第2章第3節「地続きの天国と地獄」
やがて、桜井とシグナスを乗せたエレベーターは最上階へ到着した。
降り立ったのは大樹の枝葉の上に織り成された足場で、シグナスのツリーハウスよりも遥かに大掛かりなもの。ここに連盟の盟主がいるということだが、いったいどのような人物なのだろうか。
アルカディアの女王であるレイヴェスナや、コンツェルト評議会の最高議長など、高い地位につく人とは一日の間に渡り合った。今さらどんな人物が出てこようと、動じることはないはずだ。
『レリーフに会いに行くんだ』
ただ、一つだけ桜井には気掛かりなことがある。あの時のシグナスの言葉の意味によっては、デュナミスこそがレリーフかもしれないのである。つまり、ユレーラのような桜井友都の分身が待っているかもしれない。
身構えて肩肘を強張らせる桜井だったが、道中において覚悟は決まっている。もはやユレーラと対峙したのだから、再び彼のような存在が現れたとして驚くこともないだろう。
通路にいた見張りによって両開きの扉が開け放たれ、広間が現れる。シグナスに続いて中へ進んでいくと、まず風景に圧倒された。
大規模なツリーハウスということもあり、見渡す限り大樹の太い枝と巨大な葉が幾重にも重なり合い、奥へと広がる。自分が森の中にいる錯覚に襲われて視線を落とせば、今度は薄い雲の下に広大な村が見えた。あそこを通ってきたかと思うと、不思議な気分だ。
天上で暮らしている人々からは、人間の世界がこう見えるのだろうか。
「よくいらっしゃいましたね」
その時、大広間の奥から艶やかな声が響いた。
「フリゲートの末裔よ、君が次にここに来る時はアルカディアが滅ぶ時だとばかり思っていたけれど」
桜井が見上げると、魔法調律連盟の盟主が女性であることが分かった。
「終末を報せるラッパを吹く趣味はない。私が今日ここに来たのは、この男を会わせるためだ」
目が合う。
「ふむ」
彼女を一目見た時、桜井は不安と安心を同時に感じ取った。事前に連盟が持つ思想をシグナスから伝え聞いていたからだろうか。それとも、どうやら桜井が懸念していたデュナミスがユレーラのような存在ではなかったからだろうか。
ともかく、木漏れ日のみに照らされた空間ではお互いの表情は見えづらい。彼は慎重に言葉を選んで自己紹介をする。
「桜井だ。桜井結都。レイヴェスナ・クレッシェンド卿に招聘されてアルカディアに来た。レリーフを見つけ出すために」
彼女──デュナミスは、桜井を見て特別な反応を見せることはなかった。身にまとう淑やかな雰囲気を崩さず、彼女は一言だけ発する。暗がりの中にいても、わずかな微笑みを湛えた口元は桜井たちにも見えた。
「なるほど」
大樹の葉が浄化する空気はとても澄んでいて、木漏れ日は照りつける陽射しに比べて心地よく涼しいもの。デュナミスは澄み切った風を頬で切りながら、ゆっくりと足を前に運び出した。
「我々『魔法調律連盟』は、世界と魔法の調和を取ることを理念としているの。満ち溢れた魔法はいずれこの世界を淘汰してしまう。尊ぶべき街を覆い尽くしている草花に潜む茨によって……あるいは、魔法生命体であるレリーフの手によって。それを未然に防ぐのが私の役目」
木漏れ日が照らす空間は均等ではなく、広間の奥は天然がもたらす暗闇の繭に包まれていた。不安になるどころか安心感さえある空間の内、デュナミスはやがて桜井たちの前へやってくる。
「魔法が世界を覆い尽くせば、生命ある者は遍く淘汰される。レリーフの目的はこの世界を魔法によって淘汰することであり、君達も例外ではない」
風で葉が揺らされたせいか、彼女が立つ場所に光が射し込む。ようやく彼女の姿を鮮明に捉えたその時、シグナスは全く想定外の言葉を口にした。
「ふん、さすがレリーフ本人の口から出た言葉だ。説得力が違うな」
一瞬、思考回路の歯車が食い合わずに軋むのを感じた。頭をフル回転させたせいではなく、単に負荷が高すぎる事実を認識したからだ。その一瞬は、ずいぶんと長く感じた。
「待った。……彼女が、レリーフだって?」
長い髪から覗く耳にはピアス、ブラウンを基調としたコルセットワンピースの上から青いマントを羽織り、下は黒いストッキングを履いた女性らしい身なり。
明るいところに立ったことで分かるが、彼女は今まで見たレリーフの姿とはかけ離れている。もし仮にレリーフだとした場合、ラストリゾートに現れたユレーラと同じ存在であるということ。だがユレーラと違い、桜井結都とは似ても似つかない。
いったいどういうことなのか。
彼女は戸惑う桜井をおちょくるようにじっと見つめてくる。
「デュナミスは間違いなくレリーフだ。そして信じられないかもしれないが、唯一私たちと接触し協力関係を結んでいる。安心しろ、レイヴェスナの考えることが理解できないのは私も同じだ。虫唾が走る」
シグナスが言うには、デュナミスはレリーフの中でも唯一の味方であるという。加えて言えば、あのレイヴェスナが協力することを決めたようだ。
すんなりと飲み込める話ではないが、理解できなくもない。既にユレーラと戦った桜井なら、デュナミスが味方であることを不思議と受け入れられる気がした。
対するデュナミスは、明るいところにいるはずが途端に表情の伺えない顔をしていた。
「アルカディアはこの十年で魔法と共生する道を選んだ。全てを無秩序に淘汰する魔法を排斥しないことを選んだのは慈悲深い判断でしょう。それができるのは、決して淘汰されることのない理想を抱く心があるからこそ。君達の言うレリーフである私にすら手を差し伸べてくれたのだから、レイヴェスナ卿には敬意を払うべきね。もちろん、君達にも」
彼女の言葉を素直に受け取るなら、本当に中立になることを望んでいる。桜井としてもレリーフと戦わず話し合う道ができるのは願ってもないことだ。
「アルカディアにとって私達のような存在は楽譜にあるべきでない雑音。それでもいつか、私達の波長が合う日が来るのでしょうか」
しかし、桜井の隣に立つシグナスもそうとは限らない。
「黙って聞いていればよくもそんなことが言えるな。お前が裏切る可能性を考慮すれば、今すぐ手を打ってもいいんだぞ」
苛立ちを堪えることのできなかったシグナスは刃物の如く眼差しでデュナミスを刺す。
「君はそんなことしない。そうよね?」
中立を選んだというデュナミスは両手を広げ、首を傾げた。戦う意志がないと降伏しているのか、単に挑発しているのか。彼女がどういった考えで行動したのかはともかく、桜井はシグナスとは反対の解釈を信じた。
「なぁ二人とも落ち着いてくれ。俺たちは話をしにきただけだ。君が味方かどうか俺には分からないけど、まずはレリーフのことを教えてくれ。そうしたら信じられる」
二人を仲裁する桜井だったが、シグナスは敵意のこもった視線で見つめ返してくる。暗にお前まで裏切るのか? とでも言いたげな彼女に、桜井は一言のクッションを置く。
「……少なくとも今は」
確かに、デュナミスがレリーフであるなら倒すべき敵だ。が、彼女が中立的な立場にいるのなら協力するべきだろう。
ただでさえレリーフについては謎が多く、現状足取りも掴めていない。桜井自身、デュナミスを信じ切ったわけではないにしろ、ここで戦うのは些か性急だ。
彼の言い分に理解を示したのか、シグナスは大きく息を吐いた。不機嫌そうな顔からして怒りは収まっていなそうだが、ひとまず前へ進めそうだ。
デュナミスも一呼吸置くと、微笑みを含ませた表情を変えず要求に応えた。
「レリーフはかのユリウス・フリゲート卿がもたらした災いの一つ。その尻拭いをするのが血を継ぐ娘である君とは、これも運命の悪戯でしょうか」
「母上を侮辱するつもりか?」
わざとなのか偶然なのか。シグナスの神経を逆撫ですることをやめないデュナミス。桜井としては不安で仕方がないが、彼女なりのユーモアなのだろう。彼女は悪びれもせずに続ける。
「さて。冗談はこれくらいにして、本題に戻りましょうか。昨今のレリーフの活動は我々から見ても目に余るものだから、君達の申し出を断るつもりはないの。むしろ、素直に甘えさせてほしいくらいよ」
レリーフに関する情報を出し惜しみするつもりはないらしい。デュナミスはそのまま桜井たちの知らない情報を提供した。
「どうやら彼らはこのルズティカーナ村から資材を奪い、バリトン地区にあるファンタジアの森で何かを推し進めているみたいなの」
特にシグナスが注意したのはレリーフを指した呼称。
「彼ら、だと?」
目敏い指摘を受け取ると、デュナミスは惜しげもなく答えを明かした。
「レリーフ・バンビ。そしてイェルバドール・アズエラ。アズエラは連盟員であり、バンビと接触しているのは明らか。彼が村に姿を見せなくなって久しいけれど、バンビを追う内にいずれ出会うことでしょう」
アルカディアに潜伏しているレリーフ・バンビは、連盟員と手を結んでいるという。連盟の盟主であるデュナミスの視点に立てば、別のレリーフと行動するのは裏切りと言えるだろう。
そもそもデュナミスが他のレリーフとはどういった関係なのか不透明だが、情報を提供した以上は桜井たちの味方である。もちろん、彼女が味方だという確証はない。それでも貴重な情報があれば、伝っていく他に道もない。
「先ほども話した通り、彼らはファンタジアの森へ頻繁に出入りしている。もし向かうのであればお気をつけて。あの森には多くの危険な調べが響いているから」
たとえデュナミスの情報が罠だったとして、最終的にレリーフへ繋がれば同じことだ。桜井はそう割り切って考えたが、シグナスはどうだろう。彼女がデュナミスを不審に思っているのは火を見るより明らか。素直に信じるかどうかは怪しいものの、彼女は冷静に情報を整理して結論を出した。
「ファンタジアの森か。まずはそこに行くぞ」
さっさと身を翻してエレベーターへ向かうシグナス。早歩きが示す通り、一刻も早くデュナミスのもとを去りたいというのが本音だ。
しかし、遠のくシグナスの背中にデュナミスは「最後に」と声をかける。一応聞くつもりはあったのか、彼女は足を止めた。
「シグナス・フリゲート。君は魔法という秩序と混沌をもたらしたユリウス・フリゲート卿の娘。その双肩にかかる罪を裁くことはせずとも、連盟が君を歓迎することはありません」
シグナスがどういった表情をしているのか、桜井からは背中しか見えない。しばしの沈黙が流れ、張り詰めた空気は居心地が悪い。それから数秒の時が流れ、彼女はこちらを振り返りもせずに呟いた。
「こちらから願い下げだ」
去っていくシグナスを見つめていた桜井は、ふとデュナミスの方を見返す。彼女もまた何も言わずに目を合わせる。
正真正銘のレリーフである彼女には、個人的に聞きたいことが山ほどある。彼の分身であるユレーラについて。一つだけでも聞くことができれば、どれほどの疑惑を解くことができただろう。
「桜井、早くしろ」
しかし今はシグナスの堪忍袋の緒が切れてしまう前にこの場を去ることが先決だ。
彼はデュナミスとは別れを言わずに背を向けた。もしこの世に運命があるのなら、それはきっとこの先にも交わっていると信じて。
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