に従わせ、その切っ先を指で撫でながら歩み寄ってくる。
「レイヴェスナ・クレッシェンド卿を弑するのならこの死を司る魔剣が必要不可欠、少なくとも私ならスライムよりこれを使う」
死を司る魔剣デスペナルティ。かつて心を引き裂いたという魔剣であれば、超能力者の心臓から禁断の果実を切り取ることができる。実は、バンビはもとより魔剣デスペナルティに目をつけており、魔神ユクシーの力を借りたのは桜井からそれを奪うためでもあった。
同じレリーフであるデュナミスはそのことを把握し、バンビに助け舟を出しているのだ。
「どう? 欲しいならあげる。彼はいらないみたい」
黄金の魔剣を握り、デュナミスは倒れている桜井、次にバンビに切っ先を向けた。
彼女の助言は全くその通りで、現状のバンビは万事休す。彼女の気まぐれっぽい行動がなければチャンスに恵まれることもなかった。かといってバンビは彼女に甘えたくないが、他に賭けることのできる可能性もない。
バンビは渋々といった調子で、背中を向ける。魔剣の切っ先には両手を拘束する魔法の手錠が当てがわれ、彼女は手錠を断ち切った。
「お前の思い通りにはならないぞデュナミス。僕は僕のやり方でやらせてもらう」
結果としてデュナミスの甘言に乗せられたが、バンビは彼女を信用しているわけではない。あくまで彼の意地を譲る気はないと話すバンビに、デュナミスは魔剣デスペナルティを差し出した。
「君の終末論が叶いますように」
忌々しそうに魔剣を受け取るバンビ。彼は何も言わず、魔剣を引きずって歩き出す。禁書書庫に封を施した魔法陣を斬り裂くと魔剣を抱えたまま霧散して立ち去った。
バンビを見送っていたデュナミスの視界には別の動きがあった。魔剣を引き抜かれ、仰向けに倒れていた桜井。彼が上体を起こしたのだ。
彼はこちらに背中を向けたまま立ち上がる。それを見守っていたデュナミスは、わざとヒールを響かせて歩き始める。
「目が覚めた? エージェント桜井──いえ、今はユレーラと呼ぶべきかしら」
歩み寄る彼女に振り返ったのは、確かに桜井結都だった。だがその中にいる意識は先刻とは違う。
ユレーラと呼ばれた彼はふと胸に手を当てるが、傷跡はない。それでも魔剣が奪われたという感覚だけはあった。
「晴れて現実になった気分はどう? さぞ気持ちがいいでしょうね。でもこの歪んだ世界ではいくつもの可能性が肉体を持って動き出しているわ。自分こそが現実になるためにね」
デュナミスはユレーラの目の前に立ち、彼の顔を覗き込んでくる。彼は朦朧とした意識をようやくはっきりとさせ、一つ問いかけた。
「私は淘汰されるのか?」
「このまま何もしなければね」
即答したデュナミスは、貼り付けた微笑みを絶やさず彼の周囲を歩く。
「もう一人の私たちは魔剣デスペナルティを持ってレイヴェスナ・クレッシェンド卿のもとへ向かった。彼女を殺せばアルカディアは彼のものになる。そして彼こそが桜井友都に成り代わるでしょうね」
バンビに魔剣デスペナルティを渡したのは、誰でもないデュナミスである。その事実を知ってか否か、ユレーラは首を横に振った。
「ようやく手に入れた真実だ。易々と奪われてなるものか」
ユレーラが今もこうして存在しているのは、『黒い太陽』における出来事があったおかげだ。あの出来事を経て、ユレーラはようやく桜井結都と一つになることができた。しかし、魔剣は奪われてしまいレリーフ・バンビがレイヴェスナの抹殺を実現させようとしている。
もしそうなれば、ユレーラの立場はバンビに取って代わられてしまうだろう。
「なら、行きなさい。君の可能性を現実へ変えるために」
バンビを止めるためには、レイヴェスナの元へ向かい彼女を止める必要がある。桜井結都としての記憶から、彼女の居場所は分かっている。
デュナミスの助言を受け、ユレーラは砂鉄状になってその場を去っていく。バンビの後を追ってフォルテシモ宮殿へ向かったのだろう。
その時、気を失っていたニュルンガムが目を覚ました。バンビとユレーラは禁書書庫から去り、残されたのは二人だけだ。
「なんのつもり? アタシたちを裏切ってアイツらの側につくの?」
開口一番、ニュルンガムは傷だらけの体を労わるより先に訊ねた。デュナミスは桜井から魔剣を奪っただけでなく、バンビを手助けした。ニュルンガムは一部始終を見ていないが、バンビがいないことから想像するのは難しくない。
そんなデュナミスは、ただその場に立ち尽くしたまま胸に秘めた思惑の一部分を告白した。
「今の桜井友都にはレリーフを止められません。だから、桜井結都の中に眠っていたもう一人の彼を起こしてあげたの」
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