第2章第12節「地続きの天国と地獄」

「あの時は寝ぼけてて、果物のヘタを踏んで転んじゃったんだよ。しかもちょうど打ちどころが悪かったみたいで、あたしってば命落としちゃってさ。やべって思った時には遅かったよ。大悪魔ハーフニーはあたしの運命の死に方を絵本にして読んでくれたけど、最初の母音で寝ちゃってたから気をつけようにも気をつけられないじゃん?」

 朝食のパンを食べ終え、ヴェロニカの(意味不明な)身の上話を聞いていると、コンコンコン、とツリーハウスの扉がノックされる。

 桜井が扉を見ると、扉の魔法陣が光を放っていた。ツリーハウスは昨夜のまま動いておらず、ファンタジアの森にある丘の上。当然ながら人の住んでいない森から誰かが訪ねてくるわけもない。魔法陣をよく見ると、光っているのは『ソプラノ地区』と記された部分だった。

 アルカディア各地のツリーハウスは全ての空間を共有している。魔法陣で行き先を決めて好きな場所へ向かえるだけでなく、各地の扉は全てが桜井たちのいる空間と繋がっている。つまり、誰かが何処かのツリーハウスを訪ねても、必ず一つの空間を訪ねることができた。

「はいはーい。『ソプラノ地区のフォルテシモ宮殿』ね」

 シグナスの代わりに扉へ向かったのはセレサ。彼女は魔法陣をソプラノ地区の宮殿へ合わせると、瞬時に窓の外の景色も変わる。宮殿の中にあったあのツリーハウスへと様変わり。桜井が一番最初に訪れたあの場所だ。

 セレサが扉を開けると、そこにはもはや懐かしく感じる人物が立っていた。

「おはようセレサ。シグナスはいるかな?」

 ツリーハウスの中を覗き込んだのはルキナ・A・ラナンキュラス。飛空船発着場から桜井を案内してくれたあの男だ。

「ルキナか、何の用だ?」

 シグナスらとは知り合いらしく、ルキナは中へと迎えられる。レイヴェスナ・クレッシェンドの遣いという印象から、新しく命令を伝えに来たのだろうか。桜井は状況を見守ったが、ルキナの表情は深刻なものへと変わる。ツリーハウスの扉が閉まっていることを確認すると、彼は重大な事件を知らせた。

「……ルズティカーナ村で大量のレミューリア人が昏睡状態に陥った。おそらく毒か、あるいは呪い、原因はまだ分かっていない」

 それを聞いた彼女たちの中で、最も驚いていたのは桜井だった。シグナスやセレサ、ヴェロニカの顔を見ても、誰一人として特別狼狽えていない。

「特にザドレウス・ベルガナッシュはもう助からないそうだよ」

 ザドは大樹の根元で出会ったあのレミューリア神族の大男である。

「レイヴェスナ卿からの依頼の一環で君たちは昨日、ルズティカーナ村へ向かったね。そのせいで、評議会は君たちを疑っている」

「だろうな」

 そう。シグナスたちはルズティカーナ村の人々を昏睡させた容疑が自分達に向けられることまでを考えていたのだ。

「事件が起きる前、君たちがザドと言い争うところを大勢が目撃している。こんなことを言いたくはないけど、彼らから恨まれているシグナスには動機になり得てしまうんだ」

 確かに桜井とシグナスたちはルズティカーナ村を訪問した。魔法調律連盟の盟主を訪ね、レリーフの足取りを掴むために。ザドに出くわしたのはその帰り道で、どちらかと言えば向こうから絡んできた。桜井は事実を知る当事者だからこそ、シグナスたちが犯人でないことは分かっていた。

「待ってください。俺たちは何もしてない」

 桜井は必死に彼女たちを庇う方法を考えたが、良い案は浮かばない。シグナスの立場を考えれば、余計に苦しくなるばかりだ。

「心配しないでも君たちを突き出したりはしない。評議会はシグナスがルズティカーナ村で虐殺を起こそうとし、エージェント桜井を巻き込んだか人質にしていると見ている。だから、君はシグナスと行動しない方が良いだろう」

 幸いにもルキナはシグナスたちを告発しにきたわけではないらしい。そして桜井の立場は前提として客人であり、巻き込まれたという見方をされている。彼はひとまず、シグナスから桜井を取り返すという名目で動いているのだろう。

「ということでシグナス、彼を借りていってもいいかな」

「構わん。うんざりしていたところだ」

 即答するシグナス。桜井としてはあらぬ容疑をかけられている彼女が心配だが、何を言っても聞く耳を持たないはずだ。

 評議会が彼女の犯行だと決めつけている以上、ルキナの指示に従うのは賢明だろう。まして桜井にはレリーフと関係のない問題にまで顔を出す権利はない。

「レリーフの件はどんな状況だい?」

 ルキナは本来任せていたレリーフの調査状況についても触れた。想定外の事態に直面しているが、こうしている今もレリーフは終末論の実現に向けて動いているのだ。

「レリーフ・バンビは連盟員のイェルバドール・アズエラと手を組んでいる。アルカディアを陥落させるつもりだ」

 今までに得た手がかりをかいつまんで説明するシグナス。それを聞いたルキナは、思いもよらぬ箇所に関心を示した。

「アズエラ? 元医者のアズエラのことかい? 病院を解雇されてからコーダ火山の麓に引きこもったと聞いていたけど、まさかレリーフと手を組むとはね」

 アズエラという名前を最初にあげたのは魔法調律連盟盟主である。ファンタジアの森で見つけたバンビは、実際にアズエラと手を組んでいることを否定しなかった。しかし、彼らがアルカディア陥落を企んでいること以外、情報を漏らすこともなかった。

 そこで、シグナスはルキナから更なる手がかりを引き出す。

「コーダ火山か。私の方で確認してみよう」

 バンビの行方が掴めていない現状、アズエラを探すのは妥当だ。

 コーダ火山がどこにあるのか、当然桜井は知らない。だが、彼が知る必要はない。ここから先、シグナスと行動するのは危険だからだ。

「エージェント桜井も同行させたいのは山々だが仕方がない。評議会が疑いをかけているシグナスと行動すれば、人質どころか共犯にされかねない。分かってくれ」

 申し訳なさそうに言うルキナだが、彼のせいではない。むしろ、評議会に同調せずシグナスを見逃してくれるのは英断と言える。

「二手に別れると思えば、なんてことないですよ」

「いなくなって清々するよ」

 磁石の如く反発する二人だったが、ルキナは微笑ましそうに見守るのみ。

 今の桜井は彼に従いつつ、自分にできることをすべきだ。シグナスたちならなんとか上手いこと切り抜けてくれるだろう。彼女たちを信じることしか彼にできることはない。

「それじゃあ僕たちも行こうか」

 ルキナは桜井を連れて、ツリーハウスを去ろうとする。三人の少女たちには色々と振り回されたとはいえ、助けられることも多かった。少しの名残惜しさを感じているのが、彼にとって不思議なものだった。

「ではお気をつけて」

 別れ際、セレサはいかにも社交辞令といったふうに言い残す。彼女らしいと言えば彼女らしい。

「そっちも、気をつけろよ」

 言って、桜井はソファで寝転がって手を振っているヴェロニカを見た。続けて、シグナスの方を見る。目が合った彼女は一瞬驚くとすぐに歯を見せて、

「いーっだ」

 ぷいっとそっぽを向く。

 餞別に送られた威嚇を最後に、桜井はツリーハウスの扉を閉めた。

「シグナスはあの通りだが気にしないでやってほしい。本当は良い子なんだ。本人の前じゃ口が裂けても言えないけどね」

 ルキナと共にツリーハウスの梯子を降り、彼の後をついていく。彼が向かったのは女王や評議員たちのいる奥ではなく、フォルテシモ大聖堂、そのさらに外の方だった。

「それでどこへ行けば?」

 桜井が尋ねると、ルキナは歩みを止めずに答えた。

「評議会はあの子を疑っているけど、全員がそういうわけじゃない。ニュルンガムには話を通してあるから、図書館へ行こう。あそこなら安全だ」

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