第3章第6節「淘汰されゆく可能性」
魔法郷アルカディアはソプラノ地区、アルト地区、テノール地区の三つの主要地区と、バリトン地区、バス地区の二つの郊外地区に大別される。両者はピアニシモキャニオンを結ぶグランドノートブリッジによって繋がれてこそいるが、郊外地区に人はほとんど住んでいない。バリトン地区は魔法植物に覆い尽くされたファンタジアの森となり、バス地区は見渡す限りの砂漠が広がっている。
そんなバス地区にあるコーダ火山。その麓には、イェルバドール・アズエラが買収した小規模な工場があった。人知れず計画を進めるには最適の場所であり、アズエラは今日まで誰にも悟られず活動を続けていた。
そう、今の今までは。
「ボク達の世界にはユリウス・フリゲートによって魔力がもたらされた。誰もがそれを受け入れ、引き起こされる厄災に目を瞑り、魔法という科学技術で支配した気になっている。実に嘆かわしいことだ。なぜかって? 誰も支配されているのは自分たちであることに気づいていないんだからな」
工場はユリウス・フリゲートの娘たった一人による襲撃を受けていた。彼女がクロスボウを放つと、積み上げられた機材が爆発し周囲にいた研究員を吹き飛ばす。既に天井はクロスボウの爆撃によって焼け落ちていて、聳える火山を見上げることができた。
今まさに炎上する工場で、アズエラは一歩一歩破滅をもたらすシグナス・フリゲートに訴えかける。
「街を呑み込む異常な自然を見ただろう? あの土地にはたくさんの人々が住んでいたのに、魔法によって追い出され多くの貴族が没落した。ボクのような魔法アレルギー患者は当然、あんなところに住めるわけがない。……これらの不条理は全て、魔法のせいで起きたことだ」
アズエラが立っているのは工場の奥で、その区画には四台のドローンによって魔法のバリアが張られていた。少なくともその中にいる限りは安全だが、目の前では機材が破壊されアズエラが雇った傭兵や研究員たちが薙ぎ倒されていく。
絶望的な状況にも関わらず、アズエラは訴えを止めようとはしなかった。
「貴様の母親はアルカディアの民を洗脳し、侵略している! ボクたちは魔法による選別から爪弾かれたが、おかげで気づくことができたよ」
シグナス・フリゲートの歩みは止まらない。傭兵たちがマシンガンを乱射するが、エネルギー弾が彼女に当たることはない。彼女は涼しい顔でクロスボウに次の矢を力強く装填し、魔法陣と共に矢を放つ。それは傭兵たちの背後にあった装置に命中し、赤い稲妻を伴った爆発を引き起こした。
「貴様のような魔法に順応した者などもはや人間ではない! フリゲートと同じように大衆を洗脳するクレッシェンドも、宮殿で胡座をかいている愚か者共も。魔法が毒林檎だったことを今に思い知るだろう」
焼け落ちた天井が次々と落ちてくる。アズエラが雇った傭兵はもう誰一人として残っておらず、彼女は悠々と歩みを進めている。その姿は、アズエラの必死な訴えをラジオ感覚にして施設を破壊するかのようだった。
事実、シグナスはアズエラの言葉に耳を傾けていた。レリーフ・バンビが森で語っていた通り、アズエラはアルカディアの陥落を企んでいる。魔法調律連盟は魔法によって世界が終わる終末論を唱えた。同時にそれを防ぐのも連盟の目的であり、だからこそデュナミスは協力を申し出た。そんな連盟の中でも、アズエラはいわゆる反魔法主義の過激派だった。
「あの忌々しい女の弟子であるクレッシェンド、そしてあの女の娘である貴様も、皆殺しにしてやる……! そのためにボクはこの五年を費やしてきたんだ」
突如アズエラが咳き込んだと思うと、口を抑えていた手には血が付着していた。機材が破壊されたせいで空気中の魔力濃度が急上昇し、アレルギー反応が出てしまったのだ。
彼はフラつく足で作業机にあった注射器を取る。工場は焼け落ち、シグナスは迫ってきている。残された時間は長くないが、彼は白衣をまくって注射器を腕に刺した。
それは魔法の侵食を抑制するために開発したワクチンだ。その副作用として彼は年齢の割に若々しく皺一つない青年の姿をしている。後ろで結んだ長く伸びた銀髪も、薬の副作用だった。
彼は整った顔立ちを歪め、シグナスを睨みつける。魔法アレルギーの症状を抑えたところで、追い詰められた現状を覆すことはできない。それでも彼は足掻くことを諦めていない。
「フリゲート、貴様一人ではボクたちを止めることはできやしない……!」
アズエラが命を削ってまで起動するドローンのバリアを前に、シグナスは魔法の矢をその手に作り出す。乱暴な手つきで矢を番え、魔法によって弦が張られる。そしてクロスボウをバリアに向けて躊躇いなく引き金を引いた。
稲妻の如くバリアに射し込んだ矢はバリアに衝撃を伝え、四隅に浮かんでいた透明なドローンが壊れ墜落する。呆気なく最後の牙城が崩され、シグナスはアズエラの前までやってきた。
急上昇する魔力濃度が応えたのか、机を支えにして立つのがやっとなアズエラ。もはやなす術もないが、彼はシグナスを睨み続けた。
「それでボクの長年をかけた計画を台無しにしたつもりか?」
工場が焼け落ちてなお、彼の意地は折れない。それをへし折るかのように、シグナスは鼻で笑った。
「笑わせるな。魔法郷アルカディアなんざ、私なら一晩で落とせるぞ?」
言い終わるや否や、彼女は手を開いて魔法の矢を作り出す。次こそ、アズエラの息の根を止めるための矢だ。
「ふっははは、いつまでお高くとまっていられるかな」
自らに引導を渡すであろう矢を見て、アズエラは胡散臭く笑った。まだ奥の手を秘めているような態度に、シグナスは指で魔法の矢を弄ぶ。
「戯言だな。貴様がレリーフを使ってカヤシーロリスの花を集めていたのは知っている。神々を昏睡させた逸話を持つ花でアルカディアを攻め落とすとは、ずいぶん神話に慣れ親しんでいるようだな」
同行していた桜井友都とは違い、シグナスはレミューリア神話に造詣が深い。レリーフ・バンビがカヤシーロリスの花を集めていた時点で、アルカディア陥落の具体的な手段については思い当たっていた。とはいえ、カヤシーロリスの逸話は神話に詳しくなければ知らないこと。反魔法主義者であるところのアズエラが引用するのは、奇妙な縁といえるだろう。
少しからかった指摘を受けたアズエラは、自身が企てる終末論を自白する。
「胞子の致死性の臨床実験にはルズティカーナ村に居座っていたザドを選ばせてもらった」
「ザドには手をこまねいていたところだ。いったいどうやって毒を飲ませたんだ?」
ザドレウス・ベルガナッシュを毒殺した真犯人はアズエラ。彼を殺す理由ならいくらでもあるシグナスに対し、アズエラが選んだ理由は一つしかない。神々を昏睡させる可能性を立証する為に、レミューリア神族を選んだ。おそらく、エンジェルラダーの堕天使二人でもいいはずだが、単独行動をしているザドの方が都合が良かったのだろう。シグナスがこの場にあの二人を連れてこなかった理由も、その恐れがあったからだ。
とはいっても、ザドはシグナスとも渡り合える実力の持ち主。どうやって接近したかと思えば、アズエラはまたも神話を引用する。
「簡単な話さ。レミューリア人が伝書鳩として使っていた鳥を機械で再現し、羽毛に胞子を塗したんだ。蜂が花粉を運ぶことと同じようにね。ヤツは無害で愛らしい小鳥に毒を盛られるなど思いもしなかっただろうさ」
「ふん、実に小賢しいやり口だな」
アズエラは医者として魔法アレルギーを治療する術を探した過去を持つ。当然解明の為に神話を読み解く必要に駆られ、普通なら知らない逸話も知っているのだ。
「ボクは単に賢かっただけではない。運にも恵まれていた。あの村に居座るレミューリア人なら誰でもよかったんだが、偶然にも貴様があの村に現れた。ザドと言い争う貴様の噂を聞き、ボクは閃いたのだよ。レミューリア人の犠牲など取るに足らないとはいえ、貴様に罪を贈る役には立つとね」
彼が言うには、シグナスに濡れ衣を着せることは本来仕組まれていなかったらしい。そもそもシグナスはザドや連盟との無駄な対立を避けるため、滅多なことでは村に近寄らない。だが偶然にも桜井友都の招聘とレイヴェスナの命令が重なり、結果として現状の疑惑に繋がったのだ。
「愚かな評議会は貴様を罪人として裁くだろう。生まれ持った罰によって、ボクが直々に手を下すまでもなく」
全てアズエラの思惑通り。しかし、シグナスの心境までそうはいかなかった。
「くだらない。私はこの血脈に刻まれた因縁を罰だと思ったことなどない。だがな」
今度こそクロスボウに魔法の矢を番え、自動的に弦が張られる。そうして、クロスボウを彼の頭に向けた。
「もしこの誇りを穢そうとするのなら、私は絶対に許さない」
突きつけられ、アズエラはシグナスから鋭い視線を離さない。お互いの眼差しが刺し違える中で、シグナスは思い出したように言う。
「それとお前は一つ見くびっていたようだな。評議会は貴様が思っている以上に愚図だ。そのおかげで私はここを見つけ出すことができた。もっと早く手を打つべきだったな」
評議会がシグナスを疑っているのは間違いないが、彼女を庇う人物もいる。レイヴェスナや彼女の側近であるルキナ・A・ラナンキュラス。彼らは万が一に備えて桜井を別行動させ、シグナスを見逃している。もしそこまで勘定に入れていれば、評議会に任せることはしなかったはずだ。
「何も問題はない」
だが、アズエラはそれを失態として数えていない。
「カヤシーロリスの胞子は十全に蓄えられた。胞子を含んだ雲はいずれ雨となってアルカディアを洗い流すだろう。文字通りの、浄化の雨をな」
その時、焼け落ちた天井から覗く空が翳り始めた。火山の火口から禍々しい魔力を含んだ黒煙が巻き上がり、巨大な雲となっているのだ。それはただの魔導雲ではなく、カヤシーロリスの胞子で作られたもの。つまり、アズエラは天候を利用しようというのだ。
「時間を稼いだつもりか?」
シグナスはすっかり勝ち誇った様子のアズエラに問う。いくら天候に任せようと、シグナスの手にかかれば天候を操ることは容易い。この雲が都市部まで広がるとは限らないのだ。
「ボクだって手段を選べる状況でないことは承知している。だからレリーフ・バンビと手を組んだ」
しかしここで、アズエラはレリーフの名を口にした。
「アレは天災を司る力を持つ。その力を利用し、この雲はソプラノ地区やアルト地区へ運ばれる」
仮にアズエラの言葉がこけおどしでないなら、事態は厄介になってくる。シグナスが事に取り掛かるより前に、レリーフ・バンビが都市部から雲を呼び寄せれば手遅れになるだろう。
「ククク、魔法に毒された哀れな民は息絶え、追いやられたボクたちは故郷へ帰れるんだ。フリゲート、貴様が追いやったつもりの貴族たちは、きっとボク以上にこの日を待ちわびていただろうね」
そう。アズエラの計画は既に動き出している。
「お前に止められるのか? フリゲート」
数十キロメートルに及ぶ大きさに膨らんだ胞子の雲。内部で過負荷によって炎や稲妻が発せられ、ついに真下のコーダ火山へと雷が下った。
地響きと共に地面が大きく振動し、シグナスとアズエラは体勢を崩す。火口へ落ちた雷は、火山内部に燻っていた溶岩を刺激。大地を震わせて火口から業火を噴き上げた。
混乱に乗じてアズエラはその場から逃げ出すが、シグナスはクロスボウに意識を向ける。手をかざして魔法陣を張り直すと、火口へ向けて打ち上げる。噴煙の中に矢が打ち込まれると、閃光と共に火山灰や噴煙を吸収する小さなブラックホールを生み出した。それでもいくつかの火山弾は抑えられず、工場の周囲に降り注いだ。
ついに、彼が唱えてきた終末論が現実のものとなろうとしている。
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