第3章「淘汰されゆく可能性」

第3章第1節「淘汰されゆく可能性」

 ソプラノ地区は魔法郷アルカディアの行政の中心として機能している。コンツェルト評議会が管理するフォルテシモ宮殿やフォルテシモ大聖堂といった建物がその根幹だ。自然との絶妙な調和が織り成す神秘的な景色のことも、忘れてはいけない。他にもラストリゾート大使館や多数の貴族たちの領地が広がり、ここがアルカディアで最も栄えている土地なのは間違いない。

 そんなソプラノ地区の外れ、商業の中心であるアルト地区との境界線上に建っているのが魔導図書館である。なぜこのような中途半端な場所に位置するかといえば、ソプラノ地区に住む貴族たちとアルト地区に集まる商人や庶民たちが立ち寄りやすいからだ。どちらか一方の中心にあれば、庶民は貴族に遠慮して貴族は庶民を忌避して寄らなくなってしまう。それを避けるためにも、閑静な街角にあった。

 桜井はルキナの案内で図書館へと入っていく。朝という時間帯もあってか、利用客はそれほど多くない。二人は受付を通ると司書室と記された案内板に従って通路を進む。それから螺旋階段をあがっていくと、すぐに司書室へ到着した。

 ルキナが開きっぱなしの扉を叩き来訪を知らせ、司書室の高級な内装が桜井を怯ませる。その中にいる人物も当然それに釣り合うはず──と思いながら窺ってみると、テーブルを囲って優雅にお茶を飲む二人の姿があった。

「ちょっと! お客さんがいるんだけど?」

「ごめんごめん。でもよかったら、僕のお客さんももてなしてあげてくれないかな?」

 勢い余って立ち上がった少女は、評議会で見たことのある人物。浮いた杖に座っていたのが印象的な、あの女の子だ。

 そしてもう一人。少女とは対面に座っていて、桜井たちには背中を向けていた人物。こちらにわずかに顔を傾け、薄紫色の髪の隙間から見えた耳のピアスが光る。麗しい雰囲気を纏う彼女もまた、桜井は見たことがあった。

「構わないわ。彼とは私もお話してみたいの。以前お会いした時には時間がなかったものだから」

「そ、そう……アンタがそう言うなら問題ないけれど」

 言葉を受けて、少女は渋々といった調子だ。歓迎されているのかどうか判然としないが、ルキナは桜井に道を開けて、

「紹介しよう。彼女はコンツェルト評議会の議員の一人で、この魔導図書館の司書、アニマ・ニュルンガムだ」

 まだ十四歳前後のシグナスを見た後だからか、アニマ・ニュルンガムが同年代であること自体はすんなりと飲み込めた。とはいえ冷静に考えてみると、小さいのに評議員を務めているのには驚きだ。見かけで判断したくはないが、ツインテールにした銀髪も相まってより幼く見えた。

「君は知ってると思うけど、彼はエージェント桜井。シグナスと一緒にレリーフのことを調べてくれたから、協力してあげてくれ。魔法調律連盟の盟主である彼女と面会してるってことは、タイミングも申し分なさそうだね」

 ルキナも察していた通り、やはり彼女はデュナミスだ。彼女は二人のことなど意に介さず、湯気のたつ紅茶を上品に飲んでいる。

 背中越しでも分かる品の良い所作に視線を吸われていると、ニュルンガムは大袈裟に腕を組んで威張った。

「ふんっ、アイツの顔に免じて引き受けてやるわ。アンタ、アタシをがっかりさせないでちょうだいね」

「……お手柔らかに頼むよ」

 シグナスという少女に散々手を焼かされてきた桜井。ニュルンガムにもどこか通じる部分を感じた彼は、きちんと腰を低くした。

「それじゃ、僕はそろそろお暇させてもらうとしよう」

 桜井を図書館へ送り届けたルキナは、すぐにその場を去ろうとする。慌ただしい様子を見たニュルンガムは、彼を世知辛く皮肉った。

「やっと遠征から帰ってきたかと思えば、客人のお守に加えてまだやることがあるの? 仮にも『聖奏騎士団ナイツ・オブ・オブリガート』の一人だったっていうのに、レイヴェスナ卿も人遣いが荒いわね。ま、それも栄誉あることだとは思うけど」

 最初に会った時から、ルキナは軍服に剣と騎士らしい身なりをしていた。具体的に騎士がどういったことをしていたのか桜井は知らないが、今のルキナは騎士というよりレイヴェスナのお遣いそのもの。世間に知られる騎士のイメージに比べれば、高貴とはいえない。

 扉へ向かっていたルキナは足を止め、一度だけ振り返ると肩を竦めて言う。

「騎士と言っても、陛下に仕えるという点では使用人とも変わらないさ。それに君は当時の騎士団をよく知らないんじゃないか?」

「アタシを誰だと思ってるの? ここの蔵書を調べればすぐに分かることよ」

 一連のやり取りは桜井とは関係なく、ルキナが相槌を打ったことで打ち切られる。当然と言うべきか、ニュルンガムやシグナスのような気難しい少女の扱いには手慣れているようだ。扉に手をかけて最後に、彼は桜井を見て励ました。

「じゃあエージェント桜井。上手くやってくれ」

 結局、桜井は魔導図書館の司書室に放り出された。シグナスと似た意地っ張りなニュルンガムと、レリーフでありながら味方を名乗るデュナミス。エンジェルラダーの堕天使二人組に勝るとも劣らない、ただならぬものを感じる。

「まぁ座りなさいよ。アンタだけ突っ立ってたら落ち着かないわ」

 立ち尽くす桜井を見かね、ニュルンガムは着席を促す。しかし中央に置かれた円卓には、既にデュナミスがいて対面の席はニュルンガムが座る。桜井が座る席はなかったが、ニュルンガムは片手を動かして使われていなかったイスを動かした。彼女は何らかの魔法でイスを浮遊させて円卓へ持ってくると、デュナミスとニュルンガムの間、ちょうど三角形になるように置く。

 そこに座れということだろう。

「失礼」

 先に二人が座っている円卓へ向かい、桜井は一言断ってから腰を掛けた。

 改めて考えて異様な状況だ。右隣を向けばレリーフであるデュナミスがいて、左隣を向けばコンツェルト評議会議員のニュルンガムがいる。いったい全体どうしたら彼女たちが優雅なお茶会を嗜むことになるのだろうか。

 カチャン、とデュナミスがティーカップを置く音でさえ思わず身構えそうになる。さらに、彼女は思いもよらぬことを指摘した。

「あら、彼に紅茶はないのかしら?」

 二人の前には紅茶の入ったティーカップがあるが、桜井の前には何もない。デュナミスに気を使われたことに対し、彼は咄嗟に何かを言おうとした。

「いや大丈夫。こんなに綺麗なテーブルクロスを汚すわけにはいかないし……ほら、見てて飽きないからこのままでいい」

 自分でも何を言っているのか、口走るに連れて分からなくなっていた。ニュルンガムは素っ頓狂な顔をしているが、デュナミスは手を口元にやってくすりと上品に笑う。

「流石ね。人間の食文化の真髄は食べ物ではなくその周囲にある。食卓を彩るテーブルクロスや豪勢な食器、そして肝要なのは食卓を囲う顔ぶれ。このティーパーティーは楽しい時間になりそうね」

 レリーフであるところの彼女が、桜井のユーモアセンスに理解を示す。偶然とは思えないにしても、おかげで空気が和んだのも事実。ニュルンガムはよく分かっていないようだが、円卓の中央に手を伸ばした。

「まぁ、小腹が空いてるならお茶菓子ぐらいは食べなさいよ。おもてなしもできないなんて思われたくないしね」

 円卓の中央には、中くらいのバスケットにお茶菓子が入れられていた。種類は様々で、ニュルンガムはいくつか手に取って見せた。

「これはグラスハープのチョコレートよ。アルカディア王室御用達のブランドなの。味はキャラメルとアーモンド、それからミルクね。こっちはハートフェルト。アルカディア発祥のクッキーだとでも思ってちょうだい」

 意外にもきちんと解説してくれたことに驚きつつも、桜井はニュルンガムが薦めたお茶菓子を手に取った。

「ありがたくいただくよ」

 その間、デュナミスはまだ使っていないコップにミルクを入れてから、魔法のポットを手にして紅茶を淹れてくれた。結局、桜井の分の紅茶を用意してくれたらしい。

「お茶菓子を食べるなら、お茶も欲しくなるはずよ。このレムリアンティーが口に合えば良いのだけれど」

 客人らしく接待を受けながら、桜井はハートフェルトの包装を開ける。中にはハート型のクッキーが入っていて、一口だけ齧ってみる。外側はカリッとした食感で、中はモチモチとした風味。食べやすく塩っけが気になれど、紅茶があれば問題ないだろう。

 お茶菓子を摘み、空気も温まってきた頃。最初に本題を持ち込んだのはニュルンガムだった。

「それで、シグナス・フリゲートはやってないんでしょ?」

 彼女が触れたのは、ルズティカーナ村におけるザド殺しの容疑について。ルキナが言っていた通り、彼女はあくまでシグナスが殺していないことを確認してきた。

 桜井はほとんどの時間をシグナスと過ごしていたため、彼女が犯行に及べば気づくはずだ。つまり、彼女が殺していないことを断言することができた。

「シグナスがやってないことは俺が証明できる。ずっと一緒にいたからな」

 答えを聞いて、ニュルンガムはホッとして胸を撫で下ろす。

「やっぱりそうよね。アイツに限ってそんなことするわけがない。自分を批判する野次馬を殺したところで何の解決にもなりはしないもの。そんな間抜けなことを、アイツがするわけない」

 彼女の口調からは、シグナスへの信頼の厚さが伺えた。評議会での二人は犬猿の仲に見えたが、案外仲が良いのかもしれない。

「では誰がザドレウスを手にかけたのでしょうか」

 必然的にシグナスでなければ真犯人がいることになる。

「彼の死体が見つかったのは昨夜。おそらく君が村を去った後に殺されていたみたい。身体的な外傷はなし。死因として考えられるのは呪殺、あるいは毒殺……」

 実は、桜井にもシグナスの行動を証明できない期間がある。それは深夜以降の眠ってから朝までだ。

 順当に考えればシグナスも眠っていたはずだが、デュナミスが言うには死亡したのは彼らがファンタジアの森にいる間。ツリーハウスは瞬間的にアルカディアの各地を行き来できることを加味すれば、シグナスに犯行が不可能だとは言い切れないだろう。

「知っての通り、あの二人は普段から対立していて明確な殺意もある。最高議長がアイツを真っ先に疑うのも納得できてしまうのが問題よ。いくらアンタが証言しても、呪い殺しただのなんだのを持ち出してこじつけるに決まってるわ。レイヴェスナ卿が時間を稼いでくれている間に真犯人を炙り出さないと」

 ザドがシグナスと対立しているのは言われずとも分かる。二人には明確な殺意が垣間見えたのも事実で、桜井が止めなければ殺し合いに発展していたかもしれない。

 シグナスを擁護するはずのニュルンガムでさえ、すっかりお手上げ状態。評議会はシグナスを犯人だと決めつけていて、レイヴェスナ・クレッシェンドが弁護しても覆せていない状況だという。

 議論の行き詰まりを感じ、桜井は口寂しさを埋めようとお茶菓子が入ったバスケットに手を伸ばす。と、ちょうどデュナミスの手と鉢合わせする。

 二人が取ろうとしたのは、偶然にも同じハートフェルトだ。

「どうやらお気に召してもらえたようね」

 微笑むデュナミスは慎ましく手をさげ、桜井にそれを譲る。

「……お土産に持って帰りたいくらいだよ」

 二人の様子を見たニュルンガムは、誇らしげに言う。

「ハートフェルトは料理人の心が味に強い影響を与えるのよ。アルカディアでは古くから、料理人の忠誠心を測ることにも利用されてきたの。つまり、このクッキーが美味しければアルカディアは安泰ってわけ……神話によれば、その性質を逆手に取って暗殺に利用されたこともあるけどね」

 いくら言い伝えとはいっても、暗殺に使われたものを食べると否が応でも味に影響が出そうなもの。それでも美味に何ら翳りはなく、言葉通りアルカディアが安泰であることを感じられた。

 今度はウサギ型だったクッキーを食べる桜井、紅茶を喉に流し込むデュナミス、ジャムをかけたハニースコーンを食べるニュルンガム。

 これまで一通りの情報を聞いていた桜井だが、彼には一人だけ目星をつけられる人物がいた。

「そういえば、シグナスに濡れ衣を着せて得をするヤツなら心当たりがある」

 桜井の一声に、ニュルンガムとデュナミスは彼を見る。

「ファンタジアの森でレリーフを見つけた。あいつはアルカディアを陥落させることを企んでて、シグナスのことも始末しようとしてたみたいなんだ」

 解決へ一歩踏み出したかのように見えたが、桜井と二人の足並みが揃っただけ。何を隠そう、二人がお茶会を開いていたのは意見交換の為でもあったからだ。

「レリーフ・バンビのことね。アタシも、あり得るとすればそれだと思ったわ。でもアイツを目の敵にしてる連中なんて星の数ほどいるのよ? 置き換えられないくらい強く関連付けられないと、評議会は納得しないわ」

 レリーフ・バンビが真犯人であるという説は桜井が来る前に議論されていた。その上でニュルンガムは証拠が弱いとしたが、桜井は発想を変えることを提案する。

「じゃあ敢えて置き換えて考えてみよう。アズエラはどうだ? バンビはそいつと組んでるって話だった。そいつと裏で繋がって、シグナスをハメようとしてる可能性はあるんじゃないか?」

 真犯人の候補が多いのなら、その候補同士を繋がらないかを確認する。DSRで培ってきた大局判断能力を使い、彼が候補に挙げたのはバンビと繋がっているアズエラだ。

 すると、デュナミスはその男について知っていることを明かした。

「アズエラは連盟に加わる前は医者として働いていたそうよ。彼は魔法を毛嫌いし人々は魔法で洗脳されていると考え、解毒剤を調合するために熱心に神話を読み解いていたとか」

 魔法調律連盟の盟主である彼女がアズエラを知っていた理由は、彼が連盟の一員だったから。桜井はあくまでアズエラはデュナミスを裏切って別のレリーフ──つまりバンビに寝返ったと考えていた。しかし、その予想は外れていた。

「そんな過激な思想の野蛮人をどうして連盟に?」

 ニュルンガムが耳を疑う気持ちも分かる。なぜなら、アズエラという人物は魔法を嫌ういわゆる反魔法主義者だったのだ。魔法調律連盟という名前とは全くそぐわない。よくよく振り返ってみれば、矛盾はそれだけに留まらない。

 シグナスの談では、魔法が世界に破滅をもたらすという終末論を唱えているという連盟。いざ盟主であるデュナミスに会えば、彼女はレリーフを倒すために協力する姿勢を見せている。

 ────名前も理念も、何もかもチグハグだ。

 だが、デュナミスは表情一つ変えない。まるでそれらの矛盾をおかしいと思っていない様子で。

「だからこそ、よ。真に調和の取れた世界では光と闇、善と悪が等しく存在する。どちらかに傾いたりどちらかが滅んでは意味がない。連盟は如何なる者も許容するの」

 彼女はレリーフである。まずその正体を明かしてここにいることさえ、不思議なことだ。彼女が本当に味方であるかどうかは分からないし、信じられる根拠もない。

「とかく医学と神話に精通するアズエラであれば、毒を用いてレミューリア神族を殺める手段を思いついたとして、驚くことではないのかもしれません」

 いつしか桜井は怪訝な目線を彼女に向けていた。対して、デュナミスは気にした様子もなく組んでいた足を組み替えた。

 対面に座るニュルンガムは少し俯いて考えると、冷静に自分の意見を出した。

「そもそも反魔法思想の過激派が、魔法生命体と手を組むのかしら。もし仮に本当にレリーフと手を組んでいたとして、具体的にどうやってレミューリア神族を殺したの? 毒を調合するって言うだけは簡単だけど、何を素材にしたっていうの? まさか反魔法主義者の手作りハートフェルトを、易々と口にするバカなわけないでしょ」

 彼女の意見はご尤もだ。アルカディア陥落にあたって障害となるシグナスを排除する。バンビは過激派のアズエラと手を組んで、シグナスを罠に嵌めようとザドを毒殺した。これによって、評議会はシグナスを疑いアルカディアに隙を生むことができる。

 筋は通っているが、問題は毒殺に用いたのが何であるかということ。

「心当たりならある」

 そこまで繋ぎ整理され、桜井はようやく結びつくことのなかった疑問点を結びつけた。

「バンビはファンタジアの森で花を摘んでた。花を摘むのが趣味でもない限り、何か目的があるはずじゃないか?」

「何の花を集めていたか分かる?」

 花と聞いて、ニュルンガムはハッとした表情で訊ねてくる。桜井は森での出来事を振り返り、その花の名前を思い出した。

「確か、アルカディア・デイジー。それからフレアランス、あと……カヤシーロリスの花だったと思う」

 次の瞬間、勢いよくイスを後ろに引いて立ち上がるニュルンガム。彼女はデュナミスと桜井の顔を交互に見た。

「えっと……何か分かったのか?」

 桜井はおそるおそるといった調子で聞くと、興奮振りとは裏腹に落ち着いた声でこう言った。

「ついてきて」

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