第3章第7節「淘汰されゆく可能性」
コーダ火山の噴火は魔法郷アルカディア全土を震撼させた。人々が住んでいる主要な都市からかなりの距離があるとはいえ、地鳴りはフォルテシモ宮殿にまで及んでいる。つい先ほどまで日常生活を送っていた人々はパニックを起こしたり両手を合わせて天に祈ったり、急いで家に戻って戸締りをしたりしている。
アルカディア史上でコーダ火山は数百年前に噴火したきりで、その終末的な光景を目の当たりにするのは多くの人々にとって初めてのことだった。しかし、彼らはただ逃げ惑うだけでなく救いを信じてもいた。
「大丈夫……あのお方がきっとなんとかしてくれる」
「心配しないで。女神様がいらっしゃる限り、アルカディアが滅びることはないはずよ……絶対に」
「レイヴェスナ卿。……どうか、どうか今は亡き神々に代わって我らをお救いください」
人々の顔には決して拭いきれない不安が纏わりつく。それでも彼らは口々に慈悲を乞う。その対象は神ではない。レミューリア神話ではレミューリアが既に滅んだとされ、崇める対象はいないように思える。だがアルカディアの民は、神に等しい力を授かった超能力者である女王の庇護下にあるのだ。
フォルテシモ宮殿の私室にあるテラスにて、レイヴェスナ・クレッシェンドはおよそ一五〇キロメートル先で噴火する火山を眺めていた。アルカディアの民は皆、彼女に救いを求めている。超能力者である彼女なら大地の怒りを鎮めてくれると。
彼女はそのプレッシャーを感じてか否か、静かに息を吐く。テラスから室内に戻ると、自分の机へ向かい椅子をどかして引き出しを引く。中には何通かの手紙と、現代にはそぐわないアンティークな小物が入っている。彼女はその中から古い懐中時計を手に取り、机から離れた。
その懐中時計はユリウス・フリゲートの形見であり、曰く『世界終末時計』と呼ばれるもの。レミューリア神話において存在の語られるもので、時計が正午を指すと世界が破滅するという。レミューリアが滅んだ際に一度時計は正午をさし、完全に停止した。かと思えば時計はこの世界で再び動き出し、今や残り一時間を差している。
彼女は手にした懐中時計をかざし、テラスの向こう側で噴火する火山に重ねた。すると、針が一分進み残り一時間を切ってしまった。
「…………」
レイヴェスナが時計を下ろすと、テラスには人影があった。彼は少年の姿をしていて、黄金の魔剣を引き摺りながら歩み寄ってくる。
「果実を返してもらおうか。それを人間が持つ資格はない」
レリーフ・バンビは死を司る魔剣デスペナルティを携えて来た。しかしながら万全の状態とはいえず、魔剣を引き摺っている通りかなり体力を消耗している。だが彼はアルカディアを陥落させるための一歩を踏み出した。アズエラとの計画通りにコーダ火山では胞子の雲が作られ、多少の誤算があれど魔剣デスペナルティを得た。あとは邪魔なレイヴェスナを殺すだけ。
バンビの足取りは弱々しい反面、着実に破滅を運び込む。
「貴方がレリーフ・バンビですね」
対して、レイヴェスナは懐中時計をドレスのポケットへしまいこむ。
「一度お会いしたいと思っていましたが、まさか貴方からお越しくださるとは僥倖です」
「ほざけ。あの手この手を使って僕を消そうとしてきたのは分かってるんだ」
「えぇ。ですから、貴方が
魔剣を手にして殺気立つバンビに対し、レイヴェスナは穏便な姿勢を崩さない。自らの置かれている状況を知らないはずもないが、彼女は全く取り乱す様子がなかった。
「世界が終わろうとしているというのに随分と呑気だな。この後に及んで魔法の支配者気取りか?」
問われた彼女は、魔法調律連盟を中心に支持されている終末論を引用した。
「魔法はいずれ世界を破滅へと導き、魔法によって粛正された新世界を臨む────そんな終末論を何度も聞いてきました。今さら驚くことでもないでしょう」
決して相手に手綱を握らせないレイヴェスナだが、果たして勝算があってのことなのか。バンビは確かに満身創痍だが、状況は既に傾いたばかり。コーダ火山では終わりが始まり、バンビはレイヴェスナを殺す寸前。どちらが有利かは、言うまでもない。
「所詮僕は魔法生命体。実現することのない終末論と同じ、現実になる力を持たない可能性だった」
バンビは何が現実かを分からせるべく、魔剣デスペナルティを腰に据えて重々しく構える。
「だけど僕は現実になるんだ。お前を殺し、このアルカディアを乗っ取ってやる。お前の言う終末論が真実であることを、この剣で証明してやる!」
アルカディアもラストリゾートも、この世界は魔法によって発展を遂げた。その可能性は留まるところを知らず、魔法が世界を破滅させるという終末論までもが囁かれるようになっている。そして、意思を持った魔法そのものであるレリーフ・バンビは、それらの可能性が現実になることを証明するべく前へ踏み出す。黄金の魔剣を引き摺り、磨き抜かれた床を傷つけながら走る。
死を司る魔剣デスペナルティは、真実を斬り虚構へと返す。可能を不可能にする性質を持つ魔剣であれば、超能力者が持つ力の源、即ち禁断の果実を否定──斬ることができる。否定を恐れたバンビは、自分という可能性を脅かす別の可能性を否定する。他の可能性がなくなれば、自分こそが現実となれるのだから。
レイヴェスナとの距離を詰め、バンビは引きずってきた魔剣を突き出した。が、手に伝わってきた感触は心臓を貫くものではなかった。
剣と剣が衝突したことで激しい閃光と火花が迸り、バンビの手から魔剣が弾き飛ばされる。彼が目を開けて見上げると、レイヴェスナを庇うようにして立つ男の姿があった。
「桜井結都……」
ユレーラは桜井が持つ魔剣ライフダストを用いて、魔剣デスペナルティの一撃を弾いたのだ。その切っ先を今度はバンビの額へ向ける。バンビはすぐさま後退りをしたが事情を呑み込めていないようだった。
「どうして僕の邪魔をする? 僕はただ現実になりたいだけだ。お前なら分かるはずだろ」
なぜユレーラがレイヴェスナを庇ったのか。バンビとユレーラは同じレリーフではあるが、その意思には違いがある。その差異が、二人を対立させていた。
「君こそ分かっているはずだ。現実は唯一無二のもの。私はようやく取り戻すことができた。それを私から奪い返そうというのなら、容赦はしない」
ユレーラの根底には桜井結都の半身としての意識がある。世界魔法史博物館での一件を経てユレーラは桜井結都と一つになり、現実になった。しかしバンビが終末論を実現させた場合、ユレーラが取り戻した現実は水の泡となってしまう。だからこそ、ユレーラはバンビの野望を食い止める必要があるのだ。
舌打ちするバンビは床に落ちた魔剣デスペナルティをチラッと見る。もし取りに行けば魔剣ライフダストで斬り捨てられてしまうだろう。彼の背後ではコーダ火山が激しい噴火を続けている。レイヴェスナを排除する算段は狂ったが、狂い始めた歯車が止まることはない。最後に壊れる瞬間まで止まれない。
覚束ない足取りでテラスへと下がるバンビ。彼はユレーラとレイヴェスナを睨んだまま、捨て台詞を吐いた。
「勝手にすればいい。何が真実か、今に思い知ることになるからな」
砂鉄状になったバンビはテラスからアルト地区方面へ向かう。追い詰められ計画を狂わされた者が何をするか。少なくとも彼はまだアルカディア陥落を諦めてはいなさそうだ。コーダ火山の噴火に乗じて、次の一手を仕掛けてくるだろう。
しかし、ユレーラはすぐにバンビを追いかけることはしなかった。彼の背後で事の行く末を見守っていたレイヴェスナが口を開いたからだ。
「ようやくお会いすることができましたね。ミスター桜井」
彼女は普段より少し声を弾ませていた。まるでずっと話をしたかった相手に会った時のように。
「私はお前の知る男ではないだろう」
もちろん、レイヴェスナが会ったことがあるのはユレーラではない。にも関わらず、彼女はユレーラを桜井と呼んだ。なぜなら、
「ご安心を。
彼女はユレーラが本来の桜井であり、前回会った桜井はまるで偽物かのように言い切った。それを聞き、ユレーラは振り返って初めて目を合わせた。
「レイヴェスナ・クレッシェンド。ユリウス・フリゲートの愛弟子だとは聞いているが、どこまで知っているんだ?」
二人は間違いなく初対面である。それでもユレーラが彼女のことを知っていたのは、桜井結都として一度会ったからだ。意識を完全に共有しているわけではないが、重なる部分もある。
そして、桜井はアルカディアに来てから自分の半身のことを明かしていない。にも関わらず見破ったレイヴェスナだが、それには彼女の力に経緯があった。
「私は世界真理を紐解いただけです」
魔導図書館において、ニュルンガムはレイヴェスナの超能力について説明した。それはあまりに抽象的で大雑把なものだったが、嘘でもなかったらしい。
詰まるところ、彼女は存在し得るありとあらゆる可能性──世界真理を読み通したことで桜井とユレーラについてを知ったのだ。
「ただ世界真理において、桜井結都は既に死んでいるはずなのです。そもそも世界真理とはこの世界のありとあらゆる可能性を内包したものであり、過去と現実、そして未来に広がる全ての可能性が記されています。そこに記されることなく生き続けている貴方は矛盾しているのです」
彼女の言う通り、桜井とユレーラの関係は矛盾している。ある時から分裂した死んだ桜井と、生きた桜井。それは決して重なり合うことがないはずで、相反する可能性。それが同時に重なって存在する。
そのことをユレーラはよく理解していたのか、端的に答えを出した。
「世界真理はとうに歪んでしまった。ユリウス・フリゲートがこの世界に魔法をもたらした時から」
「そうですね。そしてその歪みが貴方と彼を生み出した。本来なら淘汰されるべき貴方がたは淘汰されることなく此処に存在している」
レイヴェスナは桜井とユレーラが世界の歪みから分裂したと断定する。人は死んでしまったら生きることはできず、生きていれば死ぬことはない。人が死ぬ時、その命や肉体は淘汰されていくものだが、桜井とユレーラはその摂理を超越している。この現象を、レイヴェスナは次のように表した。
「多くの人が理想とする永遠の命をあたかも手に入れたかのように」
死にながら生き、生きながら死ぬ。見方を変えれば、それは生と死を超越した永遠の命だと言えるだろう。
「私が理想を手に入れたと?」
彼女の見解を聞いたユレーラは興味深そうに訊ね返した。
「面白いことを言う。私は何者の理想でもない。拒絶こそが私を生む」
己が理想を手にしたことは否定する。だが、レイヴェスナは考えを改めようとはしなかった。
「理想は現実を拒絶することで生まれるものでもあります」
レイヴェスナは足を前へ踏み出し、彼とすれ違う。
「貴方は死を拒み、生を望んだ。しかし腑に落ちないのです。なぜ貴方は理想を現実とする力を持っていたのでしょう。貴方は超能力者の内の九人ではないというのに」
バンビが置いていった魔剣デスペナルティのもとへやってきた彼女は、膝を折って柄に手を触れる。彼女はほんの少し逡巡する素振りを見せ、やがて優しく魔剣を拾い上げた。
ユレーラは警戒心を緩めてはいないが、彼女が黄金の魔剣を手にするのを見て肩の力を抜く。ここまでの話を聞き、彼女は桜井とユレーラについて全容を掴みかけていることが分かった。そんな彼女に隠し事は無意味だと思ったのか、彼は歩み寄りながら言う。
「あの時、私の願いは聞き届けられ代償として私が生まれた。願った可能性を真実にする術を与えられて。……本来なら死んだ私が真実だが、桜井結都は……いや、私は生きることを願った」
魔剣デスペナルティを持ったレイヴェスナは、こちらを見下ろすユレーラの目を見つめる。彼の言葉にピンときたのか、すぐに納得したように頷いた。
「願った可能性を真実にする術……ふむ。原理不明の奇跡を起こすシステム。ミスター・ラテランジェロの仰る通り、まさにブラックボックスというわけですね」
ブラックボックス。たとえ比喩的なものだったとして、ユレーラの意識や考え方に重なる部分が多分にある。
「確かに君の言う通り私は淘汰されるべき存在だが、理想を諦めたわけじゃない。たとえ、実現不可能な理想だったとしても」
レイヴェスナは初対面とは思えないほど、ユレーラと桜井友都に理解を示している。それゆえか、彼もまた彼女に心を開きつつあった。自らの本心の、その一部分を、口にしてしまうほどには。
「ふふっ」
そんな彼の告白を聞いて、レイヴェスナは口元に手をやって上品に笑う。
「何がおかしい」
ユレーラが彼女に感じていたものは見当違いだったのか。よからぬ不和が過ぎるも、彼女はすぐに目を合わせた。
「いえ、どうやらこの世界は貴方を中心にして回っているようですね」
その言葉が何を意図していたのか。彼女は何を考えていたのか。
ユレーラには察する時間がなかった。
「…………」
ふらっと、ユレーラは体勢を崩す。糸の切れた操り人形のように倒れ込むが、目の前にいたレイヴェスナが抱き留めた。突然のことにも彼女は動じず、意識を失った彼を支えたまま耳元に囁きかけた。
「もうお目覚めですか?」
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