第2章第10節「地続きの天国と地獄」

 シグナスの絨毯爆撃魔法によって分厚い魔導雲は真っ二つに引き裂かれ、さながら空に裂け目ができているよう。夜も更けてきたらしく月が見え、その下を飛行する数台の車が見えた。

 よく見ると、それがDSRの車両であることはすぐに分かった。ラストリゾートで使用されているモデルと同型だったからだ。

 空から草原に着陸したDSRの車両からは、複数のエージェントが降りてきた。ほとんどが見知らぬ顔だったが、一人だけ桜井と面識を持つ女性がいた。

「まさかまた会うとはね」

 桜井が声をかけたのは、ラストリゾート大使館に迎えに来てくれた鶯姫星蘭うぐいすひめせいらんだった。桜井結都をフォルテシモ宮殿へ送り届けた後、鶯姫うぐいすひめはDSRとしての活動に移っていたらしい。アルカディアにおいてDSRがどういった活動をしているのか、無論桜井には知る由もない。

「これだけ騒がれれば様子くらい見に来る。てっきり超能力者の尻尾を掴んだかとも思ったけど、あなたの仕業でしたか。シグナス・フリゲート卿」

 アルカディアで活動する鶯姫は、シグナスのことを知っていたようだった。彼女がDSRとも多かれ少なかれ関係する部分があったとして、おかしな話ではない。

「ギルザード・バルズウェイ。その男の暗殺を企んでいた愚か者だ」

 鶯姫とは別のエージェントたちは、既にクレーター内部へ足を踏み入れている。エージェントたちが囲んでいるのは、負傷したギルザードだ。もう抵抗する気はないらしく大人しく魔法の手錠にかけられた。

「バルズウェイの身柄は楽団へ引き渡しておく。どのみちDSRでは彼らを裁くことはできないので」

 最初に飛空船で鶯姫が言ったように、DSRはコンツェルト評議会やアルカディアの女王に逆らうことができない。国の問題は彼女の言う楽団──アルカディア・タクトに任せる判断が適切だ。国家の政府機関のもとにつくのは、ラストリゾートともあまり変わらないのだろう。

 そうして事務的な連絡を済ませていると、DSRの車両団からある女性エージェントが近づいてきた。彼女はかけていたサングラスをおでこに乗せながら、興味津々といった様子。

「あらら、もしかして君が噂の桜井結都くん?」

 美意識が高いらしく化粧やアクセサリーなどに気合を入れたその女性に聞かれ、桜井はペースに流されるままに「ああ」と相槌を打つ。

「ねね、ラストリゾートから来たってほんと? 私、死ぬまでに一度でいいからラストリゾートに行ってみたいんだよねぇ」

 どうやらラストリゾートに対して強い憧れを持っているらしい。アルカディアのエージェントなのだから、ラストリゾートに足を踏み入れたことがなかったとして不思議なことではない。ラストリゾートを故郷に持つ桜井からすれば若干驚きはするも、彼は気を遣ってアルカディアを褒めた。

「こっちに来てからは驚きっぱなしだ。ラストリゾートも良いところだけど、アルカディアの景色も気に入ったよ。ルズティカーナ村は特にね」

 桜井が気を遣った甲斐があってか、女性エージェントは嬉しそうに微笑んだ。

「それはよかった! 外国の人にも言葉が通じるなんて、ユリウス・フリゲート卿には感謝してもしきれないよ」

「え?」

 最近になって意識し始めた名前を不意に聞き、桜井は思わず聞き返してしまった。そんな彼の気掛かりを知らず、彼女は勢いを保ったままで続ける。

「ユリウス卿はね、かつてバラバラだった言語を一つに統一したんだよ。みんなが仲良くなれるようにってね」

「ノラさーん、こっちに来てくださーい!」

 万木ゆるぎノラという名前を呼ぶ声が割って入り、

「ごめん。もっと話したいところだけど、御殺陣みたてちゃんに呼ばれちゃった。また会えたらいいね」

 彼女は忙しなく去っていく。寡黙な鶯姫とは大違いだが、アルカディアのDSRにもラストリゾートに負けず劣らずのエージェントたちが揃っていそうだ。

万木ゆるぎのことは気にしないで。いつもああだから」

 肩を竦めながら言う鶯姫を見るに、彼女も苦労させられているのだろう。そんな万木ゆるぎノラの乱入でタイミングを見失っていたシグナスは、ようやく別れを切り出した。

「後始末は頼んだぞ、。私たちは忙しい」

 現場の状況を説明し、最低限の責任を果たしてからその場を立ち去る。本当に最低限のことしか伝えていないとはいえ、鶯姫はエージェントである。大体のことを把握したのか、呼び止めることはしなかった。

「じゃああとはこっちで」

「任せた」

 桜井は鶯姫に頷きかけた。活動圏が違えど同じDSRに所属するエージェント同士である。最初にアルカディアに迎えてくれたという思い入れのせいもあるだろう。二人は短い間でお互いの意思を交わし合うことができた。

「いつまで伸びている」

 シグナスは未だ地べたにへたり込んでいたセレサのそばを通り過ぎる。彼女が奇想天外な武器を扱った後は、いつもこうして放心状態になるのだろうか。桜井はセレサに近づいて手を差し伸べた。

「ほら」

 十字架型の瞳で桜井を見上げ、黙って手を取り起き上がる。彼女がいなければ、桜井は絨毯爆撃から逃れられなかったかもしれない。かなり危うい狙撃だったことを彼は知らないが。

「さっきは助かったよ」

「あーあれ? 私の可愛い子ちゃんの試し撃ちをしただけですよ。なかなかできるもんじゃないし」

 セレサは初めて会った時から何かと規格外のものを好んでいた。第一印象にも強く焼きついているあの十段重ねのアイスにしろ、森の精霊にぶっ放した二丁の十連拳銃にしろ、魔導骨格を狙撃したスーパーロングバレルリボルバーにしろ。実用的とはとても言い難い奇想天外なものばかりだが、なんだかんだと頼りになる。レミューリアの堕天使とも仲良くなれそうだ。

 草原から少し離れ開けたスペースにいたシグナスは、ワンピースドレスのポケットからミニチュアサイズの植木鉢を取り出す。小さな植木鉢を地面に置くと、彼女は手をかざして魔力を込めた。すると、植木鉢はみるみるうちに成長していきあっという間に一本の大木になった。そうして、エンジェルラダーの拠点であるツリーハウスの出来上がりである。

「すごいな」

 セレサと共にその過程を見ていた桜井は感心したように言う。

「ここから丘まで戻るのは手間だろう。陽が昇るまで休もう」

 最寄りのツリーハウスから離れすぎた時を想定し、シグナスは常にミニチュアの植木鉢を持ち歩いている。それを使えばすぐに臨時のツリーハウスを建てることができるのだ。言うなれば、仮設テントのようなものだろうか。

 まさに桜井は内心でここからツリーハウスへ戻るのは面倒くさいと思っていたところだった。その気になればDSRの車両を一台借りてもいい程度には面倒だ。

 とにかく、シグナスの便利な魔法にありがたく甘えさせてもらうこととなった。

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